あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

八重の桜 所縁のお寺を求めて 

2012-05-01 22:35:43 | プチドライブ・地域の事

先日の事近所の人が知ってる?と聞いて来た。
なんでも、来年の大河ドラマ「八重の桜」の所縁のあるお寺が近くにあるのだが
それは何処にあるか?と、通りすがりの人に聞かれたのだと言う。

そんなお寺があったなんて聞いたのは初めての事で
っていうか、正直 八重の桜の主人公である新島八重の事でさえ
地元にいて知らなかった私。

話によれば、あの道筋をずっと行った場所にあるらしいのだけど
そんな八重の桜縁のお寺なんぞ聞いた事も見た事もない。
ちょっと有名なお寺と言えば、以前お祭りで一日だけ駅の出来た
通称地蔵さまのお寺…あそこではないよなぁ~?

と、今流行りの歴女のつもりはないが
せめて地元の歴史くらいは知らずじまいだったの言うのも癪なもので
とりあえず行ってみる事にした。

そこは思ったよりも近くにあった。


八重の桜所縁の寺・光明寺

以前何度も通ったはずで、公民館らしき建物が隣接しているのは知っていたが
普通のこぢんまりとした村のお寺って感じだったのだけど
いつの間にか「八重と会津博」の幟が何本か立てられていたので
すぐにここが八重の桜所縁のお寺なのだと分った。

空は晴れ、そのお寺の桜は満開だった。
人っ子一人いるわけでもなく、シンと静まりかえった昼近くの事。

時は4月も末の、遅い会津の春は今まさに春爛漫で
満開の桜が、ちょっとした風でも桜吹雪となってしまいそうな
そんな穏やかな陽射しの中にいくつかの墓石…八重の桜の幟でもなかったら
きっと見逃してしまっていたであろう、何の変哲もない様なお寺。

満開の桜の下を砂利が敷き詰められており
そこをゆっくりと歩いて、お寺の正面へと
そこには説明板が張られており、新島八重の父である山本覚馬
9月17日、このお寺のある一ノ堰地区で戦死したとあった。
享年61歳だったという…これが所縁だったのかと納得。


八重子の父・山本権八の墓石


他には会津藩家老一之瀬要人墓


会津藩士玄武隊有賀九左衛門墓や会津藩士田原重義墓なども並んでいた。

城下町としては少し離れている一ノ堰地区は、会津戦争終盤に激戦のち
兵糧通を確保する為寄合白虎隊を含む会津藩士の精鋭が西軍との激戦を行った場所とされ
此の戦いは烈しく、総督で家老の一之瀬要人や寄合白虎一番隊隊長原早太も戦死している…とあった。

戌辰戦争戦没者については  詳しくはこちら!! 

 そっとしておきたいような、また多くの人に訪れて欲しい様な
何とも複雑な気持ちではあったが、またひとつ
埋もれていた会津の歴史を見つけたような気がした。


光明寺の桜をUP!

 

 

 

コメント (34)
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