あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

山本覚馬・新島八重生誕の地を訪ねて

2012-12-19 22:04:57 | プチドライブ・地域の事

ちょっと前の事になるのだが
以前通りすがりに「八重の桜」関連の地という看板を見つけて
気になっていて、たまに行く激安スーパーへ行った帰りに
立ち寄ってみようと思い立った。

近くには、昔通った自動車学校や県立若松商業高校などがあり
斜めに通る一方通行の細い道から大通りへと出る手前には
車どころか自転車だって容易に通れないような
人一人がやっと通れるような脇道があったりで
閑静な住宅地といった感じの場所だった。


路地裏の風景に懐かしさを覚える。

一角が駐車場になって、ここは「八重の桜協議会」で管理され
ここからは歩いて行く事にした。


道路から奥まった場所へと…。

「山本覚馬・新島八重生誕地」の大きな看板があり
そこの端に車を停め、細い路地を30メートルほど歩いて行くと
普通のお宅の門の脇に大きな石碑があり
やはり石碑には「山本覚馬・新島八重生誕地」と
明日の夜は何国の誰かながむらん なれし御城に残る月かげ」と彫られ
降伏し開城する前夜、三の丸の城壁にかんざしで和歌を刻んだと言われている。

説明文詳しくは  ポチっと!! 

今はすでに個人の住宅となっており石碑と案内板があるだけとなっているが
その昔、ここで生まれ育った新島八重はどんな幼少時代を過ごして来たのだろうか。

戊辰戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を極め
まさにハンサムウーマンの的生き方を自ら望み
若松城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦した…とある。

私自身、来年から放送されるNHKの大河ドラマでもなかったら
ハンサムウーマンを知ることはなかっただろうなあと思った。

ちなみに! 新島襄の一生は病気との闘いだったようで
八重の結婚生活は介護との戦いだったらしい。
あまり知られていないが、八重は献身的に新島襄を介護しており
結婚生活の3分の1は新島襄の看護に費やしていたのだそうだ。


という事で、今日の磐梯山をUP!

 


 

コメント (26)
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