音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

レジロスが好き

2020年04月26日 | ライブ
音楽ファンなら心底感動したライブというのはいくつかあると思います。

とりあえすベスト4をあげると

1982年のU2の渋谷公会堂でライブ。ボノが旗を振って「ノー、ウォー」と言った時は「やっぱノーウォーだな」と思いました。

何年か分からなくなってしまったのですがのカウントダウン・ジャパンの忌野清志郎のライブも感動しました。
RCサクセションも何度も見たことはあったのですが、この時は「愛と平和が一番大切」というようなメッセージが
天啓のように頭の中に落ちました。

1976の名古屋公会堂(多分)での遠藤賢司を見てライブというのは音楽は曲が良いとかどうかではなくアーティストの発するエネルギーを感じるものだというのが分かりました

そして、今から紹介するレジロス(実際はレヴィロスなんですがややこしいので後述します)の1994年5月の新宿アンティノックのライブです。

その理由は「ただ、ただ楽しかった」です。あんな理屈抜きに楽しかったライブは他にありません。

彼らはイギリスのエジンバラで1976年にアートカレッジに通う学生で結成されます。
メンバーの編成はサックス、コーラス、ギターのメンバーが居たり居なかったりして、ややこしいのですが基本的のは男女のツインボーカルにギター、ベース&ドラムの5人編成です。
76年結成、アルバムはスタジオ盤、1枚、ライブ盤1枚、シングル4枚をリリース。
78年には一旦解散してしまいます。

昨年、リリースされた音源全て集めた2枚組のCDが出たのでカルトな人気があるんでしょうね


ビジユアルはこんな感じです。



動画です


B急SF映画の登場人物的な感じです。
特撮映画で言えば円谷プロ、東宝ではなく日活、大映、ビープロ感が満載です。 要は絵に描いたようなB級センスなんです。


ちなみにボーカルのユージン・レイノルドが氣志團の早乙女ヒカルちゃんにそっくりなんです。
それだけの理由で、いつか氣志團万博で呼んで欲しいです。

ユージン
ヒカル 

話が外れました。

音楽的にはポップ・パンクになるかと思います。 テンポは早く、曲は短く、メロディーはひたすらキャッチーです。
印象としてパンクというには明るく能天気。
歌詞も「円盤が攻撃してくる」とか「運命の女神」「冷戦が始まる」とかB級SF的な事がテーマで政治的、思想的なメッセージなどはありません。

デイブ・クラーク・ファイブ、ビートルズ、スイートなどの曲を高速カバーで演奏します。
ティニー・ボッパー、グラム・ロック的な味わいも残っています。


彼らの最大の特徴は男女ツインボーカルです。
男性のユージンの声はダミ声。 酒焼けした北九州の鳶職の親父(あくまでイメージです)

女性のフェイ・ファイフィーは甲高くて野太い、下町の焼肉屋で大声で注文とってるお姉ちゃんみたいな感じです。

さらに例えると、この魅力は薬膳の火鍋で鍋でスープが赤いのと白いので2種類に分かれてるのあるじゃないですか、僕の音楽フード理論で例えるとぴったりです。

彼らは1977年インディーズからシングルをリリース、それがサイアー・レコードの目に留まり契約、
サイアーというのアメリカのレーベルでサイアーが初めて契約したイギリスのバンドになるそうです(次はないですが)

それが縁でサイアーのレーベルメイト、トーキング・ヘッズ、ラモーンズと同じトニー・ボンジョビのプロデュースでNYのパワーステーションでファースト・アルバム「キャント・スタンド・ザ・レジロス」を1978年7月にリリースされます



僕が持っているのはUKオリジナルとドイツ・オリジナル、UKテスト・プレス、最新の再発です。
イタリア盤、アメリカ盤、180G再発、日本盤(帯無し)なんかも持ってましたが音がイマイチなんで売りました。
テスト・プレスはレコード番号がない謎のブツで、それほど音は良くないですね。
最新の再発は音良いしオリジナル(¥4〜5000)より安いのでお薦めです。


注目すべきなのでエンジニアがボブ・クリアマウンテンなんです。
彼はその後デビット・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツなど担当して80年代を代表するスター・エンジニアになりました。

彼の最初期の作品です。

なので音が当時の良いんです。例えれば高級な青魚、関サバのような感じかもしれません。


1977年に彼はデッド・ボーイズのファースト・アルバムのアシスタント・エンジニアだったのですが、アルバムをリリースした10数年後、「あのボブが作ったラフ・ミックスの方が音が良いんじゃね」という話になりカセット・マスター・バージョンで再発になりました。 いつか聴き比べようと思ってるレコード・リストに入ってます。

