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19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した(1)

2013年08月03日 | お日様とお月様の光と影
  1600年~1867年の267年間を日本では江戸時代と呼んでいます。長く続いた戦国時代の決戦である関ヶ原の合戦(1600年)が起き徳川家が率いる東軍が勝利しました。そして勝利した徳川家が江戸(現在の東京)に幕府を開き徳川家が将軍職を独占的に世襲し日本を独裁支配をしました。

  幕府は農業・工業・商業・貿易また人の移動、衣服や髪型、芸能、芸術、職業、宗教、学問に至るまでありとあらゆる事を統制し幕府が独占的に利益を得ていました。16世紀から19世紀の東アジアは儒教に基づく専制君主制であり清と李氏朝鮮そして江戸幕府も同様な封建社会だったと思われます。

  しかし江戸時代日本の統治機構である「幕藩体制」はかなり複雑で幕府が日本全体を支配していたのではありません。19世紀半ばには藩つまり300近い独立国家とその代表である幕府が存在する「連合国家」となっていました。 
 幕府は統治機構の行政組織ではあるが徳川家とその配下にある藩のための行政組織であったのです。そして徳川家とその配下に無い関ヶ原の合戦に負けた西軍の藩は幕府が独占している農業、商業や貿易などの利益の恩恵を得ることはありませんでした。  
当然徳川家以外の藩に不満が募るのは至極当然なことですよね!?

  19世紀半ば、西洋列強諸国アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダ王国・帝政ロシア・プロイセン(現ドイツ)は江戸時代日本の幕藩体制の統治機構を見て徳川将軍に対して異句同音に言いました。
 「日本は変わらねばならない(近代国家の構築)」

  しかし幕府は行政機構改革を行えない程に幕府内部は硬直化していました。黒船来航以来、硬直化した幕藩体制の統治機構を幕府が改革できないジレンマにありました。そして長く辛酸を味わった徳川家以外の藩の中に幕府の改革に乗り出した藩が登場しますそれが薩摩藩(現在の鹿児島県)でした。

 このコラムは 歴史上人物の伝説的活躍や筆者自身の長州藩ひいきをなるべく抑えつつ日本と清を中心に国家の近代化政策と外交攻防と内政攻防を描き出しましす。 また西洋列強諸国の外圧によって安政五カ国条約を締結した江戸幕府。第二次アヘン戦争であるアロー戦争後に西洋列強諸国と北京条約を締結した清。
 それにより西洋列強諸国の外圧によって清朝と江戸幕府の権威が失墜し両国内は内戦・テロが頻発する様になります。そして清と日本は西洋列強諸国との戦争の危機にエスカレートしていく「攘夷とういう狂気の時代」を描き出します。
 その時、朝鮮半島が無関心でいたのか?西洋列強諸国と東アジア諸国との外交攻防と内政攻防の「東アジア近代化クロノクル(年代記)物語」を描いていこうと思う。




 つづく



  お日様とお月様の光と影~東アジア近代化クロニクル(年代記)~ 
 
 第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
  プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!(1)


筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。


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