音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

スタジオ・テラの思い出

2010年07月01日 | 音楽
EMI Music Japanの系列スタジオ「スタジオ・テラ」が6月末でクローズになりました。

残念ですが、これも時代の流れかと思います

出来たのは80年代後半、工事中の時から見に行きました。

最初のセッションはウィラードのシングルのカップリングのミックスだったと思います。
コントロール・ルームが広いのが印象的でした。

ウィラードを土屋昌美さんのプロデュースでレコーディングをして、これはレコーディングが難航し、1つのスタジオで歌入れ、片方でミックス。綱渡りなレコーディングでした。

ここは後に天王洲アイル駅が出来て、お洒落エリアとなり、出前のセレクトも増えますが、90年代までは品川駅から徒歩15分の基本的には港湾地区。
出前も、中華、そば、定食の3種類くらいしかなく、量が多く、塩っぱくて、これがレコーディングが続くと煮詰まるわけですね。

CD化のはしりだったので、色々レア盤(ルージュとかウオッカ・コリンズとか)のマスタリングもしました。
といってもアナログ・マスターからデジタルにコピーするだけ。何か音をいじるという概念はなかったですね。すいません。

ヒカシューでドラム・セット4台レコーディングというの面白かったです。

ナンバーガール、KOGA盤の1stのマスタリングから諸々のライブのミックス、解散後のレア曲集のなんやかんやでかなりお世話になりました。

一番印象に残っているのは、ライブ会場売りのカセットのマスタリングを向井君とエンジニアとやっていたら、9,11のテロ。
全てがストップしニュースに朝まで見入りました。

自社スタジオで融通も効くので、レコーディングの後もスタッフやミュージシャンとぐだぐだ飲んだりしました。

氣志團のデモも何回かやりました。まだ風呂なしだったメンバーはスタジオでシャワー浴びて帰ってました。

BaseBallBearの高校3年の時の初めてのレコーディングもここ。
歌入れでがっかりでしょげてる小出君は、今のいつでも自信満々の彼からは想像つかないです。その後も彼らも、このスタジオの常連でした。


羽田空港からの途中なので、まだ福岡在住だったKUMAMI君、ハナエちゃんは空港から直接入ってもらったりしました。

まだ誰も知らない相対性理論のミックスをしている時に椎名林檎ちゃんがスタジオに入ってきてメンバーが、ものすごくビックリしたのも印象的です。

写真はスタジオから何度も見た風景です。これともお別れです。

ありがとうスタジオ・テラ




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2 コメント

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Unknown (ichiro)
2010-07-04 13:33:32
技術革新が速くなると別れの数も加速するんですね。ちょっと無理すれば、ありがとうの数もどんどん加速する。修行なのか戦いなのか、、、スタジオ寺、僕も行ってみたかった。
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テラ (kojikoji)
2010-07-15 21:43:01
初めてコメントします。
もう12,3年くらい前ですが、足しげくテラへ録音しに通っていました。ちょうど、protoolsが出始めた頃でしたが、今はもっと進化しているんでしょうね。
NEAVEの卓、好きでした。
出前は「なか」(だったかな?)が好きでした。
んー、残念ですね。

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