さらに余談ですがある日、タクシーに乗っていた甲斐よしひろがロキシー・ミュージックの「アバロン」を聞き、このサウンドが欲しいと思い、甲斐バンドのアルバム3枚をボブがミックスを担当しています。
結構すごい事だと思うのですが、誰も語らないですよね(ふくりゅうくんどうですか?)
ちなみに雑誌取材の際の原稿チェック、写真チェックというのは甲斐バンドが始めたそうです。

コレクターズの古市コータローさんもこのアルバムのファンで池袋交差点24時で「レジロス登場(邦題です)とばかりにね」という発言があり、いくら万単位の人が聞いている人気ポッドキャストでも
分かったのは僕とジェフとニコルくらいかと思います。

話が外れました。

それと、ベースのウィリアム・ミステリアスが上手いんです。
ルートのエイト・ビート弾きとランニングをうまく組み合わせるキャッチーな良く歌うフレーズと抜群のタイム感がグルーブを引っ張っています。
再発のライナーでJマスシスが「こんな熱いベースのプレイは聞いたことがない」と絶賛してます。

NW知られざる名ベーシストといえばジョー・ジャクソンのバックを務めたグラハム・マビーを思い出します。ジョー・ジャクソンはアルバムによって音楽性がコロコロ変わる人なんですがベースだけはずつと彼なんです。
ベーシストの方は一聴の価値があると思います。
土屋昌巳さんが絶賛してたのを思い出しました。

話が外れました。

アルバム発売と同日に代表曲「トップ・オブ・ザ・ポップス」をリテイクしてシングル・カットします。

謎なのは、このバージョンはテンポも落としてあって、前述の名ベーシストもなぜか脱退しているのでアルバム・バージョンより全然良くないんです。 

チャートは17位と健闘していますが、意味が分からないです。

調べるとサイアーがワーナに買収されたためリリース時期が遅れるトラブルがあったとあります。2月にレコーディングで7月リリースというのは、そんなに空いたとは思わないのですが、シングルは新しいベーシストのバージョンにしようというような忖度が働いたのかもしれません。

ナンバーガールは東芝EMIのハイクラスのスタジオで録ったバージョンを没にして地元福岡のスタジオで録り直して、それが吉と出たんですが、この場合は逆ですね。

ちなみこのシングルのエンジニアのイアン・テイラーはVOWWOWのレコーデイングの時にロンドンで会いました。
「ケイト・ブッシュはアナログ・テープの劣化した音が好きだから、何回も録音を繰り返させられて疲れた」という話はしたのですが、当時はレジロスを担当していたとは知らず内情が聞けたのにと思うと残念です。

このあたりからバンドには不穏な空気が立ちこめます。

シングルのレコーディングを前回の失敗を反省したのかスター・プロデューサーのマーティン・ラッシェントを迎えて「ディティネーション・ヴィーナス」リリース。
曲も音の出来はすごく良いのですが、ジャケットの撮影に5000ポンド使ってしまい大問題になったという事なのですが、今のレートで66万円なので、安くはないですが、とんでもない額でもないと思うのと、イギリスは撮影費用はアーティスト負担なんでしょうか? 見てもそんなにお金がかかったとは思えません。




ボーカルのフェイフィが喉のトラブルでツアーが延期。

シングルチャートは43位と下降。

ボーカルの2人はロマンティックな関係(直訳)になってしまい、後の3人と対立することが多くなり(バンドあるあるですね)

1978年9月22日に解散を決めたそうです(良く覚えてますよね)

解散コンサートを同年12月23日グラスゴーのアポロシアターで行います。

この模様はレコーデイングされて「ミッション・アコンプリッシュド、バット・ビート・ゴーズ・オン」としてライブ盤として翌年4月にリリースされます。


このアルバム、アナログではSEでテレビ番組のサンダーバードのテーマ曲が流れて1曲目に突入するところがカッコいいんですが、CDは削られてます。
70年代までバンドの出番の前はMCが煽るという一般的だったと思います。

バンドが出のSEをいつから使うようになったかもいつか検証考察したいのですが、ここでは話が外れすぎるのでやめておきます。

話を戻します。

ライブ・アルバムと同日に「コールド・ウォー」がシングルカットされるのですがライブ・バージョンなのにミックスが違うんです。

こんなケースは聞いたことがないですね。ちなみシングル・バージョンの方がドラムが遠くてギター大きいですが迫力に欠けます。何をやりたかったのかまるで分かりません。

ミックスの時に夫婦組と楽器隊で意見が対立して、では別々にリリースしようとなったのかもしれません。

話はまだ続きます。

カップル組の二人はレヴィロスというバンドを立ち上げ。79年にはデビュー。80年にはベースにウィリアムを再び迎えアルバム[レヴ・アップ」をリリースします(早っ!)

