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映画・演劇のレビュー

劇団May『夜にだって月はあるから』

2011-08-30 20:05:14 | 演劇
 今、大阪で一番優れた作品を作り続ける劇団Mayの新作。昨年の東京先行上演を受けて、満を持しての大阪初公開である。今までのMayの最高傑作であり、もちろんその到達点となった『ボクサー』以降、金哲義さんは一体どこにむかっていくことになるのか。それを占う作品でもある。『風の市』『チャンソ』と加速をつけて在日であることや民族の歴史と正面から向き合い、自分たちにしか出来ない、語り得ない芝居を作ってきた彼が、ひとつの頂点を極めた後、取り組んだのはとても小さなお話だ。『晴天長短』もそうだったが、今回もそうである。だが、それは大きな話はもう語れないからではない。『ボクサー』を作ってしまった以上、もう後戻りはできない。彼の挑戦は続く。これはその一環として生まれた作品だ。

 今回もまた、1940年代から50年代という疾風怒濤の時代が舞台となる。海の向こうから日本に渡ってきた14歳の少年が、この国でひとり生きて行く姿が描かれる。芝居は、彼の青春時代を駆け抜けて行く。それが、生涯故郷に帰ることなくこの異国の地で生きた90歳の老人の告白として描かれる。だが、これは先にも書いたように『ボクサー』のような大河ドラマではない。戦後の一時代、ほんのひと時の恋を描くささやかなお話として全体が構成されてある。

 日本に憧れ、日本に失望し、日本の敗戦後、独立したはずの祖国が南北に分断され、故郷を失う。そんな背景となる悲惨な戦争を経る朝鮮の歴史の中で、帰る場所を失った人々の痛みが、この主人公の背後にはある。済州島からやってきた劇団の芝居を通して、ひとりの女性と出会い、彼女への密かな想いを胸に抱いたまま、全力で駆け抜けた「ひとつの時代」が、この「ひとりの青年」を通して描かれていく。

 李春太〈リ・チュンソ〉(少年時代は木場夕子、成長してからは金哲義)は、済州島からやってきた女性だけの劇団の芝居を見て、彼女たちの劇団の演出家になる。一緒に旅をして、今も日本で生きるたくさんの同胞たちと芝居を通して出会い、彼らに祖国を思い出させるきっかけを作る。彼らに感動を与える。そして、劇団員の貞仙〈チョンソン〉(ふくだひと美)に恋する。

 済州島4・3事件を背景にしたこのドラマは、事件自体を前面に押し出しストレートに想いをぶつけてくるのではない。お話自体は、表面的には甘い青春のひとこまとして思い起こされる。誰もが10代、20代の頃感じた切ない想いを根底に持ちつつも、動乱の歴史の渦の中で、命を賭けて生きた女たちとの出会いを通して生きて行くことに目覚めたひとりの青年の美しい記憶を切り取って見せることで、金哲義自身が、まだまだ語るべきことはある、ということを確認するための第1歩を刻む。

 貞仙たちの最後の舞台を袖から見守る春太の姿を捉えたクライマックスがすばらしい。その時自分に出来ることは何もなかった。ただ芝居の成功を舞台の袖からしっかり見つめるだけだ。だが、その熱い視線に彼の最大限の想いが込められる。このステージの後、彼女たちは死を覚悟して故郷に帰る。彼には何もできない。自らの無力と、それでも自分はこの異国で生きるという覚悟。帰りたくても帰れない。帰る場所を失った朝鮮人である自分を見つめることになる。

 これは『ボクサー』が到達点であると同時にスタートでしかなかったことを示す作品になった。ここをスタートラインにして、劇団Mayは一か所に留まることなく、今後も本当に伝えたいことを、あらゆるやり方を使って作り続けるであろう。それをこれからもずっと見守っていきたい。

 

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