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ぽちごや

FC東京のディケイドSOCIOです。今シーズンは丹羽ちゃんとともに闘います。

黄金を抱いて翔べ

2012-12-01 00:07:47 | 映画

あすはとうとう今シーズンの最終戦です。東京はひと足はやいシーズンオフに入ってしまうのですけど、自分はオフになりますとサッカーをほとんど観ません。体育会から文化系に転入する感じ。とくに映画を観る機会が増えます。

自分的映画シーズンの開幕戦は、「黄金を抱いて翔べ」でございました。

まったく飽きることのない、密度の高い作品でした。とっても面白いです。

例によって予備知識ゼロですから、基礎となるストーリーそのものも楽しむことができました。原作もあるし公開して時間もたったので、ネタバレ上等ってことで。まだ観てないかたはご注意を。

北川と幸田はどろぼうさんです。ひさしくおつとめはご無沙汰だったようですけど、北川に呼ばれ幸田が大阪に来て、新しいおつとめが始まります。銀行の地下に貯蔵してある金塊がターゲット。北川の緻密だけどスケールが大きく、楽しいおつとめ計画のもと、大阪の街でその道のプロがスカウトされます。錠前破りの幸田、爆弾作りのモモことチョウ・リョファン。システムメンテナンスの専門家で、ターゲットとなる銀行に入ることができる野田、エレベータメンテナンスの専門家であるじいちゃんこと斉藤。これに北川の弟、春樹が加わった6人のパーティです。

話の筋は、おつとめの準備から決行までを、一方的などろぼうさん目線で描くストーリーです。ドラマチックかつスリリングにするために、メンバーのサイドストーリーを絡めさせます。幸田は子供のころ吹田に住んでいて、母親に連れられ教会によく行ってました。母親は教会の神父と関係しています。その教会が火事になったことを契機に大阪を離れるわけですけど、火事と幸田に深い関わりがあり、それが幸田の人格形成に影響しています。また幸田は、北との繋がりもある左翼活動家の山岸とも関係があり、北との関連に少なからず知識があります。モモは、北のスパイです。末永という、北と日本の二重スパイを追う過程で逆に末永に嵌められ、北に追われる身となっています。来日した兄が、自分を処分することを命じられているとわかり、兄を殺してしまうことで、北の工作員が身近に迫るようになりました。斉藤はいまは中之島の清掃員をしていますけど、情報屋でもあります。末永との繋がりもあります。春樹は厭世的な自殺願望者です。自暴自棄のはけ口をギャンブルにかけ、キングが主催するカジノで問題を起こし、キングに目をつけられています。北川はメンバーで唯一家族があり、奥さんと息子の三人暮らしで、トラックの運転手をしています。家族仲はよく、奥さんのお腹には、二人目がいます。

人がいないところに行って、人間になりたいという北川のセリフに始まり、同じセリフで終わります。北川のキャラクター設定から、春樹のような厭世的なものは感じられません。むしろ野心家な印象があり、世の中との関係を密接に持ちたいほうだと思います。ちょっとセリフの意図はわかりませんでした。

銀行強盗を軸に、北、教会火事、キングの報復と3つのサイドストーリーが絡む構成ですが、作品に濃密なスリル感を生み出しているのは、モモの存在です。北の工作員に追われるモモをパーティに導いたことで、パーティも北の追跡にさらされることになります。モモ自身はもとより、末永に買収された山岸が、モモの居場所をつきとめるために幸田に近寄ります。山岸は野田にも接近していて、裏家業が初体験の野田はビビっています。また山岸は、春樹がモモと近い関係にあると知り、春樹を拉致してモモとの交換条件にしようとします。末永はキングも買収しており、キングもモモを追っています。モモを追う過程でキングはふたたび春樹と幸田に出会い、多数で囲んで重傷を負わせます。春樹は、山岸と北川、幸田との間で成立した交渉で取り戻します。モモは、パーティが用意した爆弾製造と身を隠すためのアパートに匿っていて、とりあえず安全です。