バンドのビジュアルやコンセプトは何も変わりません。


動画です。

強いていえば曲がイマイチになったという事でしょうか。

なぜならレジロス時代の曲はやめたギターのジョー・キャリスがほぼ全曲を書いていたんです。


ジョーはやめたメンバーとバンドを始めますが内容もセールスもパットしません。

ですが80年になんとテクノ・バンドのヒューマン・リーグにギターを置いてシンセサイザーとして参加(マネージメントが一緒だったらしいです)世界的大ヒット・アルバム(UK1位、USA3位)「デアー」では作曲でも貢献します(そこそこ儲かったと思います)

左端です(少し浮いてますよね)



そしてレヴィロスは85年に活動休止していたのですが日本のヴィニール・ジャパンの要請で94年に初来日をします。
この時のライブを僕は見たわけです。この日のライブは「日本炎上」というタイトルでリリースもされました




この後も彼らは不定期な活動を続けコンピレーション、ライブ盤、レア音源などを年に1枚程度リリースしているのですが、ジョーが参加している時はレジロス、いない時はレヴィロス名義のらしく2009年の2度目の来日ではジョーが参加しておりレジロス名義でした。

当時のツアー・パンフです。





ですが2015年の最新アルバムはジョーの名前はないですがレジロス名義になっています。
年もとったし細いことはもういいよという事にでもなったんでしょう。



そしてなんと2019年に初来日のライブ盤の完全盤がリリースされたんです!

たどたどしい日本語もMC「私は宇宙から来たモンスターです!」etcも好感が持てます。

ですがアンビエントと歓声は被せすぎですね。200人キャパの新宿アンティノックが1000人キャパくらいになってます。
打ち上げの写真です。

刺盛り¥480はかなり安めの所に連れて行かれてるようで切ないです。


そして2020年6月25、26日にレジロスが3度目の来日をします(新宿マーズ2デイズ!)



僕は喜び勇んでヴィニール・ジャパンにチケット買いに行きました。
店員さんに聞いたら「ジョーは来ないっぽい」(さすがヴィニール・ジャパン!)けれど名義はレジロスだそうです。

整理番号は1日目は19番、2日目は39番でした。


ですが、なんと延期になってしまいました(泣)中止にならないことを、このブログを読んだ方も願っていただければ幸いです。





















ガールズ・アット・アワ・ベストが好き

2020年04月11日 | 楽曲解説
ロック、ポップスの歴史の中で名盤を一枚だけしかリリース(ライブ盤は除く)しなかったアーティストがいます。

一番、有名なのはセックス・ピストルズですが、他にはデレク&ドミノス、ジェフ・バックリー、レジロス、ダフィー、レミー・シャンド、DMZ、アント・サリー、エックス・レイ・スペックス,乱魔堂、The La's、ヤング・マーブル・ジャイアンツなどが思い浮かびます。

解散後、ソロ、あるいは別のバンドで活躍したバンドが多いですが、何故か跡形もなく消えたバンドもあります。

今回はその一つガールズ・アット・アウア・ベスト(以下GAOB)について書いてみたいと思います。

彼ら(ボーカルは女性)1979年にイギリスのリーズで結成されて1982年には解散と短期間の活動でした。

公式にはアルバム1枚とシングル4枚と解散後にジョン・ピール・セッション(ラジオ番組の収録ですね)を1枚リリースしています。

彼らは2013年のギタリストのジェームスのインタビューを読むとSOS!というパンク・バンドをやっていたけど解散し、型にはまらない音楽をやりたいと思い、その時学校でボーカルのジュディ・エバンスで出会い、彼女はパンクには全く興味がないけれどキャラクターが面白いので誘って、全く楽器経験もないメンバー(後に脱退)も誘って結成したそうです。

ビジュアルはこんな感じです。



79年12月23日にレコード・レコーズという人を食った名前の自主レーベルかゲッテイング・ノーウェアー・ファーストというシングルをリリースします。



ジャケは女子が立ちションしてる後ろ姿の下手なモノクロのイラストという意味不明なもので、まさに自主制作という感じです。

ですが、いきなり当時権威があった(今でいうピッチフォークみたいなもの)NMEの今週のシングルに選ばれてインディー・ヒットになります。(5000枚売れたそうです)

まず耳に残るのは不安定なファルセットでママさんコーラスのように歌われるボーカルです。

50歳以上の人は浅田美代子、大場久美子、岡田奈々、森尾由美といったオートチューンをドラえもんにスタジオに届けて欲しいと思う、昭和の女性アイドルを思い起こす人もいるかもしれません。

