昨日の続きをもう少し。
Vous vous êtes rendu célèbre en 1989 en publiant « Les sources du moi », un livre où vous analysez les motivations de l'individu dans la société moderne et démontrez en fait qu'une seule chose l'intéresse : lui-même. On est loin du lien social...
LP : あなたは1989年に出版した "Source of the Self: The Making of the Modern Identity" 「自己の源泉: 現代のアイデンティティの形成」 で有名になりましたが、その中であなたは現代社会における個人の動機付けについて解析し、個人を惹き付けるものは自分自身だけであることを示しました。われわれは社会的なつながりとは遠いところにあることになりますが、、
Il faut bien l'accepter : l'individualisme a évolué. Aux XVIIe et XVIIIe siècles, à l'époque de John Locke ou d'Adam Smith, il s'agissait pour l'individu de se définir et d'acquérir des droits par rapport à la société, aux Eglises, au pouvoir. Dans le même temps, sous l'influence de la Réforme, s'est développé un individualisme de responsabilité : l'homme libre face à Dieu. Depuis les années 60 se développe un troisième type d'individualisme : l'individualisme identitaire. Le sujet revendique le droit d'être lui-même, quel que soit l'objet de son désir (être artiste peintre, moine, homosexuel...) et le chemin pour aboutir à son accomplissement. Comme l'écrivait déjà au XVIIIe le philosophe allemand Herder, chaque être humain veut vivre en fonction de sa propre mesure. C'est ce que j'appelle la « quête d'authenticité ». C'est un véritable idéal moral, et à mon sens, une forme authentique d'exigence éthique. Non seulement elle crée de nouvelles valeurs pour la société, mais elle est devenue une source de revendication sociale. Si je revendique le fait d'être homosexuel ou musulman, je donne les clés pour expliquer comment je conçois le monde. Et je veux être reconnu en tant que tel. Ma quête personnelle d'authenticité ne vise pas l'exclusion, mais la reconnaissance sociale.
CT : 個人主義が変化してきたことは認めなければなりません。17-18世紀、それはジョン・ロック John Locke やアダム・スミス Adam Smith の時代ですが、個人が自らを定義し、社会、教会、権力側から権利を獲得することでした。同時に、宗教改革の影響下、責任を伴った個人主義 (神の前での自由人) が生れたのです。60年代から第三の個人主義、アイデンティティを求める個人主義 l'individualisme identitaire が発達します。個人が自分自身であるための権利を要求するのです。願望の対象 (例えば、画家、僧侶、ホモセクシュアルなどでありたいという望み)が何であれ、自己実現への道が何であれ。18世紀にドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー Johann Gottfried von Herder (25 août 1744 - 18 décembre 1803) が書いているように、それぞれが自らが存在するその範囲で生きることを求めているのです。それを私は、"la quête d'authenticité" 「真正の探求」 と呼んでいます。それは、真の道徳的理想で、私には倫理的要求の真の姿に見えます。それは社会のための新たな価値を創造するだけではなく、社会的要求の源泉になります。もし私がホモセクシュアルであるとかイスラム系であると主張するとすれば、私が世界をどのように見ているかを説明するための鍵を与えることを意味します。そして、私は私のあるがままとして認められたいと念じているのです。私の個人的な真正の探求は排除を目指すものではなく、社会的認知を求めているのです。
Cette quête de soi n'est-elle pas pur narcissisme ?
LP : この自己の探求は完全なナルシシズムではないのですか。
Le problème n'est pas de juger mais d'être réaliste. Ma thèse est que, si l'on veut comprendre nos sociétés, il faut faire référence à ce besoin d'authenticité. Prenons encore une fois le cas des homosexuels : le problème n'est pas de savoir s'il est bien ou mal qu'un homme aille jusqu'au bout de son désir pour un autre homme. L'important, c'est qu'il réclame le droit d'être reconnu en tant que tel. Il ne veut pas que la société l'entrave dans sa quête identitaire et il est prêt à se battre pour cela au sein de sa communauté.
CT : 問題は判断することではなく現実的であることです。私の考えでは、もしわれわれの社会を理解しようとしたら、この真正の必要性を参照しなければなりません。もう一度、ホモセクシュアルを例に取りましょう。問題は、ある男が別の男へと最後まで行ってしまうのが良いのか悪いのかを知ることではなく、その男をあるがままに認められる権利を要求することが重要になるのです。彼は、社会が自己の探求を妨害することを望まず、共同体の中でその権利のために戦う用意があるのです。
Vous défendez le principe communautaire. Mais la communauté peut aussi être perçue comme une entrave, non ? Que faites-vous de ces jeunes musulmanes mariées de force ou obligées de se voiler ?