一方、北川家とキングの私闘のほうは、エスカレートします。春樹と幸田に怪我を負わせた報復で、北川はキングを襲います。キングはその報復として、身重の北川の奥さんと息子を車で跳ね、事故死させます。この私闘は、原因が自分にあると感じた春樹がキングと刺し違えたことで決着しますけど、北川は、ひとりになってしまいます。

パーティのなかにも不穏な空気が生まれます。工作員が知るはずのないモモの居場所を知っていたり、山岸が幸田と春樹がモモと関係していることをなぜか知っていたり、不審なことが重なります。パーティのなかで唯一問題に直面していないじいちゃんがやはり犯人で、末永の情報屋をしていたのです。幸田がじいちゃんを糾弾しようとしますけど、じいちゃんと話すなかで教会火事のことをじいちゃんが知っていて、子供のころに面識があったとわかり、いったんは問題にしないことになりました。

モモに向けた北の訴追が危険な状況になってきたこと。北川が家族をすべて失い、後に引けなくなったこと。自分の過去を知り、かつモモを危険にさらす原因を作ったじいちゃんに対する、幸田の糾弾。さらに、野田がシステムメンテナンスのために銀行に行く日取りなどが影響し、決行の日取りが決まりました。変電所爆破、共同溝爆破、警備員の処分、金塊保管庫の爆破、エレベーターの対処、変装用の服など、決行に向けた準備がいよいよ整います。

そんなおり、ついにモモの居場所が末永の知るところとなり、襲撃されます。たまたま、バッテラを食べたいというモモに差し入れるため居合わせた幸田も襲われます。二人は瀕死の重傷を負いますけど、隠れ家を抜け出しかつて家事があった、あの吹田の教会にたどり着きます。朝を迎え、冷たくなったモモを残し、銀行に向かう幸田。北川とじいちゃんは、エレベータメンテナンス会社の人間になりすまして銀行に潜り込みます。野田は、変電所と共同溝を爆破します。警備員を処分し、ついに金塊にたどり着く北川と幸田。逃避の直前に、幸田がエレベーターをコントロールする部屋に潜入していたじいちゃんの元に向かいますが、ついてみるとじいちゃんは自殺していました。一枚の写真を残し。そこには、幼少の幸田と母親、それに神父姿のじいちゃんが映っていました。

この作品は、無駄がないです。だから面白いんだと思います。4つのストーリーをすべて一人称で描いています。よく関わった当事者それぞれの目線を絡ませる構成がありますけど、それだとテーマの深堀ができる一方で、スピード感は失われやすくなります。無駄というのは言い過ぎで、テーマや監督の方針でディレクションが変わって然るべきだと思います。ですけど、この作品のテーマには、この一人称の描き方が合っていました。

それから、大阪を舞台にしているところが活きていると思います。シリアスなドラマにも関わらず、どことなく肩の力が抜けた緩さがあるのです。井筒監督のキャラクターそのものですね。たとえば襲撃されている銀行の行員さんが、絶望的な恐怖感ではなくどことなく他人事のように飄々としている様が、大阪的なのです。これも、4つのストーリーにフィーチャーするため、余計なエクスキューズを省こうという意図なのかもしれませんね。

ストーリーがシンプルな分、密度の高さはキャストに負っています。それぞれのキャストが、しっかりとキャラクター設定していて、細やかな表現を見せてくれます。それが、観ている側をスクリーンに惹きつけるのだと思います。北川、幸田、モモ、春樹は、大阪人ではありません。じいちゃんも、大阪に長く住んでいるにも関わらず大阪弁を話しません。パーティで大阪ネイティブは野田だけ。そのような設定も、シンプルな舞台に登場する人物のキャラを立てることに一役かっているに違いありません。

幸田を演じているのは、妻夫木くんです。悪人で感情を抑制したキャラクターを演じ、びっくりさせられましたけど、幸田もまた、かつての妻夫木くんのイメージを覆します。冷徹で影がある人物で、目つきが尋常ではありません。妻夫木くんはますます幅が広がりますね。ただ、悪人と違って性格や行動に多少抑揚がありますし、キャラが立っていますから、それほど演技は難しくなかったんじゃないかと思います。