ですがメロディーはキャッチー。
下手くそながらもビビッド演奏も心躍りますが、聞いていると妙な違和感を感じて来ます。

その理由は普通、ポップスやロックというのはAメロ、Bメロ、Cメロ(サビ)(Bメロはない場合もあります)&イントロ、間奏が、ある程度のルールを持って組み合わされるのですが、

この曲は「イントロ、A,A,間奏,A,間奏2、A' 後奏という掟破りな構成になっていて、1:58秒で突然カットアウトで終わります。

まさに型にはまらない音楽だと思います。

カップリグの「ワーム・ガール」はAメロから転調、予想がつかないBメロになり、さらに1Bと2Bの後半のメロディーは違います。
さらに転調してCメロというより、新たなAメロのようなパートが来て終わります。

ある意味、3分のプログレと言えるかもしれません。

その後2枚のシングルを出し、に81年に大傑作アルバム「プレジャー」をリリースします。

レーベルはセカンド・シングルから「ハッピー・バースデイ・レコード」という所なのですが他にはエレポップのシングルが何枚か出ているだけで良く分かりません。

前述のインタビューだとラフ・トレードとかにも行ったけれどジュディがデモを、その場で聞かせるだけで若気でいたりで置いて行かなかったと言っています。

契約出来る訳がありません。

「彼女は攻撃的なフェミニストだった」(直訳)と言っているので意識が高すぎて拗らせてたのかもしれません。(写真からも「なめんなよ」オーラを感じます)

ローレンス・ダイアナという人がプロデューサーなのですが他にはハッピーマンデイズののファーストのエンジニアくらいしか大した仕事はしていません。

特筆すべきなのはのちにU2,デペッシュ・モード、ニューオーダー、ナイン・インチ・ネイルズ、スマッシング・パンプキンズ、シガーロスなどの90年代のロック名盤の多くをプロデュースしたフラッドがエンジニアなんです!

このアルバムより2ヶ月遅れでリリースされたニューオーダーのファーストはアシスタント名義でクレジットされているので彼がメインでエンジニアを務めた最初の作品かと思われます。

なので音が当時のロウ・バジェットのインディー・ロックとは一線を画した、ハイファイではないですが例えれば高級鶏卵のようなコクのあるサウンドになっています。

このアルバムはギター、ベース&ドラムのシンプルな生演奏なのですが、全体にテクノ&エレポップのような印象を与えます。

これは多分、デビュー前のトーマス・ドルビーが何故かシンセサイザー参加しているのも理由でしょう。かなり良い味付けになっています。

今でこそあまり名前聞かないです(一時音楽業界から離れてたようです)が80年代中頃の彼は坂本龍一とユニットをやるなどテクノの最先端アーティストでした。

この坂本龍一と共作したフィールド・ワークのMVは坂本龍一が終戦を知らないまま戦後発見された日本兵(空手が得意、なぜかNYで犬と住んでいる)トーマス・ドルビーは
モヒカンのパンクなカメラマンという設定です。
詳しくは動画を見てもらえれば良いのですが、「戦メリ」と「タクシー・ドライバー」が合体した感じです。
監督は分からないですが日本人のセンスではない感じです。
撮影はNYで35mm。リップシンクもなくショート・ムービーです。
これは多分日本のMVで多分一番制作費がかかったものの一つだと思いますが、どうでしょうか。

話が外れました。

楽曲は掟破りな構成こそ、影を潜めますが、素っ頓狂なメロディー、繰り返される転調は相変わらずです。

クレジットはバンドのメンバー名義ですが2曲だけジュディのソロ名義になっています。

推察ですが曲作りは楽器も出来ず理論もわからない彼女が鼻歌で作ったメロディーのパーツを繋げて行ったのかもしれません。
なので転調が多用されるのでしょう。

これはももクロの「行くぜっ!怪盗少女」に代表されるヒャダインの曲作りに通じるものを感じました。ひょっとしたら彼に影響を与えているかもしれません。

転調があまりも多用されると小室哲哉の90年代後半の曲のようにバラバラのメロディーをつないだだけのように聞こえてしまうのですが、これを一つの曲に聞かせるのは
センスと技術が「怪盗少女」のようにセンスが必要なんです。

さらに特徴的なのはコーラス・アレンジです。

色々やっているのですが、多分感覚だけでやっていてラインもぶつかりまくりです。そもそもメインボーカルもピッチが悪いので気持ちが悪いです。

トッド・ラングレンは高野寛のレコーディングの時に「コーラスのラインは少しぶつけろ」とアドバイスしたそうですが、これを実践しているのかもしれませんが、やり過ぎですね。

ですが、これも聞いてると病みつきになるんです。

ギターの響きもどこか違和感があるので変則チューニングかもしれません(ただチューニングが悪いだけかもしれませんが)

