音楽ファンなら心底感動したライブというのはいくつかあると思います。
とりあえすベスト4をあげると
1982年のU2の渋谷公会堂でライブ。ボノが旗を振って「ノー、ウォー」と言った時は「やっぱノーウォーだな」と思いました。
何年か分からなくなってしまったのですがのカウントダウン・ジャパンの忌野清志郎のライブも感動しました。
RCサクセションも何度も見たことはあったのですが、この時は「愛と平和が一番大切」というようなメッセージが
天啓のように頭の中に落ちました。
1976の名古屋公会堂(多分)での遠藤賢司を見てライブというのは音楽は曲が良いとかどうかではなくアーティストの発するエネルギーを感じるものだというのが分かりました
そして、今から紹介するレジロス(実際はレヴィロスなんですがややこしいので後述します)の1994年5月の新宿アンティノックのライブです。
その理由は「ただ、ただ楽しかった」です。あんな理屈抜きに楽しかったライブは他にありません。
彼らはイギリスのエジンバラで1976年にアートカレッジに通う学生で結成されます。
メンバーの編成はサックス、コーラス、ギターのメンバーが居たり居なかったりして、ややこしいのですが基本的のは男女のツインボーカルにギター、ベース&ドラムの5人編成です。
76年結成、アルバムはスタジオ盤、1枚、ライブ盤1枚、シングル4枚をリリース。
78年には一旦解散してしまいます。
昨年、リリースされた音源全て集めた2枚組のCDが出たのでカルトな人気があるんでしょうね
ビジユアルはこんな感じです。
動画です
B急SF映画の登場人物的な感じです。
特撮映画で言えば円谷プロ、東宝ではなく日活、大映、ビープロ感が満載です。 要は絵に描いたようなB級センスなんです。
ちなみにボーカルのユージン・レイノルドが氣志團の早乙女ヒカルちゃんにそっくりなんです。
それだけの理由で、いつか氣志團万博で呼んで欲しいです。
ユージン
ヒカル
話が外れました。
音楽的にはポップ・パンクになるかと思います。 テンポは早く、曲は短く、メロディーはひたすらキャッチーです。
印象としてパンクというには明るく能天気。
歌詞も「円盤が攻撃してくる」とか「運命の女神」「冷戦が始まる」とかB級SF的な事がテーマで政治的、思想的なメッセージなどはありません。
デイブ・クラーク・ファイブ、ビートルズ、スイートなどの曲を高速カバーで演奏します。
ティニー・ボッパー、グラム・ロック的な味わいも残っています。
彼らの最大の特徴は男女ツインボーカルです。
男性のユージンの声はダミ声。 酒焼けした北九州の鳶職の親父(あくまでイメージです)
女性のフェイ・ファイフィーは甲高くて野太い、下町の焼肉屋で大声で注文とってるお姉ちゃんみたいな感じです。
さらに例えると、この魅力は薬膳の火鍋で鍋でスープが赤いのと白いので2種類に分かれてるのあるじゃないですか、僕の音楽フード理論で例えるとぴったりです。
彼らは1977年インディーズからシングルをリリース、それがサイアー・レコードの目に留まり契約、
サイアーというのアメリカのレーベルでサイアーが初めて契約したイギリスのバンドになるそうです(次はないですが)
それが縁でサイアーのレーベルメイト、トーキング・ヘッズ、ラモーンズと同じトニー・ボンジョビのプロデュースでNYのパワーステーションでファースト・アルバム「キャント・スタンド・ザ・レジロス」を1978年7月にリリースされます
僕が持っているのはUKオリジナルとドイツ・オリジナル、UKテスト・プレス、最新の再発です。
イタリア盤、アメリカ盤、180G再発、日本盤(帯無し)なんかも持ってましたが音がイマイチなんで売りました。
テスト・プレスはレコード番号がない謎のブツで、それほど音は良くないですね。
最新の再発は音良いしオリジナル(¥4〜5000)より安いのでお薦めです。
注目すべきなのでエンジニアがボブ・クリアマウンテンなんです。
彼はその後デビット・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツなど担当して80年代を代表するスター・エンジニアになりました。
彼の最初期の作品です。
なので音が当時の良いんです。例えれば高級な青魚、関サバのような感じかもしれません。
1977年に彼はデッド・ボーイズのファースト・アルバムのアシスタント・エンジニアだったのですが、アルバムをリリースした10数年後、「あのボブが作ったラフ・ミックスの方が音が良いんじゃね」という話になりカセット・マスター・バージョンで再発になりました。 いつか聴き比べようと思ってるレコード・リストに入ってます。
さらに余談ですがある日、タクシーに乗っていた甲斐よしひろがロキシー・ミュージックの「アバロン」を聞き、このサウンドが欲しいと思い、甲斐バンドのアルバム3枚をボブがミックスを担当しています。
結構すごい事だと思うのですが、誰も語らないですよね(ふくりゅうくんどうですか?)
