佐々部清監督がデビュー作である『チルソクの夏』以来初めて(というか、それって再び、ではないか?)高校生を主人公にした青春映画を撮った。こんなにも瑞々しい青春映画を見るのは久々だ。恋とか友情とか手垢の付いたような話はない。これは馬と少女の物語だ。でもよくあるような動物ものともまるで違う。へんな感動の押し付けのようなものもない。でも、こんなに熱く胸が一杯になる。
だいたいこんな世界がこの世の中にあるだなんて考えもしなかった。青森の農業高校、そこの馬術部なんてものがある。彼らは日夜、馬と共に生きている。そりゃぁ、考えればそんな世界も確かにあるはずだ。だが、普通考えない。農業高校が舞台の映画なんかいままでなかったはずだ。そんなところにドラマはない、なんて思わないが、そんなところに誰も注目を向けなかった。
なんてそっけないタイトル。それにも驚かされた。最初の仮題は『コスモ光の中に』だったらしい。いかにもなタイトルだ。だが、それをこの凄いタイトルに改題した見識に感動する。しかも、これはよくあるお話、ではない。そのくせどこにでもあるはずのお話に見えて誰も今まで作ろうともしなかった作り方をする。何よりもそれが凄い。
こんな話なのに、特別なことは何も描かない。当たり前の彼らの日々が丁寧に描かれていくだけだ。それが素晴らしい。東京ドーム12個分が入るような広大な敷地にある学校。それをカメラが捉える。それだけでも面白い。
そんななかで片目の見えない馬と、少女が過ごす1年半の日々が淡々と描かれていく。先輩の最後の試合から始まり自分たちの最後の試合までの1年間を中心にして、彼女たちの成長が描かれる。ただそれだけなのだ。それだけで映画なんか作るな、と言われそうだが、それこそがこの映画の狙いだ。感動のヒューマンドラマなんていわない。目の不自由な馬と少女のふれあい、とかも言わない。馬術部の5人の部員たち。彼女たちのささやかな高校生活。そこには何ものにも変えられない貴重なものがある。それは言葉なんかにはならない。
彼女たちと付き合いいつも一緒にいる顧問の先生(柳葉敏郎)がいい。ギバちゃんはいつも通りなのに、それがなんだかいい。映画の中で浮いていない。ほとんど素人ばかりの子供たちに混じって同じようにこの映画の世界の住人になっている。ラストの卒業式はまるで普通の卒業式をみてるように感動的だ。どこにでもある、そんな風景が映画になる。この作品の魅力はそこに尽きる。
だいたいこんな世界がこの世の中にあるだなんて考えもしなかった。青森の農業高校、そこの馬術部なんてものがある。彼らは日夜、馬と共に生きている。そりゃぁ、考えればそんな世界も確かにあるはずだ。だが、普通考えない。農業高校が舞台の映画なんかいままでなかったはずだ。そんなところにドラマはない、なんて思わないが、そんなところに誰も注目を向けなかった。
なんてそっけないタイトル。それにも驚かされた。最初の仮題は『コスモ光の中に』だったらしい。いかにもなタイトルだ。だが、それをこの凄いタイトルに改題した見識に感動する。しかも、これはよくあるお話、ではない。そのくせどこにでもあるはずのお話に見えて誰も今まで作ろうともしなかった作り方をする。何よりもそれが凄い。
こんな話なのに、特別なことは何も描かない。当たり前の彼らの日々が丁寧に描かれていくだけだ。それが素晴らしい。東京ドーム12個分が入るような広大な敷地にある学校。それをカメラが捉える。それだけでも面白い。
そんななかで片目の見えない馬と、少女が過ごす1年半の日々が淡々と描かれていく。先輩の最後の試合から始まり自分たちの最後の試合までの1年間を中心にして、彼女たちの成長が描かれる。ただそれだけなのだ。それだけで映画なんか作るな、と言われそうだが、それこそがこの映画の狙いだ。感動のヒューマンドラマなんていわない。目の不自由な馬と少女のふれあい、とかも言わない。馬術部の5人の部員たち。彼女たちのささやかな高校生活。そこには何ものにも変えられない貴重なものがある。それは言葉なんかにはならない。
彼女たちと付き合いいつも一緒にいる顧問の先生(柳葉敏郎)がいい。ギバちゃんはいつも通りなのに、それがなんだかいい。映画の中で浮いていない。ほとんど素人ばかりの子供たちに混じって同じようにこの映画の世界の住人になっている。ラストの卒業式はまるで普通の卒業式をみてるように感動的だ。どこにでもある、そんな風景が映画になる。この作品の魅力はそこに尽きる。