LP : あなたは共同体の原則を擁護しましたが、共同体を一つの障害として見ることもできるのではないでしょうか。強制結婚をさせられたり、ヴェールを被らなければならないイスラム系の若い女性にあなたは何をしますか。
Bien sûr qu'il existe des communautés oppressives. C'est justement le rôle de l'Etat libéral de défendre les individus contre celles-ci. Mais il est absurde de penser que toutes le sont. C'est s'aveugler devant le fait que la solidarité communautaire sert souvent d'appui à la liberté des particuliers.
CT : もちろん抑圧的な共同体もあります。このような体制に対して個人を守るのが、まさにリベラルな国家の役割なのです。しかしすべての共同体が抑圧的だと言うのは理に叶っていませんね。それは、共同体の連帯がしばしば特定集団の自由を支えるという事実の前に目をつぶるものです。
Comment analysez-vous le désengagement politique que l'on constate dans beaucoup de pays démocratiques ? Est-ce une conséquence de cette quête d'authenticité ?
LP : 民主国家で見られる政治的離脱をどのように分析しますか。それは真正の探求の一つの帰結でしょうか。
Marcel Gauchet l'a bien montré : dans une société où la recherche d'authenticité devient la grille avec laquelle on voit le monde et la manière de coexister, on constate une perte d'engagement envers la chose commune, que ce soit au niveau des partis politiques, des syndicats ou de l'Etat. Il n'est donc pas surprenant de constater que dans nos sociétés, les taux de participation aux votes tendent à diminuer. Les Etats-Unis sont très en avance sur ce sujet puisque le taux d'abstention aux grandes élections nationales se rapproche de 50 %. Il est donc important de développer d'autres modes de fonctionnement sociaux. Jusqu'ici, nos sociétés reposent sur la loi, les coutumes, les codes. La négociation n'était qu'un ajustement pour éviter les blocages. Aujourd'hui, elle est obligatoire.
CT : マルセル・ゴーシェ Marcel Gauchet (1946- ) がすでにそのことを示しています。真正の探求が世界を見るための枠組みや共存の方法になる社会では、それが政党であれ、労働組合であれ、国家であれ、共通の価値に向かうことがなくなっています。したがって、われわれの社会において投票率が低下しているのも驚くにあたりません。米国では棄権が半数に達しようとしています。社会が機能するためには別の方法を開発することが重要になるのです。今日まで、われわれの社会は法律、習慣、約束事に依存してきました。交渉は行き詰まりを避けるための調整にしか過ぎなかったのが、今では必須になっています。
まず、訳の問題から。すみません、別にあら探しとかじゃなくて、このテーマは私の中心テーマの一つなので、読む方に内容を分かりやすく伝えたい思うので。
マズ、最初の「個人主義が生まれた」というのは「個人主意は変化してきた」の誤りです。近代普遍主義から生まれた革命的平等思想としての個人主義は、同じ近代自由主義によって発達した資本主義の肥大によって徐々に性格を変えていきました。テイラーはここで言及していませんが、最大の問題は、個人が、バラバラの消費者として分断されたことです。彼はそれをネオリベラルと呼び、共同体主義はそのような近代の行き過ぎの是正のために作られたと言っている訳です。しかし、フランスは、バラバラの個人の違いに着目するのではなく共通した理念にあくまでも固執することで、つまり共和国理念を忠実に実現させることで現代の「個の病」を解消しようとしているのです。
「個人が自分自身であるための権利を要求するのです。それが願望の対象 (例えば、芸術家、僧侶、ホモセクシュアルなどでありたいという望み)であれ、自己実現への道であれ。」
という訳ですが、artiste peintre というのは画家のことです。peintre というと普通ペンキ屋のことなので、画家のことはこういいます。後半は、「なりたいものがなんであれ、その実現への道がなんであれ」ということで少しニュアンスが違います。
