習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『椿の庭』

2021-06-14 19:35:49 | 映画

先週母が亡くなり、慌ただしい1週間を過ごした。1月に突然倒れて、脳梗塞で痙攣が止まらず、その日が山だと言われた。それからはずっと入院していた。面会にも行けず、状況もわからず、毎日不安な日々を過ごした。病状が安定したので救急病院から転院したとき、移送時と、新しい病院で少しだけ、顔を見ることができた。話ができる状態ではなかったが、僕の顔をみつめていた。話しかけることもできた。

ひとりぐらしで、寂しいから同居して欲しいと散々言われたけど、近所に住んでいるし、7年前に第二腰椎圧迫骨折をしてからは、毎日会いに行っていたし。でも、80歳を過ぎたころから認知症がひどくなり、骨折以降は、自分のお世話がちゃんとできなくなり、朝晩食事も僕が用意していた。大変な日々が続いた。だけど最初は嫌がっていたデイサービスも受け入れてくれて週2回から4回になり、やがてはそれが楽しみになった。昼夜はちゃんと向こうで食事をとってくれた。ある種の生活のパターンは出来ていたのだ。なのに。

こんなことを書いていたらいつまでたってもこの映画の話には至らない。それに、誰も僕の個人的な話なんかには興味はなかろう。やらなくてはならないことがたくさんあるのだけれど、この映画だけは見たくて。

映画を見ながら何度も泣いた。すべてのシーンで母親とのことが重なった。まるで自分を見ているようだった。こお映画の主人公である母親〈富司純子)は自宅で静かに死んでいく。孫娘に見守られながら。孫のシム・ウンギョンと娘の鈴木京香のふたりは、1月までの僕自身だった。この映画の母親は入院してないから、この1月から6月までの僕のような体験はしていないから、羨ましい。

誰も居なくなったうちの家もこの後、たぶん壊すことになるだろう。今、家を少しずつ片付けている。いろんなものを棄てている。夏までには空っぽにしたいと思っている。思い出が沁みついた家。だめだ。やはり、この映画のことは何も書けない。

とてもいい映画だった。ずっとここで、この家でまどろんでいたいと思わせる。映画は夫を亡くして四十九日を終えるところから始まる。親戚を迎え、彼らが帰った後、3人になる。娘も自分の家に帰り、孫と二人きりでの日々が綴られていく。季節はちょうど今と同じ、梅雨から夏へ。やがて秋から冬へと。移り行く時間とともに、最期の時を迎える。彼女の最期、だけではなくこの家の最後までもが描かれていく。特別なお話は何もない。なのに、この静かな映画に心揺さぶられる。


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