音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

浅川マキさんのベスト盤に発売に寄せて

2010年10月27日 | 音楽
マキさんが追悼盤として意味合いも込めてベスト盤 Long Good-byeが発売されました。

僕は「変わった新入社員が入ったらしいじゃない」と83年初対面で言われました。

僕はかってに好きだったブリジット・フォンテーヌ、ニコ(マキさんと一緒に見に行きました)マリアンヌ・フェイスフルを重ね合わせ宣伝をやらせてもらい、オリジナル・アルバム1枚とベスト盤1枚のディレクターを担当しました。

初めの頃は六本木の交差点のすぐ側のゴトウ・アパート、それから2つの麻布十番のアパートで時には朝まで素面で(マキさんが飲んでるのを見たことない気がします)何が素晴らしい音楽で、どういう演奏家が素晴らしいのか、アーティストとして商業主義的なものに背を向けて生きる事の意味、を教えてもらいました。

僕は当時の新譜を聴いてもらいました。覚えているのは当時大好きだった戸川純の玉姫様
は「ミックスが良くない」
小沢健二の1stはベースが良くない。歌は実は上手い。DIPはギターがもうちょっとなのに本当に惜しいとか言われたのは覚えています。
ナンバーガールを聞いてもらったのは覚えているのですが残念ながら覚えていません。

あぶらだこは本当に気に入ってくれて「こんなブレスの深いボーカルはめったにいない」と絶賛し確か山内テツさんと見に行ったと思います。

美空ひばりを聴かされたり、ストーンズの新譜を一緒に聞いてマキさんは「やっぱりベースが変わるとストーンズじゃないね」と言ったり。

ギターの下山淳は世界レベルと評価したり、業界的にはトップのミュージシャンをこきおろしたり、客を席に案内するライブハウスに私の客は座りたい席は自分で決めると言って、その小屋に出るのをやめたり、推論で書かれた記事に抗議で編集部に電話して大変な事になったり(結果その編集の方と懇意になったり)アンケートを取りましょうと提案したら「そんな〇産党みたいな事は止めて」と言われたり、広告がみうらじゅんの漫画の対向ページになり「あんな牛の漫画と向かいのページはありえない」と言われたり、大腸癌から奇跡的に回復したエンジニアを最初は体調を気を使っていたのに、最後は何度も気にいらず徹夜させたり、電話が2時間普通とか、何度言ってもベスト盤が5000円だったり、自分のアルバムは廃盤でいいから自分がプロデュースした難解なアルバム(チェロのインプロビゼーション!!)を無理やり再発させたり、かってに気に入った洋楽曲に訳詞をつけてレコーディングしたり、マイケル・ジャクソンのライブで来日したミュージシャンを何も決めないでスタジオに呼んでレコーディングしたり、ミックスしたライブ音源にアンビ・マイクの2chの音はミックスしたり、カバーされた曲がローマ字表記になったいたので「あり得ない」とクレーム入れたり、若いギタリストにネタが尽きるまで延々ライブでソロを弾かせたり、同じブーツを何年も買い続けたり、何かひとつ質問すると、答えまで2時間かかったり、煙草で牛乳しか口にしている記憶がない、一拍の深さがミュージシャンの良し悪し、どれだけ長い小節で音楽を捉えられるかが大切か、無調の中で歌える意味、自分のレコーディングと偽って南正人さんにレコーディングさせたり、10枚組みじゃないと私の世界は理解出来ない、と名盤なのに単独売りはNGにしたり。


無茶苦茶ですが、こんなアーティストには会った事がありません。自由が全て、妥協という概念がない。

もしあなたが本当のアーティストの作品を聴きたいと思うのなら、このアルバムは聴いてください。マキさんが存命なら絶対本人OK出ませんが浅川マキの音楽を伝えたいというスタッフの愛は滲み出ています(某社からのHUのベストではなく)

どんな人でも死ぬまでには浅川マキが沁みる夜があると思います

Long Good- bye
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン

箭内道彦さんと仕事して

2010年10月23日 | オーディション
EMI創立50周年記念のオーディションをやったらどうだという話になり、何か面白い事が出来ないかなぁと今年の春ごろに、ぼんやり考えていたら「箭内道彦さんと何かやれれば面白いかも」と閃きました。

僕が箭内さんの評価は全く駄目か、最高かどっちかな感じでした。
サンボマスターの安めぐみが出てくるMVとか、これは無しだろう、と思いました。

長澤まさみが主演する不二子藤雄の「未来カメラ」の実写版を見て、この演出は天才過ぎる(必見、まさに目から鱗)と思いました。

フリペの「風とロック」も毎号チェックしてますが、すごいと思う号もありますが、なんだかなぁ?と思う号もありました。でも僕はホームランか三振なのが本当の天才と思ってます。

