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映画・演劇のレビュー

辻村深月『東京會舘とわたし』

2020-04-27 19:34:00 | その他


これは2016年に出版された本なのだが、まだ読んでいなかった。読み始めて、止まらない。短編連作のスタイルになっているのは、『ツナグ』と同じで彼女の得意技。時系列になっているのも、この場合当然なのだけど、大正12年から始まり、昭和39年までの5作品を読み終えた時の気分はなんとも言いようのない清々しさだった。ここまでが上巻であり、『旧館』である。2冊目に入ると,趣が変わる。

五つのお話のひとりひとりのエピソードが、個人的なお話に止まらず、この建物だったからこそ、あり得た物語なのだと、思うことが出来る。お話が建物に追従するのではない。もちろん建物がお話にそうするのでもない。両者が幸福な出会いをする。ここを大切に想う人と、この特別な場所の邂逅。2つの東京會舘。2冊の本。5つ×2の物語。

これは東京會舘という由緒ある建物を巡る物語だ。ここで生きた人たちのそれぞれの物語が綴られていく。ここのスタッフ,お客様が、この場所で出逢う。僕が生まれるずっと以前からお話は始まるのだけど、まるでその時代にここに居たような気持ちにさせられる。昔々のお話がなぜか懐かしい。上巻はクライスラーの演奏会に新潟から駆けつけた青年の特別な時間から始まり、ここで食事をする夫婦の姿を描くエピソードまで。途中からは涙が止まらない。確かにここで、この場所で、人が生きた時間が、生きている瞬間が、刻み込まれる。時間を重ねるにつれて、その感慨は深まりゆく。東京會舘という実在する場所が起点となり、その時間がこの小説の力となる。この作品の眼目はそこに尽きる。時の流れの中で、人が記憶し、その記憶を心に秘め、生きていく。全編のハイライトである第3章の『灯火管制の下で』の結婚式が最後の第10章『また会う春まで』につながりゆく、というお決まりの展開も、ベタだけど許せる。90年の歴史を飾るために、それを描いても構わない。特別な1日が,その後の時間につながり、今となる。ここに描かれる10のエピソードはそれぞれ別々のお話であると同時に確かにつながる。下巻である『新館』での五つのお話は『旧館』ほどには、心に沁みないのは仕方あるまい。遠い記憶ほど美しいからだ。

東日本大震災の日を描くエピソードはあまりに近すぎて、生々しさも残る。関東大震災のエピソードとはまるで違う。直木賞のエピソードも作者本人を想起させ、少し、なんだかなぁ、とも想わせる。つまらなくなった、というのではなく、前半のなかにあったセピア色の輝きとは違うからだ。少しリアルになったのは時間がまだ経っていないからだろう。

 

 


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