習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『さくらん』

2007-03-04 09:25:21 | 映画
 気合の入った力作である。立派なセットと豪華な衣装で見せる時代劇といえば正月のお笑い映画『大奥』と同じなのだが、こちらはあんなバカとは違う。フォトグラファーの蜷川実花の第1回監督作品。

 赤を基調にした極彩色のあでやかで大胆な美術(新人の岩城奈美子)、丁寧に書かれた脚本(タナダユキ)のもとパワフルな演出で一人の女郎の生き様を力強く見せてくれる。冒頭の「なめんじゃないよ」という土屋アンナのセリフと豪快なとび蹴りに映画全体を象徴させる。原作、脚本、美術、音楽(椎名林檎)、監督、そして主演とメーンスタッフのすべてが若い女性ばかりによる映画である。そして、これだけの大作。こんな映画が作られる時代がとうとうやってきたのだ。

 かごの中の鳥ならぬ水槽の中でしか生きられない金魚の意地を、女性の視点から描いている。8歳で吉原に身売りされた女が、花魁となり生きていく。それを男目線とは違い、女がここで生きていく、という生活を基調とした描写で綴る。五社英雄の映画とはまるで違う。女たちをかわいそうだと哀れむような視点はない。彼女達は居直ってここでどっしり腰を下ろして生きている。しかたないことは、受け入れて生きていくしかない。めそめそなんかしていられないのだ。それは諦めでは決してない。女だとか男だとか関係なく、生きていくのだという強い意志がここにはある。

 『鬼龍院花子の生涯』で夏目雅子が言い放った「なめたらあかんぜよ」とは違いここにはあっけらかんとした凄みがある。男と対等な位置に立ち戦うのではなく、女として戦う姿勢のようなものがこの映画には貫かれている。狡さも武器にするし、弱さも認める。その中で日常という名の日々を生き抜いていくのだ。

 人生には明確なゴールというものがあるわけではない。身請けされてここを出て行けば人生の上りだ、なんていうものでは決してない。咲くはずのないと思われた桜が咲いたからといって奇跡が起きたりもしない。ラストシーン。ふたりは足抜けをするが、きっとすぐに捕まるか、戻ってくることになるはずだ。満開の桜の中で戯れるラストシーンは幻と紙一重なのである。
 

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