ちなみに雑誌取材の際の原稿チェック、写真チェックというのは甲斐バンドが始めたそうです。
コレクターズの古市コータローさんもこのアルバムのファンで池袋交差点24時で「レジロス登場(邦題です)とばかりにね」という発言があり、いくら万単位の人が聞いている人気ポッドキャストでも
分かったのは僕とジェフとニコルくらいかと思います。
話が外れました。
それと、ベースのウィリアム・ミステリアスが上手いんです。
ルートのエイト・ビート弾きとランニングをうまく組み合わせるキャッチーな良く歌うフレーズと抜群のタイム感がグルーブを引っ張っています。
再発のライナーでJマスシスが「こんな熱いベースのプレイは聞いたことがない」と絶賛してます。
NW知られざる名ベーシストといえばジョー・ジャクソンのバックを務めたグラハム・マビーを思い出します。ジョー・ジャクソンはアルバムによって音楽性がコロコロ変わる人なんですがベースだけはずつと彼なんです。
ベーシストの方は一聴の価値があると思います。
土屋昌巳さんが絶賛してたのを思い出しました。
話が外れました。
アルバム発売と同日に代表曲「トップ・オブ・ザ・ポップス」をリテイクしてシングル・カットします。
謎なのは、このバージョンはテンポも落としてあって、前述の名ベーシストもなぜか脱退しているのでアルバム・バージョンより全然良くないんです。
チャートは17位と健闘していますが、意味が分からないです。
調べるとサイアーがワーナに買収されたためリリース時期が遅れるトラブルがあったとあります。2月にレコーディングで7月リリースというのは、そんなに空いたとは思わないのですが、シングルは新しいベーシストのバージョンにしようというような忖度が働いたのかもしれません。
ナンバーガールは東芝EMIのハイクラスのスタジオで録ったバージョンを没にして地元福岡のスタジオで録り直して、それが吉と出たんですが、この場合は逆ですね。
ちなみこのシングルのエンジニアのイアン・テイラーはVOWWOWのレコーデイングの時にロンドンで会いました。
「ケイト・ブッシュはアナログ・テープの劣化した音が好きだから、何回も録音を繰り返させられて疲れた」という話はしたのですが、当時はレジロスを担当していたとは知らず内情が聞けたのにと思うと残念です。
このあたりからバンドには不穏な空気が立ちこめます。
シングルのレコーディングを前回の失敗を反省したのかスター・プロデューサーのマーティン・ラッシェントを迎えて「ディティネーション・ヴィーナス」リリース。
曲も音の出来はすごく良いのですが、ジャケットの撮影に5000ポンド使ってしまい大問題になったという事なのですが、今のレートで66万円なので、安くはないですが、とんでもない額でもないと思うのと、イギリスは撮影費用はアーティスト負担なんでしょうか? 見てもそんなにお金がかかったとは思えません。
ボーカルのフェイフィが喉のトラブルでツアーが延期。
シングルチャートは43位と下降。
ボーカルの2人はロマンティックな関係(直訳)になってしまい、後の3人と対立することが多くなり(バンドあるあるですね)
1978年9月22日に解散を決めたそうです(良く覚えてますよね)
