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19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した 第一章 (22)

2014年05月14日 | お日様とお月様の光と影
 紀元前の中華大陸で誕生した儒教は東アジアと東南アジアの国々に伝わっていき儒学として根づいていきました。16世紀大航海時代、西洋列強諸国はとアジア諸国に進出して来てました。その時、東洋の儒教と西洋のキリスト教が出会いました。
 『1582年、明朝時代イエズス会のマテオ・リッチはキリスト教の布教を始めました。その時に「キリスト教の信仰を解説した「神学書籍」と科学技術を論じた書籍「西洋科学」が伝わります。以後中華大陸では多様なキリスト教宗派が伝播していき布教の盛衰を繰り返します。また中華大陸では西洋学は天文学や幾何学そして暦学などが伝わっていきます。しかし中華大陸では儒学に基づく中華思想によって西洋科学は実学として根づきませんでした。』②
 
 『朝鮮半島では中華大陸より漢訳された「神学書」と「西洋科学」が17世紀に伝わります。17世紀後半、北京のイエズス会で李承薫(イ スンフン)が洗礼受け朝鮮半島で私的に布教を行っていました。その後にイエズス会宣教師が朝鮮半島の北部でキリスト教の布教を始めました。しかし李氏朝鮮は極端な「儒教原理主義」でありキリスト教徒弾圧と西洋科学排斥とが苛烈に始まります。やはり李氏朝鮮でも極端な「儒教原理主義」によって西洋科学は実学として根づきませんでした。』③
 

 日本における儒教は8世紀平安時代より公家や武家支配層に浸透し実学として根づいていきました。また儒教の経典である四書五経(よんしごきょう)は「国家や政治」と「君主が守る志」などを説いていて公家や武家の「常識」として根づいていきました。
 
 16世紀1549年、エズス会のフランシスコ・ザビエルが布教のために鹿児島に上陸したことが日本においてキリスト教の布教の始まりとされています。『また1555年、同じイエズス会のルイス・デ・アルメイデが豊後(現大分県)に来日します。1557年、ルイス・デ・アルメイデは外科と内科の病院を開設しすま。キリスト教の布教と一体となっていましたがこれが日本において実学としての西洋医学の始まりでした。』④
 
 17世紀1600年、オランダ王国の商船リーフデ号が九州大分に漂着しオランダ王国と日本との国交が始まりました。『新興国オランダ王国は幕府に対してポルトガル人がキリスト教を布教するのは日本侵略の野心があると盛んに宣伝しました。』④
 『1637年、肥前島原(現 長崎県島原市)で重税に苦しむ百姓や浪人そしてキリスト教徒など3万人が蜂起する“島原の乱”が起きました。江戸時代初期に起きたこの大規模な反乱はオランダ王国の宣伝どうおりキリスト教徒主導の宗教反乱と幕府は認識してしまいました。』④

 1639年、幕府は島原の乱を武力鎮圧しキリスト教徒に対して危機感を感じました。そして幕府はキリスト教を禁じるためポルトガル人を長崎より追放しました。『また幕府はのキリスト教徒を取り締まるため1640年、各藩に対して「宗門改め」を命じ宗教管理政策を開始しました。以降江戸時代、武士、農民、職人、商人の職業を問わず仏教宗派に属しキリスト教徒ではない事を証明しなければならなくなりました。』⑤
 しかし宗門改めによって日本国内のキリスト教徒は消滅した訳ではありませんでした。信徒は密かにキリスト教を信じ明治時代まで信仰を守りぬきました

 1641年、幕府はオランダ王国に対して平戸の商館から人工の島“出島”に商館の移転を命じました。『出島に滞在許可を許されたオランダ商館員は男性に限られ女性の滞在は許可されませんでした。オランダ商館の役職は商館長(カピタン)副商館長(ヘルト)、調理人、荷受け人、商館医師(商館員の健康管理が任務)ほかに工作技術者がいました。また出島には日本人も働いていてその職務は貿易についての監督、指導する長崎奉行所の役人でした。中でもオランダ人との関係が深ったのがオランダ語の通訳を行う役人でした。』⑥

 18世紀8代将軍徳川吉宗はキリスト教の信仰を解説した「神学書籍」と科学技術を論じた書籍「西洋科学」を別け西洋科学書籍を解禁しました。そして吉宗は「オランダ学」を学ぶことを各藩に奨励し日本に“オランダ学”ブームが到来しました。
  政治学・法律学・天文学・暦学・医学・兵学などの西洋学を解禁して長崎で翻訳されました。やがて長崎は西洋学の発信地となっていき西洋学を学ぶ藩士や学者が長崎に集まって来ます。そして彼等によって長崎には「西洋学の知のネットワーク」が構築されていきます
 
