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映画・演劇のレビュー

早見和真『笑うマトリョーシカ』

2022-01-07 11:39:55 | その他

年頭ベストテンを作るため調べたら、昨年読んだ小説の7割が女性作家のものだったのには驚いた。そんなことの反動なのか、今年に入ってからは男性作家の小説ばかり読んでいる。と、いってもまだ1月の入って1週間で7冊しか読んでないのだけど。

ミステリ的な展開で、あれよあれよという間に、どんどん読み進むことになる。だから、今日は朝から1日じゅうこの本を読んでいた。400ページを越える作品だけど、ほぼ一気読みしてしまった。面白い。政治家を目指す主人公のふたりの出会いから別れまでの40年近い時間が描かれていく。代議士とその秘書となるふたりの2人3脚の物語、のはずだったのに、お話は思いも寄らない方向へと舵を取る。

主人公は中身のない空白の男。そんな彼を操っていたのは誰なのか? ふたりの高校時代から始まる。これは単純な友情物語ではない。生徒会長選挙が第1部のクライマックスになる。大学時代を描く2部、やがて政界に打って出るまでが描かれる。3部は一転して彼を追いかける女性記者の話になる。

高校時代に見た映画『砂の器』がお話の根底に置かれる。読みながらなんだか懐かしいし、ベタ過ぎて少し恥ずかしい気もした。確かに僕もあの映画には嵌った。高校時代、何度となく見たし、あの当時は生涯ベストワンだと思ったのは忘れられない思い出だ。それくらいにラスト40分、交響曲「宿命」の流れる中での父と子の巡礼シーンは胸に沁みた。感動的だった。でも、それがこんなふうに小説の中で取り上げられるのはなんだか不思議な気分だ。10代の少年にとってあの映画は、魂を根底から揺さぶられる凄い映画だった。

さて、この本題は小説である。彼は自分を隠して、誰かの言いなりになり、生きる。そこには自分の意志は見えない。だけど、それが嫌々ではなく、本人は無言で受け入れる、そんな実体のない男の不気味さ。彼は何を思い、何がしたくて、こうしているのか。彼を自在に操り、影で糸を引いていると思っていた男(同級生であり、この小説の主人公)は、実はそうじゃない、と気づく。

では、彼をほんとうに操るのは誰なのか。ここからが本題だ。そして、主人公であると思われた男は光景に退いていく。男を操っていたのでは自分ではなかった。ここから話は二転三転する。この怒濤のような終盤の展開は少し、やりすぎだ。読みながらこれはいくらなんでも少し都合がよすぎないか、とも思う。だけど、一方では「これを認められる」とも思う。嘘くさいけど、こんなことがありえたならどうなるのか、という興味でこのお話に引っ張られていく。エピローグに至ってすべてが明らかになるのだが、さすがにそれでいいのか、とも思う。いろんな意味で微妙だ。先の読めない展開に驚かされるのだが、どこかで納得はいかないかな、とも思う。

怒濤の展開である第4部からラストまで、楽しませてもらえた。でも、それはエンタメとして、だ。お話に深みがないのが惜しい。彼の抱える闇の深さを、恐怖に感じるくらいまで見せて欲しかった。これでは読み終えた時、なるほどね、で終わるのはやはり残念だ。


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