浅野忠信さんの存在感は、スクリーンから匂ってきそうです。もともと目に表情が少ない役者さんで、抑揚のないキャラが多かった印象があります。北川は表情も行動も賑やかで、およそ真逆なキャラクターですけど、浅野さんはうって変わって表情豊かに演じていました。

チャンミンさんは、東方神起なんだそうですね。自分は韓流は全然わからないのですけど、ちょっとだけ魅力がわかったような気がします。パーティのなかで、繊細で美しいルックスは際立っていました。俳優デビュー作だそうですけど、存在感バツグンなので、よい役者さんになりそうです。

西田さんは、得てして余計なサービス精神がオーバーフローすることがありますけど、ひたすら影ある演技に徹すると、逆に素晴らしい存在感になります。

キングのように、キレたチンピラをやらせると若手では一品の青木崇高さん。目がすでに尋常ではないですからねw。

我らが自転車役者、鶴見辰吾さんはすごく幅広い役を演じられる役者さんになりましたね。今作ではフィクサーを演じますけど、静かな狂気を匂わせ、怖かったです。

井筒和幸監督の作品を観たのは意外に少なく、二代目はクリスチャンとパッチギだけ。映画館で観たのは今作が初めて。監督が想いを込めて作られたそうですけど、その想いが濃厚に伝わる、素晴らしい作品ですね。

129分のなかにドラマがぎっちり詰め込まれた、まったく飽きることのない作品です。男っぽいお話ですからデートには向かないかもしれませんけど、素晴らしい娯楽作品です。オススメ。


踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

2012-09-20 20:54:24 | 映画

真夏かと思うような猛暑日があったと思えば、大雨があったり、不順な週を経てようやく秋めいてきました。天高くぽちも肥えますw。

踊る大捜査線の新作を観ました。

冒頭に、since1997という文字が出てくるのですけど、あれから15年なんですね。なんだか遠い目をしてしまいます。当時27歳ですよ、ボクw。

自分も歳をとりましたけど、踊るも歳をとりましたね。キャラの設定を歳相応にしているのですけど、テイストは変わりません。それが良いのか、そうでもないのか。青島くんがひらの刑事のころは「こんな奴警察にいそうにないけど、若手のなかには案外いるかもな」程度のリアリティを感じられたんですが、係長ですからね。さすがにちっとは分別ができると思うんです。組織のなかにいる人は、階層によって視野が違います。警察のことはわかりませんけど、会社でいえば、若手社員が会社に対して感じる違和感も、経験を重ねて組織全体を見る立場になれば変わってくるものです。組織の運営には多くの要素が絡みますけど、表面的な問題を指摘することは割りと簡単にできます。だけど、問題を解決しようとすると、複雑に絡む糸のどこから解きほぐすか判断と実行力が問われます。多くの人は糸の何本かを意識することができるようになりますけど、俯瞰できなかったり、ほどき方がわからなかったり、めんどくさかったりして、絡んだままにする。青臭い批判精神は、この様な放置を見て見ぬふりと言い、大人の分別として批判します。踊るのテイストは、このような青臭い批判精神に基づいています。これが大人になった自分が踊るを見て感じる物足りなさの由縁だと思います。

もちろん、この演出方針が悪いわけではありません。ひとつの選択肢であることは間違いないです。つまり、男はつらいよ的なアプローチと言いますか、お約束の連鎖による、コアなファンのリテンション。思い付く限りお約束を上げてみます。

(お約束その1)
数本のシナリオが同時進行し、クライマックスで一本にまとまります。今作のシナリオをざっと上げてみます。
・イベント会場と路上の殺人事件の捜査
・公安による現役警官の調査
・6年前に起こった幼児誘拐殺人事件との関連
・すみれさんの退職
・鳥飼管理官のミステリアスな行動
・発注ミスしたビール
(お約束その2)
クライマックスで青島刑事が単独捜査。それを無線で応援する室井管理官。
(お約束その3)
所轄刑事が冷遇される。最後は室井管理官が登場し、本庁と所轄の合同捜査になり、所轄が地味に活躍する。
(お約束その4)
スリーアミーゴスのコント。クライマックスでちょっとだけかっこいいことを言う。
(お約束その5)
東京のランドマークがストーリーに絡む。今回はスカイツリー。
(お約束その6)
お馴染みの小道具。青島刑事のコートと赤いネクタイ。すみれさんのカップラーメン。カエル急便。などなど。
(お約束その7)
お馴染みのキャラクターたち。