歌詞の意味は僕の英語力とグーグルの力では何が言いたいのか分かりません。 


「ポリティックス」「ファッション」というような曲名から察するに世相を皮肉るみたいな感じなんでしょうか。

彼らは何に影響を受けたか謎すぎるのですが 「スパークスは好きだ」と言っている記事を見つけました。
確かに言われてみればメロディーの感じは近いです。

あいみょんのメロディーがスピッツに近いというのに似てるかもしれません。

B面は最後はドラムのパターンがループするカッティングで終わっていて、これはサンプリングで使えます。許諾も難しくないと思うのでお勧めします。
(再発のアナログはこれが再現されておらず残念です)

ジャケットは勘違いした中国イメージですね。 


リーズ出身のバンドといえばレッチリにも影響を与えたギャング・オブ・フォー(アンディ・ギル RIP)
を思い起こしますが、この名前の意味は中国の四人組の事なので、リーズで中国のイメージが流行ったのかもしれません。

YMOの「ソリッド・ステート・サバイバー」が79年なので、ここから影響を受けたのでないか?という推理も成り立ちます。

日本からの影響があるかもしれないと推察するのはメンバー全員、三島由紀夫のTシャツを着ています。



三島由紀は過激派右翼だと思うのですが、どこまで彼の思想を理解していたのかはよく分かりません。

(軍の基地に乗り込んで演説して切腹して死んだなんていうのはパンクと言えば最高にパンクですが)

ストラングラーズも同時期に三島由紀に捧げるみたいな曲があるので、当時イギリスで流行ったんでしょうか?
(去年の日本公演でやるかと思ったらやらなかったですね)

今、日本で三島由紀のTシャツ着てたら、危ない人だと思いますが、東大生のとの対談の映画が良かったので、ちょっと欲しい気もします。

ちなみに僕の母親は三島由紀夫とお見合いの話があったそうです。
もし母親が三島由紀夫と結婚してたら僕は半分だったわけでどういう人生を送ったか、下北沢駅前劇場での小劇団の演目になりそうですね。

話が外れました。

インタビューを読むと、ジュディのルックスを前面に打ち出してポップ路線で行くかサブカル路線で行くか悩んだみたいな事を言っているのですが、
可愛い系でもないし、アート系でもないし確かに微妙ですね。

ちなみにチャートは60位だったそうなので商業的には失敗ですね。

その後、アメリカ・ツアーに行ったけど、客はあまり居なくて、「サイン会をやってもスパイナル・タップみたいだった」と言っています。かなり悲惨だったのでしょう。

その後解散は理由ははっきりしませんが、要は売れなくて嫌になったのだと思います。

前述のインタビューでラフ・トレードと契約していたら違った状態になっていたかもしれないと言っているので、ジュディがデモをラフ・トレードにおいて行かなかった事をかなりに根に持ってるのだと思います。

ボーカルのジュディは地元で広告代理店に就職。
ギターのジェィムスはサイコビリー系のいくつかのバンドに参加しています。
トール・ボーイというバンドでミニ・アルバムをリリースしていますが、何にも面白くありません。
という事はGAOBの素晴らしさははボーカルのジュディの才能に起因していたのではないかと思います。

87年に82年にレコーディングされたジョンピール・セッションズがリリリースされました。

演奏はツアーを経ているのかアルバムよりタイトにまとまっています。

面白いのは自分たちの曲6曲をメドレーでやっているのですが、転調こそしますが、テンポとドラムのパターンが全く同じでDJミックスのようになっています。

つまり、このバンドは前述したように思いつきでジュディが作ったメロデイーを1曲にまとめるという曲作りをしていたので、こういうアレンジは得意だったのではないでしょうか。

このアルバム、存在は知っていたのです、それこそロンドンのレコ屋で探してもシングルが見つかっても、このアルバム見つからなかったのですが、下北沢のディスク・ユニオンで10年ほど前に偶然引き当てた時は本当に手が震えました。
こんな経験は後にも先にも一回だけです。


この原稿のために色々掘っていたら最近のジェームスのビジュアルを見つけてしまいました。

当時はブリクサ・バーケルトやロバート・デニーロのようなビターな感じのイケメンだったのですが、今やカブトムシのメスないしは島田洋七になってました。
これは偶然あっても絶対に本人と認識出来ないと思うと残念です。

当時


現在

















































僕はリアル・タイムで徳間ジャパンから出たラフ・トレードのコンピで82年頃に聞いて衝撃を受けたのですが、全く情報がなくアルバムの国内リリースもなく輸入盤も解散後の事なので入手は不可能でした。







