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映画・演劇のレビュー

Pithecanthropus Effectus+Uranachi 『おとなしい給仕』

2010-02-21 18:58:28 | 演劇
 ウラナチの岸昆虫さん(今回はロプロプと名乗る)と、Pithecanthropus Effectusの直立演人さんによるユニット。ハロルド・ピンターの『料理昇降機(The Dumb Waiter)』を現代によみがえらせる。

 こういう不条理劇は最近あまりない。わかりやすい芝居ばかりが横行する中で、こういう硬派の作品はあまり喜ばれないだろう。娯楽から遠く離れて真面目に演劇と取り組む、のはバカバカしいことだ、と普通の人たちは思う。でも彼らはそんなこと、一切思わない。これが独りよがりのものになっていたならば、無視するところだが、当然ながらそんなことはない。

 この芝居は不条理劇を面白がって見せるのではない。不条理の中にある真実を見極めるための本気の取り組みが、われわれ観客を魅了する。上から目線ではなく、観客と作り手が同じ高さからこの作品と向き合えるように作られてあるのがすばらしい。

 よくわからない状況に追い込まれた2人を追いかけることで、彼らの困惑が伝わる。そこをスタート点とする。2人の関係性。彼らの現状。ここが何処であるのか、徐々に明確になる様々なこと。だが、それがさらなる混乱を招く。不安と混沌の中から、出口が見つかるのか。これはそんなサバイバルを体験する70分だ。

 サイドチェンバーの縦長の空間を敢えて、というか、当然の活用法として今回は横長に使う。この空間の特性を逆手に取る。客席は2列で、かなりの長さになる。その客席と同じだけ舞台を作る。そうすると、観客は舞台を完全に見ることは出来なくなる。視界に舞台の全体を入れることは出来ないから、一部をフォーカスさせられる。主人公は2人なので、彼らが離れない限り大丈夫だが、当然彼らが離れた時にはどちらかしか見れない。選択は観客に任される。しかも、舞台上手にはドアがあり、そこに何度となく役者が消えていくシーンが用意される。あらゆる意味に於いて、「見えない」ということが、この芝居にとって一つの武器となるのだ。

 すべてを把握することなんてできない。その当然のことに阻まれながら、芝居は理解不可能な事態と対決することになる。見えそうで見えないのは、視覚的な問題ではなく、このお話自体のことだ。いくつものヒントは用意される。象徴されるものについて明確な答えを出すことは困難ではない。だが、出された答えはすぐに反故にされる。新たなる自体が生じるからだ。

 この地下室で2人の男が不条理な要求を突き付けられて、困惑しながらも対処していく様を見ながら、僕たちはいろんなことを思い出すこととなる。生きていくことの困難やおもしろさ。ドキドキしながらそんな彼ら2人を見つめる。やがて訪れる第3の男。彼に向けられた銃は火を放つこととなるのか。これは実に新鮮で懐かしい、そんな芝居だ。

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