解散コンサートを同年12月23日グラスゴーのアポロシアターで行います。
この模様はレコーデイングされて「ミッション・アコンプリッシュド、バット・ビート・ゴーズ・オン」としてライブ盤として翌年4月にリリースされます。
このアルバム、アナログではSEでテレビ番組のサンダーバードのテーマ曲が流れて1曲目に突入するところがカッコいいんですが、CDは削られてます。
70年代までバンドの出番の前はMCが煽るという一般的だったと思います。
バンドが出のSEをいつから使うようになったかもいつか検証考察したいのですが、ここでは話が外れすぎるのでやめておきます。
話を戻します。
ライブ・アルバムと同日に「コールド・ウォー」がシングルカットされるのですがライブ・バージョンなのにミックスが違うんです。
こんなケースは聞いたことがないですね。ちなみシングル・バージョンの方がドラムが遠くてギター大きいですが迫力に欠けます。何をやりたかったのかまるで分かりません。
ミックスの時に夫婦組と楽器隊で意見が対立して、では別々にリリースしようとなったのかもしれません。
話はまだ続きます。
カップル組の二人はレヴィロスというバンドを立ち上げ。79年にはデビュー。80年にはベースにウィリアムを再び迎えアルバム[レヴ・アップ」をリリースします(早っ!)
バンドのビジュアルやコンセプトは何も変わりません。
動画です。
強いていえば曲がイマイチになったという事でしょうか。
なぜならレジロス時代の曲はやめたギターのジョー・キャリスがほぼ全曲を書いていたんです。
ジョーはやめたメンバーとバンドを始めますが内容もセールスもパットしません。
ですが80年になんとテクノ・バンドのヒューマン・リーグにギターを置いてシンセサイザーとして参加(マネージメントが一緒だったらしいです)世界的大ヒット・アルバム(UK1位、USA3位)「デアー」では作曲でも貢献します(そこそこ儲かったと思います)
左端です(少し浮いてますよね)
そしてレヴィロスは85年に活動休止していたのですが日本のヴィニール・ジャパンの要請で94年に初来日をします。
この時のライブを僕は見たわけです。この日のライブは「日本炎上」というタイトルでリリースもされました
この後も彼らは不定期な活動を続けコンピレーション、ライブ盤、レア音源などを年に1枚程度リリースしているのですが、ジョーが参加している時はレジロス、いない時はレヴィロス名義のらしく2009年の2度目の来日ではジョーが参加しておりレジロス名義でした。
当時のツアー・パンフです。
ですが2015年の最新アルバムはジョーの名前はないですがレジロス名義になっています。
年もとったし細いことはもういいよという事にでもなったんでしょう。
そしてなんと2019年に初来日のライブ盤の完全盤がリリースされたんです!
たどたどしい日本語もMC「私は宇宙から来たモンスターです!」etcも好感が持てます。
ですがアンビエントと歓声は被せすぎですね。200人キャパの新宿アンティノックが1000人キャパくらいになってます。
打ち上げの写真です。
刺盛り¥480はかなり安めの所に連れて行かれてるようで切ないです。
そして2020年6月25、26日にレジロスが3度目の来日をします(新宿マーズ2デイズ!)