その後、日本のビニール・ジャパンが1994年に初CD化、








キャプテン・ビヨンドが好き。

2020年04月07日 | ロック
なぜだが分かりませんが王道から少し外れたアーティストが王道のアーティスト同じくらいに好きなんです。

ロキシー・ミュージック、レジロス、ウルトラボックス!(初期)デフ・スクール、B52’S、バズコックス、オンリー・ワンズ、ムーン・ライダーズ、ザ・コレクターズ、モノクローム・セット、ファンカデリック、ムタンチスetc

その中ひとつに僕が偏愛して止まないバンドがキャプテン・ビヨンドというバンドがあります。

去年も新しい発掘音源がリリースされてました。
音質が最悪過ぎだからだと思うのですがレココレにも紹介されませんが、個人的に盛り上がったので、今、時間がある事もあり、数奇な運命(というほどでもないですが)彼らについて私見も含めて書いてみようと思います。

彼らはジャンルとしてはハードロックですね。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、AC/DCも、もちろん好きですが個人的にはキャプテン・ビヨンド(ファーストだけで理由は後述します)
はそれらに勝ります。

プロフィールを紹介すると
1971年 元ディープ・パープルのボーカル、ロッド・エバンス(中央)、元アイアン・バタフライのベースのリー・ドーマン(左上)とギターのライノ(右)
元エドガー・ウィンター・グループのドラムスのボビー・コールドウェル(左)(後のAORシンガーとは別人)でロサンジェルスで結成。

当時、流行ったスーパーグループとして話題になりました。


オリジナル・アルバムは3枚ですが、トリビュート・アルバムがあったり、ここ最近、デモやライブ音源のリリースが相次ぎ、カルトな人気があるんだと思います。

僕のコレクションです。


ボビーの2013年のインタビューを読むと(英語なので事実と違ったらすいません) リーとライノがアイアン・バタフライが洞窟(直訳)に入るので一緒にやらないか、ボーカルはロッドに決まっていると加入の要請がボビーにあったようです。

ロッド・はディープ・パープルをクビになり(理由は力量不足だったとは言われますが、力量不足というよりロバート・プラント的なハイトーンでシャウトするのがロックのトレンドになってきたので、それに合わないと思われたのでしょう)

当時、ジミ・ベンドリックスしかり、シン・リジーのスコット・ゴーハム、スパークスのロン兄弟、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティーなどアメリカからイギリスに活動の拠点を移すアーティストはいましたが逆のパターンは僕の知る限りいないです。

理由は謎ですが、デビュー当時、ディープパープルはイギリスのバンドでもあるにも関わらずアメリカのレーベル、テトラグラマトン・レコードとしか契約出来ずアメリカでしか発売されなかったので、そのツテを頼ったのか、女性関係ですかね(70年代の007シリーズで映画で中盤くらいで殺される悪者みたいなイケメンですから、モテたとは思います)

ボビーのインタビューではオールマン・ブラザースのデュアン・オールマンにたまたまデモを聞かせる機会があり、同席していたカプリコーン・レーベルのA&Rが気に入りデビューが決まったそうです、なのでクレジットに亡くなったデュアンの思い出に捧げるという名前があるかのと思います。

上記のインタビューで「自分たちはカプリコーンはサザン・ロックのレーベルでイメージは違うけれど冒険として面白いと思った」と言ってます。

ちなむにナンバーガールがテキサスのSXSWに出た時に、このカプリコーン・レーベルのA&Rが見に来て名刺交換をした記憶があります。
もし解散しなかったらレーベル・メイトになっていたかもしれません。

そして1972年に大傑作アルバム「キャプテン・ビヨンド」をリリースします。

A面は当時流行りプログレの組曲スタイル。

1曲目から5拍子のドラム・パターンなんですが、変拍子というのは聞いていて『あれなんか変じゃないか!?」と思って指折って数えて確認するののですが、
ドラムだけなのですぐ5拍子と分かるのですごく親切ですね。

演奏は上手いですが、ツェッペリンなどのA級バンドに比べると演奏が突っ込み気味でタメがないので貫禄と風格に欠け、キック、ベースといったロウがちゃんと録れていないので迫力ないのが残念です。

ボーカルはロックというよりラウンジ・シンガーみたいなのですが、良く言えばデビッド・ボウイですが、むしろ布施明に近いと思います。

特徴としては、この時代のバンドにしては歌も演奏も珍しくブルースっぽさが皆無なんです。

アイアン・バタフライもエドガー・ウィンター・グループもブルース・テイストはあるので、それが嫌でリー、ライノ、ボブの3名は辞めて、ブルース・フィーリングのない
ロッドを誘ったのでないかという推察出来ますね。

