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映画・演劇のレビュー

コンブリ団『紙屋悦子の青春』

2020-01-27 20:59:48 | 演劇


とても丁寧に作られた作品だ。最初から最後まで慈しむように作られてある。作品に対する愛情がしっかり伝わってくる。ある場所、ある時代を確かに生きたこと。それが戦争の時代でなくとも構わない。彼らはそこにいる。自分たちの生を全うしたこと。それだけが大切で、それだけをちゃんと描けたならいい。そういう作り手の意図を明確にするために具象的な舞台美術にはしなかった。この一見何もないような空間は、シンプルで清潔。彼らの清らかな心そのものだ。リアルズムを排した象徴的な空間は、この作品の描こうとしている普遍性をきちんと伝える。もちろん描かれるのは戦時下のできごとだ。だけど、人の、人を思う、その思いは変わらない。どんな時代であるとも同じだ。

時空劇場の初演にも出演したはしぐちしんは、30年近くの歳月を経て、再び同じ役を演じる。歳を重ねたぶん、今度はしっかり大人目線で演じることが出来る。彼がこの作品のすべてを見つめている。もちろんそれは彼が舞台上に出ずっぱりである、ということが言いたいわけではない。演出家として細部まで目が行き届いている、ということでもない。もちろん、そんなことは当然のこととして見ればわかる。だが、そんなこと以上に、この作品は彼がこの戯曲を慈しむように見つめて作っているということが言いたいのだ。

作品に対する愛情がこんなにもしっかり感じられることに驚きを禁じ得ない。過剰になりそうなものをすべて削ぎ落として,一番大切な部分だけを観客に提示した。無駄は一切ない。無口で、でも、すべてをきちんと描き込んだ、これはそんな端正な作品なのである。過剰な思い入れはしない。淡々と彼らの今を見せていく。だけど、その今という時間は戦争という現実に浸食され、本来の在り方を成さない。悦子も、明石少尉も自分の気持ちを抑えて目の前の時間と向き合う。長与少尉も同じだ。彼ら3人のそれぞれの想いを言葉にはしないまま、彼らの秘めた想いは溢れることなく心の中に納められる。戯曲の持つそんな想いをさりげなく、切実に表現した。彼ら3人を見守る悦子の兄夫婦、さらにはそれを外側から見守る数十年後の悦子と長与夫婦という図式が時空を超えて舞台上で対峙する。

ラストで桜の花びらが散っていくシーンも美しい。実際の桜ではなく,それは言葉の桜の花びらだ。口に出来なかった言葉の数々が散っていく。

 

 


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