などなど。カルト的なお約束はもっとあると思いますけど、そこはマニアにお任せしますw。

ファンが見たいものを見せるというのは、日本のエンターテイメントの伝統的なアプローチで、歌舞伎や忠臣蔵、水戸黄門などのように様式美として受け入れられます。踊るは、様式美でアプローチすることを選択したんですね。様式美は大衆から生まれますけど、極めるとそれが、祭礼や学問に昇華されます。寅さんは大衆であり続けました。釣りバカもそう。踊るの様式のなかに神秘性が宿れば、踊る教や踊る学が生まれる可能性はあるわけですw。様式が美学として昇華される過程で、必ず飽きられるという工程を経ます。時代の変化に無頓着であり続けることが求められますけど、踊るの限界のひとつは、時代とシンクロせざるを得ないパラダイムにいる民放の資金に依っていることです。つまり、飽きられることが必定の戦略にも関わらず、飽きられてはならないというジレンマに陥っているのです。感じるのは、組織を批判する踊るが、組織の意向に従っているという矛盾。

自分は民放をほとんど見ません。どうしても他に選択肢がなく仕方なく見ることが年に1、2回ある程度です。民放は視聴者に面白可笑しく情報を伝えることを理念としていますけど、それが民放の番組に見られる軽薄、誇張、過剰装飾の原因だと思います。踊るの主題は、組織化による弊害に対する警鐘です。今作も警察組織をモチーフとして東京電力の隠蔽体質を批判していますけど、分かりやすくしようとするあまり、原因の深堀がなされてません。責任の所在が曖昧で、機動性がなく、隠蔽体質で、個人を埋没させるという、組織に対して一般大衆がもつ負のイメージに迎合しているだけです。組織には当然メリットがありますし、レゾンデートルもあります。第一大方の日本人は組織に属していて、大なり小なり責任のたらい回しや隠蔽をやっているわけです。係長という組織の運営側に片足を掛けかけた青島刑事が、自分のプリンシパルとの間で苦しむことが想像されるんですけど、そこにドラマの主題をおくチョイスもあると思うのです。残念ながら、光と影の分析は民放のパラダイムではできません。そんな踊るに流れる民放気質が、民放を見なくなったここ数年を経て、気になるようになったのかも知れ ません。

サブタイトルにTHE FINALとありますけど、まさに潮時かもしれませんね。

いずれにしても、15年の長きに渡って続けてきたことと、社会現象にまでなった実績はゆるぎません。かくいう自分もかなり影響されました。「レインボーブリッジを封鎖せよ!」では、個人がルールではなく意思によって有機的に繋がり、有効なグループを形成する仕組みを教えてくれました。いまでも、自分が理想とする組織像です。自分が歳をとって(成長して?w)、踊るを卒業するときが来たのかもしれませんね。踊るが潮時なのではなく、自分のほうが潮時なんですね。踊るは、組織論の普遍的な入門編なのかもしれません。

小難しく表現しましたけど、今作も踊るらしく分かりやすくて小気味よく、面白いです。踊るはミクスチャームービーですけど、今作は踊る自身のミクスチャーです。なので踊るの基礎知識が必要です。初めての人は分からないところもあると思います。

織田祐二はあいかわらずワニ顔でかっこいいです。スタイルやコンディションを維持するのが大変な年齢(44歳)になってきてると思うのですけど、その努力をすごいと思います。何よりも走る後ろ姿が綺麗なんです。走り姿が絵になるおっさんは、柴田恭平か館ひろしと、織田祐二くらいですかね。

