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映画・演劇のレビュー

『亜人』

2017-10-06 20:23:00 | 映画

 

アクション映画にした。最初から最後までアクションに徹した。その結果とてもつまらない映画になってしまった。本広克行監督の意図が空回りしている。このお話の面白さをまるで理解していない。アニメーション映画版を見た時の感動がここにはまるで再現すらされない。アニメは3部作として映画化されたが、第1部が圧倒的に面白かった。

 

何が何だかわからないまま、「亜人」と認定され、ただただ逃げるしかない主人公を追いかける。これまで安穏と暮らしてきた自分が生きてきた世界が自分ひとりに牙をむく。そんな彼の不安が全編を彩り、突き放されたようにして終わるラストもよかった。

 

そこで、この映画なのだけど、原作の高校生という設定を、今回主人公を演じる佐藤健に合わせて、26歳の研修医にしたところから、もう失敗している。いや、それだけではない。亜人となった(わかった)瞬間の驚きをすっ飛ばして、映画は、佐藤(綾野剛)による永井(佐藤健、ね)強奪のシーンから始まる。最初からアクションを見せるのは悪くないけど、設定を生かし切れないままのいきなりのアクションには戸惑いしかない。その結果、佐藤との相克も描けない。(アニメ版では、この佐藤という男の屈折が面白いのだ。しかも、もっと年寄りだし。原作通り、初老の男が演じた方が絶対に面白かったはず)

 

せっかくのストーリーの面白さ、それをまるで生かせず、状況説明にしかしないのはもったいない。しかも、この壮大なお話をしょぼいアクションに押し込めて、世界観の広がりを損なう。ただただ、ふたりが戦うだけの映画では『亜人』という作品を持ってきた意味がない。

 

綾野剛は実に上手く、佐藤の不気味さを表現しようとしているけど、雰囲気だけでは再現できない。台本と演出の後押しがなくては、ただの独り相撲だ。亜人対人間という図式を体現するだけのドラマがここにはない。ヒーローと悪人の対決なんてまるで意味がないではないか。映画においてはただの「死なない体」なんて、別になんの魅力もない。そんなことより、亜人になってしまったことで、生じる様々な問題と、永井がどう向き合うか、そこが一番大事だったはずなのだ。もともと、このお話の面白さを2時間程度の映画に詰め込むのは至難の技だっただろうが、ドラマ部分を棄ててアクションだけで組み立てるという選択で成功するはずはなかった。案の定、こんな空疎な映画になってしまう。最初からこれでは負け戦だ。

 

 

 


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