ただ、この人は音楽が本当に好きなんだろうというのはいつも伝わってきました。

音楽でも駄作があるのが本当の天才(二ール・ヤング、細野晴臣とか)だと思っているので、ずっと気になっていて、いつかお会いできるだろうと思ってました。

睡眠時間2時間半日本で一番忙しい男と言われるだけあって、最初は仙台のアラバキ・ロック・フェスに行っているので、そこで会いましょうと言われて、行く準備を全部整えたら、都内で時間が取れたので事務所に来てくださいとの事。
オーディションの大体の趣旨を説明した後に箭内さんから「無茶振り出来る関係が良い関係だと思うので無茶振りして下さいね」の一言。ちょつとくらっとしました。

アラバキフェスではお互い酔っ払ってた感じで交歓。

デザインが上がってきた時、特にコピーのお願いはしてなかったのですが「轍を行くな、轍を作れ」の一文。これもまさに全てのアーティストが肝に据える名言。

公開デモ評議委員会での珠玉の一言は「僕も同じ意味で逆の事言いますけど」これは煙に巻く的なニュアンスのありますが何かの本質がありますね。

そしてREVOLUTION ROCKのファイナル・ライブ審査で迷いに迷った発表の前に「基準を変えれば皆、優勝です」と一言。

箭内さんて実はクリエイティブ・ディレクターとかではなく言葉の天才かもと思いました。

そんな言葉がこの本には沢山つまっています。
色んなヒントがつまっています。読んで欲しいです

871569
箭内 道彦
講談社

REVOLUTUIN ROCK終了しました!

2010年10月16日 | 音楽
15日金曜日、ファイナリスト5アーティストで最終ライブ審査行いました。
当初は来ていただける予定ではなかった亀田誠治さんも審査員として参加したいと言っていただき、会場には審査員の児玉裕一さん、津田大介さんも来て頂き、みずしな孝之さんはお会いできなかったのですが行きますと連絡いただきました。

1バンド20分、これが難航しました。僕が箭内さんの事だから、わりとえいっと決めるてもらえるかなと思ったのですが「こっちにしょうと思うと、こっの方が良いんじゃないと思う」と審査員の方の意見もお聞きしながらも難航。

30分の演奏を予定していた水中、それは苦しいにも演奏時間を延ばしてもらい(サービス残業でお願いしました)検討。


そして2500バンドの中から選ばれたのは女性4人組のオルタナティブ・バンドの股下89。
「革命を起こしてくれそう」というのが選ばれた理由な感じです。総評で箭内さん言ってくれましたが、「基準を変えれば、みんな優勝です」と本当に箭内さん良いこと言ってくれます。

人生2回目のライブ(1回目は前日)の田中茉裕ちゃん。深いブレスで大人の歌を聞かせてくれたけもの、一度聴いたら忘れられない歌声(BECKで使って欲しかったです)のairezias、オキャンなR&Rそして「過去に名曲がたくさんあるのに何故自分がやなきゃいけないのか?と思うけれど自分の歌を歌いたい」とぐっとくるMCのthe rooms。

そして優勝バンドにふさわしい、二十歳そこそこの年齢とは思えない堂々としたステージの股下89。

後、いつもこういうイベントでお願いするダイノジも盛り上げてくれました。

後、水中、それは苦しいも出演バンドの女子にもジョーニー大蔵大臣も大人気。

商品授与では楽屋の備品の加湿器をかってに「副賞です」と持ち出したり、最高でした。


でも、タダでこんな面白いイベントだったのに、来なかった人は本当に残念がって下さい。

雑音の王様

2010年10月14日 | 
非常階段というバンド(?)がある。結成は79年で現在も活動中

京都の小さなロック喫茶が出会いの場になって結成したという。

初期の彼らの音楽は言ってしまえば頭でっかちな観念と20歳前後の若者の暴力(表現?)衝動が一緒くたになり、ステージで爆音でノイズを鳴らし、汚物をぶちまけ、放尿し、会場を破壊した。

欧米ではGGアレンというパンク・ロッカーが客に〇ン〇を投げつけ、殴るというのが居たが音楽は一応パンクの体をなしていた。

ここまで非音楽を追求したバンドは世界中にもないかも。

僕は当時、彼らの存在を知り、すでにスターリンのバイオレントなライブの洗礼を受けていたので、楽しみに彼らの東京ライブを慶応大学、日吉校舎81年6月27日、見にいった。

僕の記憶ではいきなりノイズ爆音、消火器がぶち巻かれ会場は視界ゼロ、イスが投げられガラスが割れ、僕も一緒にイス投げてゲラゲラ笑ってました(時効ですが本当にすいません)滅茶苦茶になった会場でさらにスターリン(PAは壊れたので生音とトラメガ)眩暈がして、灰野敬二とかも出たような記憶があるのだが、あんな暴力的な気持ちになったライブはなかった。でもその後、誰が責任取ったんですかね。