僕は喜び勇んでヴィニール・ジャパンにチケット買いに行きました。
店員さんに聞いたら「ジョーは来ないっぽい」(さすがヴィニール・ジャパン!)けれど名義はレジロスだそうです。
整理番号は1日目は19番、2日目は39番でした。
ですが、なんと延期になってしまいました(泣)中止にならないことを、このブログを読んだ方も願っていただければ幸いです。
とりあえすベスト4をあげると
1982年のU2の渋谷公会堂でライブ。ボノが旗を振って「ノー、ウォー」と言った時は「やっぱノーウォーだな」と思いました。
何年か分からなくなってしまったのですがのカウントダウン・ジャパンの忌野清志郎のライブも感動しました。
RCサクセションも何度も見たことはあったのですが、この時は「愛と平和が一番大切」というようなメッセージが
天啓のように頭の中に落ちました。
1976の名古屋公会堂(多分)での遠藤賢司を見てライブというのは音楽は曲が良いとかどうかではなくアーティストの発するエネルギーを感じるものだというのが分かりました
そして、今から紹介するレジロス(実際はレヴィロスなんですがややこしいので後述します)の1994年5月の新宿アンティノックのライブです。
その理由は「ただ、ただ楽しかった」です。あんな理屈抜きに楽しかったライブは他にありません。
彼らはイギリスのエジンバラで1976年にアートカレッジに通う学生で結成されます。
メンバーの編成はサックス、コーラス、ギターのメンバーが居たり居なかったりして、ややこしいのですが基本的のは男女のツインボーカルにギター、ベース&ドラムの5人編成です。
76年結成、アルバムはスタジオ盤、1枚、ライブ盤1枚、シングル4枚をリリース。
78年には一旦解散してしまいます。
昨年、リリースされた音源全て集めた2枚組のCDが出たのでカルトな人気があるんでしょうね
ビジユアルはこんな感じです。
動画です
B急SF映画の登場人物的な感じです。
特撮映画で言えば円谷プロ、東宝ではなく日活、大映、ビープロ感が満載です。 要は絵に描いたようなB級センスなんです。
ちなみにボーカルのユージン・レイノルドが氣志團の早乙女ヒカルちゃんにそっくりなんです。
それだけの理由で、いつか氣志團万博で呼んで欲しいです。
ユージン
ヒカル
話が外れました。
音楽的にはポップ・パンクになるかと思います。 テンポは早く、曲は短く、メロディーはひたすらキャッチーです。
印象としてパンクというには明るく能天気。
歌詞も「円盤が攻撃してくる」とか「運命の女神」「冷戦が始まる」とかB級SF的な事がテーマで政治的、思想的なメッセージなどはありません。
デイブ・クラーク・ファイブ、ビートルズ、スイートなどの曲を高速カバーで演奏します。
ティニー・ボッパー、グラム・ロック的な味わいも残っています。
彼らの最大の特徴は男女ツインボーカルです。
男性のユージンの声はダミ声。 酒焼けした北九州の鳶職の親父(あくまでイメージです)
女性のフェイ・ファイフィーは甲高くて野太い、下町の焼肉屋で大声で注文とってるお姉ちゃんみたいな感じです。
さらに例えると、この魅力は薬膳の火鍋で鍋でスープが赤いのと白いので2種類に分かれてるのあるじゃないですか、僕の音楽フード理論で例えるとぴったりです。
彼らは1977年インディーズからシングルをリリース、それがサイアー・レコードの目に留まり契約、
サイアーというのアメリカのレーベルでサイアーが初めて契約したイギリスのバンドになるそうです(次はないですが)
それが縁でサイアーのレーベルメイト、トーキング・ヘッズ、ラモーンズと同じトニー・ボンジョビのプロデュースでNYのパワーステーションでファースト・アルバム「キャント・スタンド・ザ・レジロス」を1978年7月にリリースされます
僕が持っているのはUKオリジナルとドイツ・オリジナル、UKテスト・プレス、最新の再発です。
イタリア盤、アメリカ盤、180G再発、日本盤(帯無し)なんかも持ってましたが音がイマイチなんで売りました。
テスト・プレスはレコード番号がない謎のブツで、それほど音は良くないですね。
最新の再発は音良いしオリジナル(¥4〜5000)より安いのでお薦めです。
注目すべきなのでエンジニアがボブ・クリアマウンテンなんです。
彼はその後デビット・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツなど担当して80年代を代表するスター・エンジニアになりました。
彼の最初期の作品です。
なので音が当時の良いんです。例えれば高級な青魚、関サバのような感じかもしれません。
1977年に彼はデッド・ボーイズのファースト・アルバムのアシスタント・エンジニアだったのですが、アルバムをリリースした10数年後、「あのボブが作ったラフ・ミックスの方が音が良いんじゃね」という話になりカセット・マスター・バージョンで再発になりました。 いつか聴き比べようと思ってるレコード・リストに入ってます。
さらに余談ですがある日、タクシーに乗っていた甲斐よしひろがロキシー・ミュージックの「アバロン」を聞き、このサウンドが欲しいと思い、甲斐バンドのアルバム3枚をボブがミックスを担当しています。
結構すごい事だと思うのですが、誰も語らないですよね(ふくりゅうくんどうですか?)