深津絵里もあいかわらずチャーミングですね。今作では捜査にほとんど絡まないのですけど、結局事件を解決するのは恩田刑事なのです。

年齢を感じさせないと言えば、なんといっても内田有希です。36歳ですよ(失礼)。いつまでも可愛くいてくださいねw。

小栗旬がミステリアスな存在感に溢れてます。岳の天真爛漫な演技とうって代わり、影のあるキャラをかっこよく演じてました。

15年という年月は、出演者の人生にも関わるんですね。「レインボーブリッジを封鎖せよ!」ではいかりや長介さんを見送りましたけど、今作は小林すすむさんの遺作となりました。ご冥福をお祈りします。

おそらくこれが、踊る大捜査線シリーズ最後の作品になるんでしょう。大人になった自分を感じながら、15年間を振り替えることができた作品でした。

そんなおじさん、おばさん達にオススメです。


ダークナイト・ライジング(The Dark Knight Rises)

2012-09-08 18:23:02 | 映画

ひさしぶりに映画でございます。

シーズン中はなかなか行けません。加えて今年はすっかり旅好きになってしまいましたから、映画館にくる選択肢がなく。まぁ、食指が動く作品もなかったわけですけど。

ダークナイト・ライジングです。えと、バットマンシリーズを初めて観ました。もちろんクリスチャン・ベイルのブルース・ウェインも初めて。バットマンの基本的なこと、たとえばバックグラウンドやキャラクターもほとんど知りません。なので、先入観なく、純粋にいち作品として観ました。ちなみにダークナイトとは、闇の騎士という意味です。カタカナにすると紛らわしいですね。

とっても長い作品なのですけど、あまり時間を感じず楽しめました。オススメです。

正と邪が共存する街ゴッサムシティは、グラマラスな街です。こういうテイストは西洋世界でしか作り得ないですね。たしか原案のゴッサムシティは架空の都市という設定だと思いますけど、この作品中では、USAに属する街として描かれています。モデルはNY。これはバットマンビギンズからなんですかね。前作ダークナイトの内容を知らないので、イントロダクションがよくわかりません。やっぱりハンディキャップはあります。気になるかたは前作をご覧になったほうがいいですね。今作を観て、たぶんこういうバックグラウンドだろうと思われるww、前作のポイントをまとめてみました。

・ブルース・ウェインは前作で怪我をした。とくに膝が悪く、歩くのもままならない。

・最愛の人レイチェルを前作で亡くしたけど、自分が殺したも同然と思っている。いまは豪邸に執事のアルフレッドと二人暮らし。

・一方ゴッサムシティは、前作で殉職した検事(実はトゥーフェイスで、バットマンと闘って死んだ)”ホワイトナイト”ハービー・デントのおかげで、平和。デント法が制定され、ゴッサムに巣食っていたマフィアやならず者が捕縛されたため。捕縛した悪党は、刑務所に収監されている。

・街から犯罪が減り、体も悪く、レイチェルへの贖罪の気持ちもあって、ブルースはバットマンを引退している。

・ブルースはウェイン財団の理事のひとりだが、運営はフォックス社長に任せていて、屋敷から一歩も出ない。表の顔も引退状態。

物語は、パヴェル博士が開発したクリーンエネルギーと称する核融合装置を軸にして進みます。闇の同盟の後継者を名乗るベインがパヴェル博士を拉致。さらにベインは、ウェイン財団が保有する核融合装置を、軍事利用するため略奪しようとします。ブルースはゴッサムの発展に新エネルギー開発が必要と考え、クリーンエネルギー計画を進めていました。核融合装置は、そのために購入したものです。開発したパヴェル博士が、軍事利用の可能性を論文で発表したため、ウェイン財団は装置の存在を秘密にしていました。

ゴッサムシティにベインが現れます。狙うは核融合装置。装置そのものを直接盗むのではなく、ウェイン財団が持つ保有権を略奪すべく、合意な株式操作を行います。ブルースの指紋を盗み、証券会社のシステムに侵入。結果、ブルースは破産。彼に救いの手を差し伸べたのは、ブルースのクリーンエネルギー計画に賛同していた、資産家のミランダ・テイトです。