その後もロフトが出禁になるライブ(納豆行水!)も行った。

僕の当時やっていたバンドも影響を受け、そんな出禁になるような事は出来なかったが、割とコンサバなライブハウスでリハで「ノイズでやります」とサウンド・チェックしたら、その小屋の人に「今夜、出なくていいから」と言われました。

非常階段が京都の小さなコミューンで結成されたように、僕の当時住んでいた横浜にも夢音というロック喫茶、週末ライブという場所があり、僕はそこに行っては入手が難しいアバンギャルド系プログレ(ファウスト、サードイヤーバンドetc)を聴いていた、そして、そこで出会った人とバンドやったりイベントやったりしていた。
全く、何も知らずにシンクロした事が京都と横浜で行われていたというのを、この本を読んで知りました。

そうです、僕も一歩間違えれば、あっち側の人間になっていたかもしれないです。

例えばホークウィンドのシルバーマシーンを聴いたことがない、ほぶらきんを知らない(普通知らないですけど)人とかにはマニアックな固有名詞が多すぎる(注釈はありますが)
ですが、
同世代(1歳上)のエクストリームな表現者JOJO広重氏にシンパシーありまくりで、何か
自分のパラレル・ワールドの自伝を読まされているようで、こんな不思議な感慨に読後耽った本はなかったです。

万人にはとても勧められませんが、怖いもの見たさな気持ちで読みたい人は読んで見てください、ちなみにDVD付きですが見ると食欲がなくなるのでダイエットにお勧めです

非常階段 A STORY OF THE KING OF NOISE
JOJO広重,美川俊治,JUNKO,コサカイフミオ,野間易通
K&Bパブリッシャーズ

ファイナリスト決めました

2010年10月11日 | オーディション
10月15日のFINAL REVOLUTIONに進む5アーティストを決定しました。
これは各審査員のコメント(宇川さんのだけ間に合わず)を審査委員長の箭内さんに参考にしていただき、ノミネートの20アーティストも聞いていただいた上で5つに選んでいただきました。

そこに対して僕は一切意見は言いませんでした、上がってきたアーティストがあまりに審査員や僕の意見と食い違ったものであっても、それは箭内さんの意見なら、それはそれで良いか、あるいは自分の意見も言うべきかは悩んだのですが、電話口から聞かされた時は、僕のイメージと違いはなかったので安心しました。


股下89という、それなりにライブハウス・シーンでは名が知られ始めたバンドから田中茉裕ちゃんという人前で歌ったことがない子もいます。

けものは、ほぼプロと言ってもおかしくないキャリアです。

まぁ、ハンディも体重差もない、無制限は格闘技といったところでしょうか。

どのアーティストの普通のライブではない緊張感でステージに臨んでくれるのではないでしょうか。

ゲストバンドの 水中、それは苦しいは僕が個人的に多くの人に見て欲しいと思っているので出てもらう事にしました。

箭内さんもいますし、亀田誠治さんも自分から率先して行きたいと言っていただきました。

10月15日(金)渋谷Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE18時半開演  入場無料(ドリンク代必要)なので
これは是非来たほうが良いと思います。





REVOLUTION ROCK一次審査発表しました

2010年10月01日 | オーディション
9月13日に締め切り、約2500の応募があった中から20には私とスタッフでまずは2週続けて週末も会社でデモを聴き続け一次審査通過20アーティスト絞らさせていただきました。


正直言ってしまうとデモの70%は気持ちは分かるけれど作品的にも技術的にまだアマチュア・レベル。
29%はまだ何かを真似ている範疇を出ていない(あるいは真似をする事がゴールになっている)1%に確信は持てないが可能性を感じるものがある、という感じです。

デモの段階(あるいはバンド結成して直ぐ)から可能性と完成度を感じさせたのは僕の経験ではブルーハーツ、BJC、スーパーバタードッグ、レミオロメン、相対性理論といったところです。

完成度を優先するか、可能性を優先するかでは可能性を優先させました。

ジャンルもバリエーションが欲しかったので、そのジャンルで良かったものを優先したため涙を呑んで落として人たちもいました(でも追って連絡したいと思ってます)


残念なのは、この短時間ではライブを見れないこと、動画で雰囲気が分かるアーティストはいましたが引きの固定カメラでは判断出来ないです。

遠方のバンドも含めてライブがあれば見に行きましたが、ライブ予定の無いバンドはリハスタに来て演奏してもらい、それも出来ない人は見た人を探して話を聞いたり、信頼出来るは現地の知り合いに見に行ってもらったりして何とか審査の精度を少しでも高める努力をしました。

ウルフルズの時のようにデモはぴんと来なくてもライブが良くてぶっ飛んだ事がありますから(その逆はフリッパーズ・ギターでした)

各審査員の方のコメントもしっかり聞いていただき、すごく嬉しい感じです。

今は箭内さんと相談もしつつライブ審査に進む5アーティストに絞っています。
8日の発表をお待ちください。

疲れましたが楽しかったです