 ユーラシア大陸に開かれた貿易港長崎は幕府の直轄地で長崎奉行所の管轄でした。この長崎警備を近隣の外様大名の佐賀藩と福岡藩が隔年交代で担当していました。この長崎警備任務は佐賀藩にとって負担でしたがしかし貿易港長崎から得られる海外情報と密貿易による利益は捨てがたい魅力でした

 1830年、鍋島直正は17歳で佐賀藩第10代藩主に就任しました。しかし佐賀藩の財政は既に破綻していたのです。前藩主父の斉直は浪費家で密貿易で稼いだ資金を湯水の様に使い果たししかも商人に莫大な借金まで作っていたのです。『直正が藩主に就任し参勤交代で江戸に出府しょうとした時に商人が借金の取り立てにやって来てずらりと並び直正の行列の出発を阻止しました。直正はこの出来事が強烈に印象に残り “もはや世の中を動かしているのは士農工商ではなく金である”と痛感しました。』⑦
 
 佐賀藩の財政問題が若き藩主鍋島直正に圧し掛かり抜本的な藩政改革と経済対策の断行を直正は求めらたのです。『まず直正は、藩の役人を大幅に削減するリストラを断行しました。父が作った借金はほとんど放棄させ残りは超長期ローンで返済を債権者の商人たちに認めさせました。そして直正は薩摩藩と同様に他藩の交流を断絶させ“二重鎖国”といえる秘密主義政策による藩政改革を開始しました。』⑦
 19世紀ヨーロッパにおいて蒸気機関が量産されて熱源である石炭の需要が高まっていました。幸運にも佐賀藩領内に炭鉱が発見され石炭の密貿易によって潤沢な藩財源を得ることができました。そして直正は陶磁器業や製茶業などの産業を興し輸出産品を増加させていきました。佐賀藩の財政は貿易によっては改善していきました。

 1823年、出島の商館医師として来日したバイエルン王国のシーボルトは長崎奉行の許可を得て長崎市郊外に鳴滝塾を開塾し諸藩の藩医や医学者に対して西洋医学を伝習しました。鳴滝塾の門下生で伊藤玄朴(いとうげんぼく)はシーボルトに師事し西洋医学を学びました。1843年、玄朴は直正の御側医となり佐賀藩は西洋医学を導入し西洋科学教育を開始しました。 この頃日本において実学としての西洋学は医学が根づいていました。がしかし江戸時代においての医療は漢方の薬物療法が普及していました。
 19世紀、世界的に伝染病が漫延し特にコレラが何度も繰り返しパンデミックを起していました。幕末日本においても天然痘、麻疹、結核、マラリアなどの伝染病が漫延し庶民は苦しんでいました。幕府と藩は繰り返して起きる伝染病に対して衛生対策と医療対策が求められていました。

 さて直正にとって1808年「フェートン号事件」は既に過去出来事でした。また1853年ペリー来航によって攘夷か!?開国か!?尊王か!?佐幕か!?国論が分裂していました。そんな不毛なこれら空論に直正は全く興味を示さないクールな近代思考を持っていました。
なぜなら直正は佐賀藩“西洋式武装化”の野心を抱いたのです。
 直正は極端な秘密主義政策によって藩西洋武装化を1850年代から開始したのです。
 

 1855年、佐賀藩の極端な秘密主義政策による西洋式武装化を開始した頃、長崎海軍伝習所の伝習生募集広報のために江戸佐賀藩邸に幕臣の勝海舟と中島三郎助が訪ねて来たのです。二人はうわさのに名高いタヌキのお殿様鍋島直正に面会したのではではなく“肥前の妖怪”に出会ってしまったのす
 


  つづく


 『』① Wikipedia 儒教 より 要約
 『』② Wikipedia 中国のキリスト教 より要約
 『』③ Wikipedia 韓国のキリスト教 より要約
 『』④ 出島のくすり 長崎大学薬学部編 より要約
 『』⑤ Wikipedia 日本のキリスト教 より要約
 『』⑥ 長崎市教育委員会発行 出島 より転載  
 『』⑦ 文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 ~肥前の妖怪~ より要約

 


 
 お日様とお月様の光と影
  ~東アジア近代化クロニクル(年代記)~ 
 
   第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した

         プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
         第一章   西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(22)


   
   ≪参考文献≫ 
   
 知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社 より
 オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 中公新書 より 
 幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
 講談社社学術文庫 吉田薫 吉田松陰 留魂録  より


 1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
 1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
 2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝  前半 より
 2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より

  
 文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
 新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
 文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
 文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より


  突っ込みどころ満載!
   筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
 また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。
      


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