ブルースの指紋を盗んだのは、セリーナ・カイル。ゴッサムを根城にする、”キャットウーマン”こと、宝石泥棒です。

ベインを雇ってゴッサムに連れ込んだのは、ガルシア市長と資産家のダゲット。かつてのマフィアに代わって街を支配しようという企みです。

そんな、平和な街に訪れた邪悪再来の雰囲気を感じ取り、世捨て人ブルースがふたたび立ち上がります。1回目のRiseです。痛めていた膝にギブスをはめ、封印していたバットスーツを取り出します。フォックス社長が、ウェイン財団開発部で秘密裏に開発していた新兵器THE BATを起動します。バットマンの魅力はアイテムのかっこよさですけど、今回のバットマシンは車ではなくヘリコプターです。こうもりは空が似合いますw。証券会社襲撃からバイクで逃走するベインの前に、8年ぶりに登場したバットマン。バットポッドで再来!。警察に取り囲まれますけど、THE BATで闇に消えます。

市長、ダゲットと結託したベインは、水面下で街の支配を準備します。フットボール開幕戦で、街中の下水施設に仕込んだプラスチック爆弾を爆発させ、街の機能を停止。これでゴッサム市警の大多数が地下に閉じ込められます。さらに我らがジェームズ・ゴードン市警本部長もベインの襲撃により負傷。ついにゴッサムに邪悪な世界が復活します。ブルースとウェイン財団はこれを阻止しようとしますけど、単身ベインのアジトに乗り込んだバットマンは、ベインとのタイマン勝負に破れ、ベインが産まれた刑務所に送り込まれます。この刑務所は地下にあり、脱獄した者は過去にひとり、刑務所で産まれた子供だけです。ボロボロになったブルースは、脱獄不可能な刑務所のなか。ゴッサムシティはベインに支配され、釈放された犯罪者が善良な市民を裁く、アナーキーな状態になります。

ベインによって略奪された核融合装置は、時限付きの中性子爆弾と化し、トレーラーに乗せられて街を巡回しています。刻々と迫る、爆発のとき。

危機迫る街を救うために立ち上がったのは、4つの力です。ゴードン本部長が怪我をおして、警察を中心としたレジスタンスを組織し、陣頭指揮をとります。若き熱血刑事ジョン・ブレイクもレジスタンスに参加し、生き埋めになった同僚の救出に奔走します。そして、ブルース。刑務所で出会った囚人との交流で、精神と肉体を鍛えなし、最強の闇の騎士、バットマンが復活します。これが2回目のRiseです。こっそりゴッサムに舞い戻ったブルースに説得され、セリーナもベイン退治に参加します。

ブレイクによって救出された警察隊とベイン党とが激突する騒乱のなか、バットマンとベインがふたたび対峙します。バットマンと仲間たちは、ゴッサムを救うことができるのか?

結末を書くとネタバレになるので、やめておきますw。ご覧になって確認してみてください。

クリスチャン・ベイルは、ザ・ファイター以来2度目です。ザ・ファイターでは、ジャンキーのイかれた兄貴役でガリガリに痩せた姿でしたけど、今作ではまったく面影なく。高貴だけど影があり、セクシーなブルース/バットマン役にぴったりです。とくに口元。バットスーツは目と口しか開いてません。目の動きは、ミステリアスにするため外から見えにくくしていますから、ことさら口元が重要になります。ベイルは、凛としたなかにもセクシーな唇で、印象に残りますね。

アン・ハサウェイのセクシーさにノックダウンです。顔立ちといい、タイトなキャットスーツにつつんだボディも超セクシー。キャットウーマンを観るだけでも、今作の価値有りw。

超メジャーなシリーズ作だけに、名優さんがいっぱいです。ゴードン本部長役のゲーリー・オールドマンは、なんとなく悪役のイメージがあったので新鮮でした。ブレイク役のジョゼフ・ゴードン=レヴィットもポイントです。50/50で強く印象に残った、キュートな笑顔は今作でも健在でした。

予備知識がなくても、十分楽しめます。重低音を重視した音楽も迫力満点で、160分を超える大作ですけど、飽きることなく最後まで見れました。オススメです。


ヒューゴの不思議な発明(Hugo)