個人的にブルースは割と苦手なんです。

なのでクリーム(アルバム1枚も持ってないです)やフリー、曲によっては実はツェッペリンも、あまり好きで無かったりします。

なので、そこが僕にはツボなのかもしれません。

週刊文春の桑田佳祐さんのコラムを読んでいたら自分のルーツはエリック・クラプトンからのブルースだと書いてあったのですが、僕がサザン・オールスターズを好きになった事がないのは、そのせいかもしれません。

話が外れました。

70年代のハードロックはコーラスはあまりないのですが、彼らは「パラ〜パラ、パラ〜パラ」みたいな唐突なソフト・ロックのようなコーラスが入り、これがオリジナリティーにもなっていると思います。

歌詞は所謂、宇宙&SFみたいな雰囲気もの、さして意味はないのではないでしょうか。

ギターはジミヘンの影響が多いと思います(機材もストラトにマーシャル、カバーもしてます)
甘めで鼻が詰まったような歪みも独特なのですが、クリーン・トーンも良いんですよね。
チョーキングで溜めず、早いパッセージで攻めるのはアルビン・リーも思い起こします。
単音のリフの跳ねる感じはカントリーの素養もあったのかもしれません。

ドラムはミッチ・ミッチェルが近いです。ミッチ・ミッチェルが叩いていると言っても信じるかもしれません。

ベースは特にこれといった特徴はないです。強いて言えば動画見ると、テレキャスター・ベースを使っているのが珍しいという事くらいです。

プロデュースはバンド名義ですが、エンジニアは録りのエンジニアはウェイン・ディレイーという人でディスコッグス(便利過ぎ!)で調べたら矢野顕子の「ジャパニーズ・ガール」も担当していました。 そう言われれば音が近い気もします。

当時、矢野顕子はキャプテン・ビヨンドを多分知らなかったと思うと残念です。

ミックスは後にオールマン・ブラザース関係のアルバムを多く手がけるジョニー・サンドリン。
さすがサザン・ロックのエンジニア、全体に音が埃っぽいんですよね。

僕がデイレクターなら「ボーカル下げても良いから、もっとキックあげて」とミックスの時に頼んだと思います。

「スティーブ・ウィルソンにリミックスしてもらいたいクラッシック・アルバム」なんていうリクエストがあれば1日一票入れますね。

「後のラッシュ、ジャーニー(多分初期)のプロトタイプになった」と発掘音源のライナーにありますが当たらずとも遠からずです。

このアルバムの特筆すべき点は作詞作曲が全てドラマーのボビーなんです! (実際は他のメンバーも一部歌詞は書いてるようです)
Xですら全曲YOSHKI名義ではないので、こんなアルバムはないと思います。

ジャケットが3Dステッカーでアイコンである「キャプテン・ビヨンド」が立体的に見えるのですが、後にストラングラーズ、松任谷由実などが使いますが、多分レコード・ジャケットでは世界初ですね。よくこんな特殊仕様がデビュー・アルバムで通ったと思います。

バンドがアイコンでキャクターになるのも後にラモーンズ、アイアン・メイデン、ラブ&ロケット、ウルフルズなど思い出しますが、これも偶然だと思いますが、かなり早いアイデアかと思います。

ちなみに思いつきですが、このアルバムを寿司ネタに例えるとツェッペリンがマグロの赤身、サバスはハマチ、ディープ・パープルは雲丹だと、すると彼らはイカ、鯵といった感じでしょうか。

バンドを寿司ネタに例えるというのは、ちょっと面白いかもしれないですね。

アイドルならフィロソフィーのダンスはいくらの軍艦巻き、sora tob sakanaはエンガワ、大阪⭐︎春夏秋冬はみる貝というのはどうですか?

話がずれました。

彼らはこの後、オールマン・ブラザース、アリス・クーパーといったバンドとツアーに出るのですが、実質リーダーであるボビーがインタビューによると「個人的なエゴのため」脱退してしまいます。

バンドはドラム、ピアノ、パーカッションの新メンバーを入れてセカンド・アルバム「サフィシエントリー・ブレスレス(邦題「衝撃の極地」)を73年にリリースします。

このアルバムは、今度は何と、ベースのリーが全作詞作曲を担当しています。
ソングライターが抜けてしまったら、メンバー一丸になって頑張ろうというのが普通だと思うのですが、
不安になったメンバーに「ここは俺が頑張るから」とでも言ったのでしょうか。

涙ぐましいです

アルバムはサンタナに影響されたようなスペーシー・ラテン・ロックというようなかなり独特なアルバムになりました。
面白い部分もありますが全体的に詰めが甘い感じで、残念作という感じです。

ジャケットでメンバーがインディアン、ナポレオン、イギリスの王室の警備兵、バイカー、宇宙飛行士、(もう一人は何だか分からないです)のコスプレをしているのは73年という時期を考えると早いですね。
ビレッジ・ピープルに影響を与えたかもしれません。

それとデュアン・オールマンに続いてバイク事故で亡くなったオールマン・ブラザースのベリー・オークレイの思い出に捧げるとクレジットにあるのですが、2作続けて同じバンドで亡くなったメンバーの名前があるのは不吉です。

その後、何とセカンド・アルバム・リリース直後にボビーがバンドにやっぱり自分の曲はベイビーなので(直訳)自分でをやりたくなったという事で出戻り(ワガママか!)

