アジア・オセアニアNews blog ~お日様とお月様の光と影~

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1853年 アメリカ海軍東インド艦隊はなぜ朝鮮半島に立ち寄らなかったのか? 

2013年08月03日 | お日様とお月様の光と影
 19世紀日本にとって近代化のきっかけとなった事件があります。1853年、マシュー・ペリー提督が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船が日本に来航したのです。江戸幕府は江戸湾浦賀(現神奈川県横須賀市)にペリー艦隊を誘導しました。ペリー提督はアメリカ合衆国大統領国書を幕府に渡し開国を迫った事件を日本では「黒船来航」と呼んでいる。
 日本ではこの事件1853年から明治維新(1867年)までの14年間を幕末と呼んでいて「攘夷」か?「開国」か?「佐幕」か?「尊王」か?で国内が分裂しテロや内戦を繰り返す内政不安定期でありかつ日本が近代化へドラスティック(転換期)変化する時代であったと思います。 

 さてペーリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が東アジアに立ち寄ったのは小笠原諸島と薩摩藩支配の琉球王国(現沖縄県)に寄港している。ではなぜアメリカ合衆国海軍東インド艦隊はなぜ朝鮮半島に立ち寄らなかったのか? 

 それはアメリカはイギリス配慮し朝鮮半島を清の付属国と見たのではないのか?それでは1840年の清とイギリスとの戦争「アヘン戦争」を朝鮮半島はどう受け止めていたのか? 興味深いと思う。

 日本の教科書に載っている軍備の圧倒的格差である清軍の帆掛け船とイギリス軍の蒸気船との戦いを見て朝鮮半島はカルチャーショックを受け無いの方がおかしい?と思いませんか??後日そのことにつて朝鮮半島について調べてみよう
と思う。
 
  このコラムは 歴史上人物の伝説的活躍や筆者自身の長州藩ひいきをなるべく抑えつつ日本と清を中心に国家の近代化政策と外交攻防と内政攻防を描き出しましす。 また西洋列強諸国の外圧によって安政五カ国条約を締結した江戸幕府。第二次アヘン戦争であるアロー戦争後に西洋列強諸国と北京条約を締結した清。
 それにより西洋列強諸国の外圧によって清朝と江戸幕府の権威が失墜し両国内は内戦・テロが頻発する様になります。そして清と日本は西洋列強諸国との戦争の危機にエスカレートしていく「攘夷とういう狂気の時代」を描き出します。
 その時、朝鮮半島が無関心でいたのか?西洋列強諸国と東アジア諸国との外交攻防と内政攻防の「東アジア近代化クロノクル(年代記)物語」を描いていこうと思う。


  お日様とお月様の光と影~東アジア近代化クロノクル(年代記)~ 
  プロローグ
 
  つづく

 
  筆者は司馬遼太郎作品とNHK大河ドラマのかなりの
 影響を受けているようです。



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