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映画・演劇のレビュー

第一次反抗期『せめてもの賛歌』

2017-08-08 19:42:37 | 演劇

これは渾身の力作である。今時、こんな芝居は誰も作らない、という芝居を作り続けた異才、大竹野正典の息子である大竹野春生の新作。父親と比べられるのは嫌だろうけど、この作品を見た以上、ぜひ比較したくなる。大竹野がずっとこだわり続けた家族の話に、今回大竹野春生は挑戦した。そして、そこには父親にはなかった視点がある。

 

大竹野春生は自分にしか書けないものを書く。そこになんの遠慮がいるだろうか。思う存分すればいい。でも、正直言うと、こういう自伝的作品を書くのには勇気がいる。もちろん、そんなこと、誰も知らないから、これが彼の家族の話だなんて思わないだろう。誰も知らないからこれはあくまでも個人的な問題だ。だが、それゆえ自分の中で乗り越えなくてはならないハードルは高い。なのに、彼は見事にクリアした。大竹野正典の作った家庭劇とは違う新しい家庭劇を大竹野春生はここに作り上げたのだ。

 

最初は「これはキツいな、」と思いながら見ていた。なんだか、あからさますぎる、と感じたからだ。だが、彼はこれを単純な家庭劇には終わらせない。話は個人的なお話から離れて、重層的な構造を持つ。どんどんお話を進化させていくのだ。ドラマとしての奥行きがあるから、飽きさせない。動物園爆破の話が出てきたとき、「これは大丈夫だ、」と思った。 (しかし、その後、見事に失速するのだけど。)

 

どうしようもないアル中の父親。家庭を顧みない母親。すべては弟の死から始まった。2歳の弟がキャンプの時、川で流されて死ぬ。ほんの少し目を離した瞬間の出来事だった。その時、彼女はまだ12歳だった。この芝居は、この姉の視点から描かれる崩壊した家族の再生へのドラマである。

 

壊れた家族をなんとかして、取り戻したいと願う彼女は、恋人にこの家族を紹介するという暴挙にでる。本当なら隠したいところだ。だが、彼をカンフル剤として、両親にぶつける。ストーカーに絡まれていた彼女を彼が助けたところから二人の交際は始まった。彼は極度の潔癖症で、自分が「きもちわるい」と思ったモノを破壊しようとする。その行為がエスカレートして、やがては動物園の爆破に至る。感情的なものが支配する。

 

そんな彼と向き合い、彼女はどこか、違うと思う。いびつな両親のあり方と同じようなモノをそこに感じる。「あなたも、あなたが憎むお母さんと同じことをしている」と看破する。だが、その言葉は自分にも突き刺さる。そんな彼女が正面から両親とぶつかるクライマックスは感動的だ。

 

だが、母親が暴走するとどうなるのか、弱い父親の逃げ場所を塞ぐと、どうなるのか、という一番大事な部分で、芝居は答えを出し切れないままで終わる。ラストの彼女の長台詞は悪くないけど、そういう言葉でしか語れないものをラストにもってくるのは、納得しない。恋人の爆破事件も中途半端なまま終わる。

 

大切なものを失った後、家族はどうなるのか。「僕たちには物語が必要なんだ!」という恋人の言葉は感動的だ。だが、その物語がいびつな展開を見せたとき、彼女はそこでちゃんとNOと言う。大事なことはその先にある。そこが描き切れていないのが、なんとも残念でならない。

 

大竹野は、様々な要素をこれでもか、と、この1本に投入した。すばらしい発想だ。今時誰もやらない家族の話に挑戦した。自分にとって家族とは何なのか、を見つめた。その誠実さが眩しい。それだけに収拾が付かなくなった結末を言葉で強引に終わらせたのが惜しまれる。しかも、その弁舌が余部雅子の熱演で実に感動的なだけに、余計に残念なのだ。

 

最後にもう一点触れたい。酒に溺れる父親を見事に演じた山田一幸がすばらしい。彼が登場した瞬間から、芝居がどんどん動き出す。彼の暴走が作品を引っ張っていく。大竹野正典をモデルにしたこの父親がサイテイの男なのに憎めない.彼の弱さが見事に描かれたからだ。弱い男たちと、強い女たち。その大竹野正典の芝居と同じ図式に、苦笑する。

 

 

 


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