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映画・演劇のレビュー

満月動物園『スプーン・マーメイド』

2007-12-06 23:34:55 | 演劇
 6年の歳月を経ての再演である。まだ、若手劇団の頃の満月動物園が、当時の全力を示した作品をほぼ、そのまま、再び同じ応典院で見せる。作、演出の戒田さんは「河上(由佳)で、これをもう一度やってみたかったんです」と言っていたが、初心に戻り、今の立ち位置を確かめるために、これは避けて通れないものだと思ったのだろう。

 開場、同時開演のアングラスタイル全開の芝居だ。ロビーでいきなり芝居は始まる。劇場の外から、中へと観客を誘う。そこはストリップ小屋の楽屋。2人の女がステージに立つための準備をしている。天王寺動物園から、二頭のキリンが脱走し、今、谷町筋を暴走しているというニュースがラジオからは流れている。芝居は、ここから始まる。この場所を中心にして、いくつもの異なった要素が絡み合う。

 ストーリーをしっかり踏まえた上で、それらが直線的には流れていかないという、よくあるアングラ芝居のスタイルを取っている。ラストでいくつもの要素のすべての糸が一つにつながり、怒濤のクライマックスを迎えるというのが、パターンなのだが、この芝居はわかりやすくなりそうになると、そんな観客をあざ笑うがごとくに、またこんがらがっていくような作り方をする。しかし、それが不愉快ではなく、心地よい。まるで、万華鏡のように、いくつものパズルがシャッフルされ、新しい顔を見せていく。お話は上手くまとまらない。

 この芝居の中心にいるのは河上由佳演じるストリッパー苳子である。彼女に影のように寄り添うジョーカー(昇竜之助)。いつも彼女とともにいる仁絵(諏訪いつみ)。この二人を従えて、彼女の内奥への旅が描かれていく。

 エンドウが12年間離れていた娘を探す旅に出る話。仁絵と刑事の恋。ミラーボールマン育夫と妹の話。すべての外側にある時計屋と勢津子の話。等々。いくつもの物語が絡み合って、それらを見つめる彼女の内面に突き刺さる。ここで展開していくすべてのお話は、誰にも語られることのない彼女の空っぽの心の空隙を埋めるための幻のお話に過ぎない。

 檻を抜け出た母と子のキリンは、いつまでたっても捕まらない。檻の中に残された夫のキリンが苳子のところにやって来るという幻想シーンが、芝居の終着点に用意されている。このシーンが実質のクライマックスだ。とても静かな場面である。巨大なキリンの顔と言葉を交わす。キリンの一家の話はエンドウと娘、そして逃げた妻の話とリンクする。

 明確なストーリーではなく、心象風景を1本の芝居として、コラージュさせていく。イメージでしかないから、そこからドラマは組み立てられない。これは苳子という女の心の中にある物語だ。

 いつもながらの中谷一美のかわいらしいイラストのフライヤーが、このファンタジックな芝居の世界をよく表現している。がちがちのアングラ・テイストのまま、こんなにも心優しいメルヘンの世界を提示しようとするのが、今の満月動物園のスタイルとして、定着してきつつある。

 今回は昔の台本のため、全体的に無駄な場面も多く、イメージが散漫になり、緊張感が削がれてしまうのが問題だが、戒田さんは、敢えてそこには目を瞑り、6年前に目指そうとしたことを再確認するため、リライトを禁じて、演出に徹したようだ。これは、次回、第十五夜を迎えるにあたってどうしても必要だった助走なのだと気付く。しっかりと自分たちの目指す芝居を再確認することで、新しい地平に旅立てるはずだ。

 

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