音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

公開デモ評議委員会開催です

2010年11月29日 | オーディション
公開デモ評議委員会、というのが、どういうものか基本的に説明すると、プロを目指すアマチュア・ミュージシャンはオーディシヨンの優勝、ファイナリストまで行ったら、自分の作品がどうなのか、聞く事出来ますが、そこまで行かない人は「実際、自分の音楽はどうなのか、可能性はあるのか?」とか音楽関係者に聞く事は出来ないです。

それをやってみたら面白いのではないかと思って始めました。

実は、こんなに続くとは思ってなかったので何回目か忘れてしまったのですが20回くらいはやってると思います。

前回はEMI Music 50周年記念という事もあり、亀田誠治さんと箭内道彦さんでやったのですが、実はやるほうも大変で、終演後、箭内さんからは「もう2度とやらない」とお言葉をいただきました。

でも、ここで認められばデビューへの最短距離である事は事実だと思います。


次回は12月4日(土)場所はお台場ゼップ・トーキョーの上のTOKYO CULTURE CULTURE
コメンテーターはミュージックマガジン(最近一番面白い音楽専門誌だと思います)の編集長の高橋修さんとREVOLUTION ROCKの審査員にも参加していただいたフォトグラファーの橋本塁さん、それと不肖私です。

詳細は、ここをクリックしてください

自信のデモ音源をもって是非ご参加下さい






湯川潮音のクレッシェンドを聞いて

2010年11月22日 | 音楽
潮音ちゃんが初めてオリジナルを作りましたと、曲を聞かせてくれたのは、高校卒業後、あんまり楽しくなかったというアイルランド留学から帰ってきて(でも、そこで自分と向かい合う事で日本語の美しさなどを発見したそうですが)少したった頃でした。
「妖精たちのダンス」というタイトルだったと思うのですが、これが強烈に訳が分からない曲でした。

どこに行くのか分からないメロディー、A,B,Cというポップスの構成も無視、コードも良く分からないし、合唱隊が彼女のルーツなのですが、不協和音としか思えないコーラスが多重録音されていました。

その時に、僕は「この子は何かを確実に持っている」と感じました。

曲の完成度してはお話にならないですが、そこに盛り込まれている彼女の表現の欲求、心の中にあるものを整理して人に分かりやすく伝える、ノウハウがないだけで、彼女に中に渦巻いている、「でもやるんだよ精神」は本当のアーティストだと思いました。

今回のアルバム「クレッシェンド」は今までの彼女の作品ではメロディー、歌詞、アレンジ、歌唱、ビジュアルとずば抜けて分かりやすくなっています。

でも分かりやすくするために、何かを妥協している(そもそも,妥協なんてする柔なアーティストではないですが)印象を全くありません。

彼女の成長は、自分の中にある何か表現せざるを得ないものを、如何に分かりやすく伝える方法を身につけるかという事だったのかもしれません。

よく僕が成功するアーティストの条件にあげるオリジナリティーとポピュラリティーとアイデンティティーの要素を最高のバランスで成立させていると思います。

名盤だと思います。是非、一聴下さい

クレッシェンド
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン

未来型サバイバル音楽論を読んで

2010年11月11日 | 
REVOLUTION ROCKの審査員も努めていただき、メディア・ジャーナリストの津田大介さんと日本のロック、ニューミュージックの黎明期から業界にいらっしゃる牧村憲一の共著で、CD不況の閉塞状況にある音楽業界を、今後どうすれば良いかという事を考えようという本です。


津田さんの意見は要約すれば、ツイッター、ユーストリーム等を使えばメジャーのレコード会社が今まで行ってきた宣伝、営業は必要くなりつつあるのではないか?

牧村さんの意見はフランスの40年続いているサラヴァ・レーベルを例にあげ、商業主義ではなく、ポリシーを持ちCDビジネスだけではなく、360度ビジネスのスモール・レーベルにこそ
未来があるのではないか?

という事だと思います。

メジャーメーカーに居る僕が言うのもなんですが、ほぼ同意見です。
日常に思っていた事でした。(違うとしたらスケールメリットの必要性と、売れる可能性より利益率をアーティストが選らんで良いのか?という点です)

でも面白かったのは「ミドルマン」という考え方ですね。
さまざまな場面で音楽をユーザーに伝えるのは誰かがいなければならないというものです。
僕の経験で言うとスーパーバタードッグの解散ライブの打ち上げで永積君は「マネージャーの黒島さんが居なければ、1枚で解散してました」
というものです。彼女なしでは彼らは存在しなかったわけです。

逆に例は良いマネージャーやディレクターに恵まれずに潰れていったバンドやアーティストも多く見てきました。

お二人は従来の”ミドルマン”は中間搾取だったけれど、これからはアーティスト発信するものを正しく伝える”ニューミドルマン”の時代だとおっしゃっています。


まさにと膝を打ちました。
もはや、レコード会社の投資とインフラをアーティストが期待しなくても良い世の中になりつつある今、「この人と働きたい」と思わせる会社の看板ではなく、個人の能力と魅力のある人物が求められているわけです。

厳しい現実と、ものすごく色々なヒントが詰まっています。
音楽業界人とプロを目指すアーティストは妄信するのは若干危険な部分はあるけれど、間違いなく必読です

それと、津田さんのアイディアで田中茉裕ちゃんやってみようかなと思ってます。

未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか (中公新書ラクレ)
津田 大介,牧村 憲一
中央公論新社