2012-03-27 19:53:02 | 映画

ヒューゴの不思議な発明を観ました。

とてもキュートな映画です。しかもあったかい。リズムも良くて、観賞後が気持ちいいです。この前もそんなこと感じたけど、最近当たりがいいのかな。映画が持つ、楽しさ・ワクワク・ドキドキをギュッと凝縮したような作品です。そこはかとなく映画への愛やリスペクトを感じます。

ヒューゴ・カブレは駅のネジ巻きをしている孤児。時計屋のパパと二人暮らしをしていましたけど、博物館の火事に巻き込まれパパは死んでしまいました。クロードおじさんに引き取られ、駅の「壁のなか」に引っ越しました。飲んだくれのおじさんは酔っぱらってばかりなので、おじさんに代わってヒューゴが駅の天井から下がっている大時計のネジを巻きます。ヒューゴのもうひとつの仕事は、ぜんまい仕掛けのカラクリ人形を修理すること。それはパパが博物館から引き取って、ヒューゴと一緒に直していた大事な人形で、クロードおじさんに引き取られる時、ヒューゴがただひとつ持ってきたものです。パパいわく、何かを書く仕掛けになっているらしい。ヒューゴはひとりで駅のオモチャ屋からくすねた部品で修理してましたけど、とうとうオモチャ屋のおじいさんに捕まり、パパが残した修理ノートを取り上げられます。ノートを取り戻そうとおじいさんの家まで来たら、同い年くらいのキュートな少女に出会いました。おじいさん夫婦の家に住んでて、名前はイザベラ。冒険が好きなイザベラはヒューゴの理解者になり、おじいさんとヒューゴをさりげなく仲介します。ヒューゴの機械修理工としての腕を認めたおじいさんは、店の手伝いを条件に、部品を提供します。偶然最後の部品を見つけたヒューゴとイザベラは、人形の修理を終え、動かしてみます。人形は意外なものを書きました。それを機に、物語は登場人物の謎解きに一気に展開します。

この作品は、映画作家ジョルジュ・メリエスの伝記です。マーティン・スコセッシ監督が世界中の映画好きに送る、映画とメリエスに向けたオマージュ。監督はストレートな伝記ではなく、フィクションを織り混ぜたファンタジーに仕立てています。ジョニー・デップがプロデュースに加わっていますけど、そういえば「チャーリーとチョコレート工場」に雰囲気が似ています。ファンタジーにすることで、最初期の作り手が持っていたイノベーターとしての情熱と、それを遠く想う現代の作り手が感じるサウダージを強調できているんだと思います。ジョルジュ・メリエスは18世紀後半から19世紀にかけて活躍した映画作家で、SFXの先駆者だそうです。本作でも出てきますけど、月にロケットが突き刺さるシーンで有名な月世界旅行などの作品で、映画史に名を刻んでます。メリエスの映画作りを再現するシーンがあるんですけど、ガラス張りのスタジオや、レールや火薬を駆使した舞台装置があることがわかり、当時の様子がよくわかってドキュメンタリーとしての価値もこの作品は持っているんじゃないでしょうか。

ヒューゴ・カブレを演じるエイサ・バターフィールドは、劇場版999の星野鉄郎みたいな雰囲気を持っています。意思が強く大人びているんだけど、少年のキュートさも持ち合わせていて魅力的です。

イザベラのクロエ・グレース・モレッツがスーペルにキュート♪。ついつい視線が彼女に向いちゃいます。長澤まさみに似たたぬき顔で、日本でも人気が出るんじゃないかな。彼女の笑顔で、この作品の明るさを引っ張っていると思います。

ティーンエイジャー二人が活躍する作品ですけど、テーマはいにしえの映画界に向けたオマージュですから、ベテランも素敵に輝きます。イザベルのパパ・ジョルジュとママ・ジャンヌが仲良しで素敵です。図書館の司書ムッシュ・ラビスは一見怖そうなんですけど、実は優しい。

