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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県五島市 ・ 宗念寺 「 坂部貞兵衛の墓 」

2017-06-03 10:04:12 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )




























宗念寺は、福江市街にある五島藩第22代藩主五島盛利の生母、
芳春の菩提所として建てられた寺で、
境内には、伊能忠敬に従った坂部貞兵衛惟道の墓がある。

坂部貞兵衛は本名を坂部惟道といい、数学にも長じていた。
初め暦局に出仕して高橋景保の手附下役となる。
文化 2年(1805)以来、忠敬の測量に随行し、
そのまじめな性格によって、忠敬や部下の信頼を得ていたという。
貞兵衛は現地測量だけでなく、測量結果の室内整理にも積極的に協力し、
老齢であった忠敬を内に外に支えた。

忠敬の全国測量は享和 3年(1803)以降、
大手分(け)といわれる本隊と支隊がかなり長期に渡って
別個に測量を実施する方法によって効率的に実施していた。
幕府の事業化した第5次測量以降(1805)に参加した貞兵衛も、
やがて支隊の隊長となり忠敬を補佐し、力を発揮していたが、
文化10年(1813)6月14日、
若松日ノ島に入ったが、連日無理な測量のため、
長崎県五島西海岸の測量中に病に倒れ、
7月15日、福江で駆けつけた忠敬に看取られて、43歳の生涯を終えた。

忠敬はそのときの様子を長女妙薫へ、次のように書き送って、
非常に心を落としていたという。

「 御存の通り測量ニ付き候ては、年来の羽翼ニ御座候間、
鳥の翼を落候と同様ニて、大ニ力を落、致愁傷候。
天命致方無之・・・・、自今我等ハ大骨折ニ御座候 」 と。

さらに、隊員一同を福江に集め、亡骸を現福江市の芳春山宗念寺に葬り、
七日間仕事を休み、弔意を表し善後策を練ったという。
そのとき五島藩では3日の間、城下の歌舞音曲を差し止め彼の死を悼んだという。
 
息子の八百次、本名弘道も父の後を受け、
文化12年(1815)から13年にかけての伊豆七島、
相武地方などの測量に参加したが、
これも文政 3年(1820)に病死した。



第1位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 有名な小説 」

2017-06-03 07:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ










本来ならば今日は休みだが、
天気仕事のため出勤になった。
梅雨に入る前に捌いておきたい仕事が目白押しなので、
「 なるべく早くやっつけたい 」 と思っている。
そんな今日の順位は1位で、
ラッキーポイントは、
「 有名な小説 」 である。

恋愛面で運命を感じる出来事が・・・
以前からの知り合いが重要人物になるぞ!


   今日のコトバ

 過ぎたるは猶及ばざるが如し

  ( すぎたるはなおおよばざるがごとし )

過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、
度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。
何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない。
良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。

『 論語・先進 』 にある、孔子が二人の門人子張 ( 師 ) と
子夏 ( 商 ) を比較して言った言葉に基づく。
「 水準を越した師も水準に達しない商も、ともに十全ではない。
人の言行には中庸が大切である 」 と説いたという故事から。
「 過ぎたるは及ばざるが如し 」 ともいう。


第46回 鳴尾記念覇者 「 ルーブルアクト 」

2017-06-03 01:06:35 | 競馬・ボート















父 ラシアンルーブル
母 ヒダカアクト

生年月日  / 1988年4月23日
調教師  / 小原伊佐  ( 栗東 )
馬主  / ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
生産者  / ヒダカファーム
産地  / 浦河町
通算成績  / 38戦6勝  [ 6-3-2-27 ]
主な勝鞍  / 鳴尾記念(G2)


当時、ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン では、
エリザベス女王杯を制したサンドピアリスと、
このルーブルアクトがクラブを代表する看板馬であった。