首になったメンバーは気の毒ですよね。お察しします。

73年にはキング・クリムゾンとツアー(タイム・マシンがあれば2番目に行きます!1番は幕末の坂本龍馬暗殺が行われる直前の近江屋)をしてジョン・ウェットンやビル・ブラフォードと仲良くなったそうです。

良い感じなってきたので、74年に次回作を作る打ち合わせをしようと思ったらロッドがバンドをやめたい(理由は不明)と言い出したため解散したそうです。

出戻り後のライブ音源もリリースされているのですが、解散直前のバンドとは思えないテンションなので、これでトム・ダウト、エディ・クレイマー、アンディー・ジョーンズ
あたりをプロデューサーに迎えてアルバム作って欲しかったです。

ですが1977年、ハイ・トーンが出ないスティーブ・ペリーみたいなウィリー・ダーファン
というボーカリスト(その後ゲイリー・ムーアのG-Forceになぜか参加)を迎えサード・アルバム「ドーン・エクスプロージョン」を突然リリース。
理由は分からないですがメンバーの動向が聞こえなかったので、パンク、NWの時代になり食い扶持が欲しかったのだろうと思います。

当時、ファンなので期待したのですが、ジャケットを見てすでに嫌な予感。
聞くとセルフ・パロディーのような楽曲で、がっかりしたアルバム・チャート人生1位です。
(今聞くと珍品として面白かったりもしますが)

映画「ボヘミアン・ラプソディー」で「俺たちは同じフォーミュラはやらない」とフレディー・マーキュリーが言ったシーンを見せたいです。

当然、売れもせず解散したようです。

80年、ロッドは無断でイアン・ギランやリッチー・ブラックモアががいるかのような思わせる(ルックスが似てるメンバーを入れたそうです)偽ディープパープルを結成。
自分が参加していないディープパープルの時代の曲を歌い、ライブ途中でバレて(当たり前)客にビンなど投げられるという事件を起こしました。

ほぼバカですよね。

この事件でディープ・パープルの全ての印税の権利を剥奪されたそうです。

2016年、ディープ・パープルがロックの伝道入りした時にも彼はメンバーには入れてもらえず(ニック・シンパーはイアン・ギランを入れるために詰め腹切らされたんだから入れてあげれば良いのにと思いました) 生死すらも分からない(ボビーの話ではカルフォルニアで医療の仕事をしてるそうです)というのは、よほど遺恨があり黒歴史として葬り去りたいんでしょうね。


その後も彼らは結成、90年代から結成&解散を繰り返し2000年にはボビーとライノを中心にミニ・アルバム「Future is now」がリリースされました。
名盤のファーストは聴けないのに、これはサブスクで聴けますね(1曲目は日本のアニソンみたいです)

恐ろしい事に去年5月に300人キャパ程度の会場でツアーやってました(オリジナル・メンバーはボビーだけですが、ライノとリーは既に2012年に死去)
動画を見るとトなぜかリプル・ギターの5人編成であまり意味が分かりません。

個人的彼らに思い入れがあるのは高校生の頃、2階の六畳でファーストを「カッコイイ!」とのたうち回って聞いてたのですが、
大人になるにつけて聞かなくなってきました。
CD化された時に聞いて見たのですが、さして感動もなく「大人になると好みは変わるなぁ」と思ったのですが、
10年くらい前にアナログ・レコードが再発されて、期待もせずに聞いたら高校生の時の感覚が蘇ったんです!
これがきっかけで「CDよりレコードの方が良い』と気付かされ、そこから僕のレコード・リバイバルが始まりました。

彼らには、こういう恩義もあるわけです。


長くなりましたが最後に彼らの当時のライブ映像です。ベースのリーの意味不明のパンツ、手持ち無沙汰だから置いたとしか思えないパーカッションと、その適当なプレイも最高です。

Captain Beyond - Full Concert - Live in Montreux 1972 Remastered (1st Gen. Copy) Original Upload

Audio & Video Remastered by BrunoSamppa, 2015 (First & Origina...

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ライブ・アット・モントルー 1972