ちなみに雑誌取材の際の原稿チェック、写真チェックというのは甲斐バンドが始めたそうです。
コレクターズの古市コータローさんもこのアルバムのファンで池袋交差点24時で「レジロス登場(邦題です)とばかりにね」という発言があり、いくら万単位の人が聞いている人気ポッドキャストでも
分かったのは僕とジェフとニコルくらいかと思います。
話が外れました。
それと、ベースのウィリアム・ミステリアスが上手いんです。
ルートのエイト・ビート弾きとランニングをうまく組み合わせるキャッチーな良く歌うフレーズと抜群のタイム感がグルーブを引っ張っています。
再発のライナーでJマスシスが「こんな熱いベースのプレイは聞いたことがない」と絶賛してます。
NW知られざる名ベーシストといえばジョー・ジャクソンのバックを務めたグラハム・マビーを思い出します。ジョー・ジャクソンはアルバムによって音楽性がコロコロ変わる人なんですがベースだけはずつと彼なんです。
ベーシストの方は一聴の価値があると思います。
土屋昌巳さんが絶賛してたのを思い出しました。
話が外れました。
アルバム発売と同日に代表曲「トップ・オブ・ザ・ポップス」をリテイクしてシングル・カットします。
謎なのは、このバージョンはテンポも落としてあって、前述の名ベーシストもなぜか脱退しているのでアルバム・バージョンより全然良くないんです。
チャートは17位と健闘していますが、意味が分からないです。
調べるとサイアーがワーナに買収されたためリリース時期が遅れるトラブルがあったとあります。2月にレコーディングで7月リリースというのは、そんなに空いたとは思わないのですが、シングルは新しいベーシストのバージョンにしようというような忖度が働いたのかもしれません。
ナンバーガールは東芝EMIのハイクラスのスタジオで録ったバージョンを没にして地元福岡のスタジオで録り直して、それが吉と出たんですが、この場合は逆ですね。
ちなみこのシングルのエンジニアのイアン・テイラーはVOWWOWのレコーデイングの時にロンドンで会いました。
「ケイト・ブッシュはアナログ・テープの劣化した音が好きだから、何回も録音を繰り返させられて疲れた」という話はしたのですが、当時はレジロスを担当していたとは知らず内情が聞けたのにと思うと残念です。
このあたりからバンドには不穏な空気が立ちこめます。
シングルのレコーディングを前回の失敗を反省したのかスター・プロデューサーのマーティン・ラッシェントを迎えて「ディティネーション・ヴィーナス」リリース。
曲も音の出来はすごく良いのですが、ジャケットの撮影に5000ポンド使ってしまい大問題になったという事なのですが、今のレートで66万円なので、安くはないですが、とんでもない額でもないと思うのと、イギリスは撮影費用はアーティスト負担なんでしょうか? 見てもそんなにお金がかかったとは思えません。
ボーカルのフェイフィが喉のトラブルでツアーが延期。
シングルチャートは43位と下降。
ボーカルの2人はロマンティックな関係(直訳)になってしまい、後の3人と対立することが多くなり(バンドあるあるですね)
1978年9月22日に解散を決めたそうです(良く覚えてますよね)
解散コンサートを同年12月23日グラスゴーのアポロシアターで行います。
この模様はレコーデイングされて「ミッション・アコンプリッシュド、バット・ビート・ゴーズ・オン」としてライブ盤として翌年4月にリリースされます。