鉄道公安官のギュスターブと相棒犬のマキシミリアンが物語に笑いとスリルを演出します。ヒューゴとイザベルの爽やかなカップルもいいのですけど、ギュスターヴと花屋のリゼット、ムッシュ・フリックとエミーユ夫人の恋も微笑ましいです。

アカデミー賞の美術賞を受賞しています。密度の濃い、西欧の都会的なセットは圧倒的です。終始、黄昏時の風情ですけど、かつての映画界に向けたノスタルジーを表現しているのかもしれません。

そういえば初めて3D作品を観ました。最初は違和感があったんですけど、そのうち忘れました。ただ、本来3次元のものを、いったん2次元にした後ふたたび3次元化していますから、どうしてもナチュラルじゃないですね。技術的には、まだまだこれからというところでしょうか。

観客を選ばない作品ですから、どなたでも楽しめると思います。


おとなのけんか

2012-03-09 22:26:50 | 映画

おとなのけんかを観ました。予告にやられてw。

一場面ものです。基本的にシーンはリビングだけで、移動してもせいぜいエレベーターホールくらいです。登場人物も2組の夫婦計4人だけです。「十二人の怒れる男」みたいな感じ。こういう作品を語るのは野暮だと思います。とにかくおもしろいので、なにしろまあ観てみてくださいw。

一応背景だけ。ニューヨークの公園で11歳の男の子どうしザカリーとイーサンがけんかして、イーサンが顔を怪我します。かれらの両親が善後を落ち着いて話し合うために、イーサンの家に集まってます。ザカリーの父親アランは薬品会社の弁護士です。新薬の副作用問題で訴訟を控えていて、その準備で忙しい様子です。母親ナンシーは証券ブローカー。イーサンの父親マイケルは商店主。母親ペネロペは夫いわくライターですけど、主にはアルバイトをしています。
最初は穏便に話し合っていた4人ですけど、もともと個性がたった人達ですから、次第に議論がヒートアップしていきます。それぞれのキャラクター設定をまとめてみました。
・ペネロペ(ジョディ・フォスター) : 明るくて社交性がある。→自尊心が強く、違う考えを受け入れられない。
・マイケル(ジョン・C・ライリー) : 人間関係を大切にし、オープンで気さく。→傲慢。ペネロペの気位の高さが気に入らない。
・ナンシー(ケイト・ウィンスレット) : 控えめな淑女。マイペースな夫に困りつつも、強く言わない。→周囲の人に言いたいことが鬱積している。
・アラン(クリストフ・ヴァルツ) : ジコチュー。仕事第一で家庭のことは妻に任せきり。

アランだけが最初から最後まで変わらない。アランのジコチューっぷりに、他のひとがだんだんイライラし始め、少しずつ本性を表します。まるで合唱隊が輪唱するように。もしくはオーケストラの多重演奏。全員の本性が出たところで、物語はクライマックスを迎えます。

「十二人の怒れる男」とのちがいは、登場人物がその場にいなきゃいけない必然性が無いこと。だから精神的に追い込む緊迫感はありません。それを逆手にとってます。その場にいる必然性がないのにその場に居続ける不自然さが楽しいのです。

なにしろほぼ4人しか登場しませんので、俳優さんの個性がそれぞれ際立ってました。まんべんなく順番に見せ場がきますので、演じていても楽しいでしょうね。なかでもストーリーの進行で重要なアクセントになっていたのがアランのジコチューです。ここっていうときに携帯に電話がかかってきますw。観る側は、最初はアランにイラつくんですけど、最終的にはアランにだけ妙な信頼の感情が芽生えます。クリストフ・ヴァルツはイングロリアス・バスターズで存在感をみせてましたね。

ペネロペの神経質なキレっぷりが、いかにもジョディ・フォスターな感じです。

ケイト・ウィンスレットは、綺麗な淑女と、ある失態を経た豹変っぷりを好演です。失態は見てのお楽しみw。

ジョン・C・ライリーは、何度か出演作をみてるんですけど記憶がなく。アランと対比した庶民を好演してました。

繰り返します。なにしろとにかく観てください。コンパクトでキレのある作品です。

タイトルにもありますけど、大人のみなさんにオススメ。