アメリカ時代以来の友人と私の渡仏を餌に杯を酌み交わした。どうしてそうなるのか、信じられないというのが彼の第一印象。しかしその宇宙人的人柄を考えればどこかで納得、ということらしい。なぜ哲学なのかということになり、ピエール・アドーさんの言葉を紹介する。目の前にあった花を指しながら、これを最初に、そして最後に見るものとして観ることが大切であるなどと話した時、彼は今頃そんなことに気付いたのか、と反応。その時初めて、15年以上前に肺癌で肺を三分の二も摘出していたことを知る。それ以来、いつ死んでもよいように、今日が最後だと思って生きているという。
私の 「100歳から現在を見る」 という考え方についても甘いと言う。私の視点は、別に100歳まで生きることを前提にものごとをやりましょう、ということではなく、(とりあえず) 100歳から見ることにより、現在がより立体的に捉えられるというところがポイントなのだが、そんな余裕は不要ということらしい。ところで、翌日何気なく新聞を読んでいたら、選挙報道があり、その中でドクター・中松氏が次のようなことを語っていた。すなわち、自ら考案 (発明) した健康法を実行すれば144歳 ? まで生きられるはずで、彼は未だ折り返し点にしかいない、というもの。台風を前になぜか元気が出てくる。