このアルバム、アナログではSEでテレビ番組のサンダーバードのテーマ曲が流れて1曲目に突入するところがカッコいいんですが、CDは削られてます。
70年代までバンドの出番の前はMCが煽るという一般的だったと思います。
バンドが出のSEをいつから使うようになったかもいつか検証考察したいのですが、ここでは話が外れすぎるのでやめておきます。
話を戻します。
ライブ・アルバムと同日に「コールド・ウォー」がシングルカットされるのですがライブ・バージョンなのにミックスが違うんです。
こんなケースは聞いたことがないですね。ちなみシングル・バージョンの方がドラムが遠くてギター大きいですが迫力に欠けます。何をやりたかったのかまるで分かりません。
ミックスの時に夫婦組と楽器隊で意見が対立して、では別々にリリースしようとなったのかもしれません。
話はまだ続きます。
カップル組の二人はレヴィロスというバンドを立ち上げ。79年にはデビュー。80年にはベースにウィリアムを再び迎えアルバム[レヴ・アップ」をリリースします(早っ!)
バンドのビジュアルやコンセプトは何も変わりません。
動画です。
強いていえば曲がイマイチになったという事でしょうか。
なぜならレジロス時代の曲はやめたギターのジョー・キャリスがほぼ全曲を書いていたんです。
ジョーはやめたメンバーとバンドを始めますが内容もセールスもパットしません。
ですが80年になんとテクノ・バンドのヒューマン・リーグにギターを置いてシンセサイザーとして参加(マネージメントが一緒だったらしいです)世界的大ヒット・アルバム(UK1位、USA3位)「デアー」では作曲でも貢献します(そこそこ儲かったと思います)
左端です(少し浮いてますよね)
そしてレヴィロスは85年に活動休止していたのですが日本のヴィニール・ジャパンの要請で94年に初来日をします。
この時のライブを僕は見たわけです。この日のライブは「日本炎上」というタイトルでリリースもされました
この後も彼らは不定期な活動を続けコンピレーション、ライブ盤、レア音源などを年に1枚程度リリースしているのですが、ジョーが参加している時はレジロス、いない時はレヴィロス名義のらしく2009年の2度目の来日ではジョーが参加しておりレジロス名義でした。
当時のツアー・パンフです。
ですが2015年の最新アルバムはジョーの名前はないですがレジロス名義になっています。
年もとったし細いことはもういいよという事にでもなったんでしょう。
そしてなんと2019年に初来日のライブ盤の完全盤がリリースされたんです!
たどたどしい日本語もMC「私は宇宙から来たモンスターです!」etcも好感が持てます。
ですがアンビエントと歓声は被せすぎですね。200人キャパの新宿アンティノックが1000人キャパくらいになってます。
打ち上げの写真です。
刺盛り¥480はかなり安めの所に連れて行かれてるようで切ないです。
そして2020年6月25、26日にレジロスが3度目の来日をします(新宿マーズ2デイズ!)
僕は喜び勇んでヴィニール・ジャパンにチケット買いに行きました。
店員さんに聞いたら「ジョーは来ないっぽい」(さすがヴィニール・ジャパン!)けれど名義はレジロスだそうです。
整理番号は1日目は19番、2日目は39番でした。
ですが、なんと延期になってしまいました(泣)中止にならないことを、このブログを読んだ方も願っていただければ幸いです。