「自らが存在するその範囲で生きることを求めているのです。それを私は、"la quête d'authenticité" 「真正の探求」 と呼んでいます。」
ここの訳は難しいですね。でもこの文脈では、「どの人も等身大に生きようと望んでいます。それを私は『自分らしさの探求』と呼んでいます、」とすれば分かりやすいでしょう。
「暴力と結びついた、あるいはヴェールを被らなければならないイスラム系の若者」
とあるのは、「強制結婚をさせられたりヴェールをかぶることを義務付けられるイスラムのわかい女性」ということです。つまりフランスは、ある種の共同体内での男女不平等などの人権侵害に対して共和国はユニヴァーサリズムの名において干渉権があると主張しているわけです。
最後の 「blocages」は、これまでは法や習慣や規範に拠っているだけでことが足りた、それでも解決できなくて問題が膠着したときにのみ交渉が行われてきた、ということです。
フランスにもサルコジ大統領の誕生でコミュノタリスムの波が押し寄せています。でも、大統領選への投票率は85%でした。まだフランスには共和国民主主義への信頼が残っているようです。
翻って、日本にも広がる安易な自己実現や自分らしさや等身大の自分を求め、それを社会に認めてもらおうという傾向は、結果として自己愛肥大と社会不適応の人々を増やしているように思います。人は違っているのは当たり前、自分は違う、しかし、自分が特別というわけではない、むしろ「みんなそれぞれ違っている」というすばらしい共通点をよすがにして等身大よりも豊かな個人、等身大の人の総和よりも大きい社会を標榜したいと思っています。
なんだか細かいことを書いてすみませんでした。削除してくださって結構です。
もしこのテーマにご興味がおありでしたら、『アメリカにNoといえる国』(文春新書)をお読みください。秋からパリにいらっしゃるそうですが、すばらしい決断だと感嘆しております。私は30年以上フランスにいるので、お役に立てることがあれば何でもお申し付けください。
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①たった今、UNE VIE ARTISTIQUE DE PARISの
samedi 9 juin 2007_POUR COMMENCERを拝見しました。
② 共同体主義の申し子のような120万ユーロを哲学のために使えるものなら、paul-parisの4年間の奨学金としたいところだ。アングロサクソン系の (つまりは地球規模なので)科学系の学生が、英語・日本語・仏語といった「得意語」(母国語とはいわずとも)で、「épistemologieハンドブック」を手にする日のために。
③この賞金の3倍無いと、哲学的才能があっても、ショペンハウエルのように、「普遍性に突き抜ける個人主義」哲学は成立しないとか、共同体主義の記事のコメントに投稿する気でしたが、ここに付記。
④POUR COMMENCERを読んだ以上、「普遍性に突き抜ける個人主義」の産物としての「l'épistémologieハンドブック」誕生のためにpaul-parisの留学1年目を心配する必要は、奨学金無しでも無用と思えるようになりましたので。
⑤ついでに、mariées de forceは(本人の意志に反して結婚させられる女性達)。普段はpaul_ailleursの日本語訳のみ見ていますが、共同体主義の記事は目を凝らしても読む必要を感じましたので気が付きました。
sekkoさんのコメントを目にしたところで、私の投稿済みコメントも、共同体主義紹介記事の下へ張替えたくなりました。sekkoさんの次のコメントを楽しみに...
ポールさま、Sekko先生はとても話しやすくて、しかも博覧強記。無私なお人柄は人を魅了してやみません。ポールさまのパリ生活はSekko先生との対話で一層楽しいものになるにちがいありません。お二人に会いに、命がけでパリにゆこうかな~。
évoluer のところは、生物学でいう進化ですので、生れるとは違うことは理解していましたが、こうしてしまいました。私にはよく起こる現象です。本文を訂正したいと思います。
言葉の端端から米英と仏との間のギャップを感じましたが、個が分断されている状態では偏狭さや暴力に向かうのを防ぐことができないということで彼は共同体主義の考えを出してきたと理解しましたが、それでよろしいのでしょうか。先ほど読んだ解説によると、彼はそこにスピリチュアリズムを持ち込んで、純粋な理性に因る人文社会科学(宗教と科学)との両刀使い)で行かなければ蛮行は回避できないのだと主張しているとの記載がありました。その詳細はわかりませんが、領域を超える、あるいは異なる領域を融合しようとする行き方には興味を覚えました。
artiste peintre のところは、画家でよいのだと思います。これも最初は日本語だけで出していましたので、大きな流れに影響がないということで芸術家としました。また後半部分もquelque soit が後ろにもかかっているところは訳せていなかったようです。これも訂正しておきます。
"la quête d'authenticité" のところはほとんど直訳です。素晴らしい訳をありがとうございます。そこまで考える余裕がありませんでした。ただ、最近考えていることですが、日本語に訳す時に直訳のように訳すことの味も感じるようになっています。もちろん、専門の翻訳家には通じないのかもしれませんが、何を言っているのかわからないその意味を、他のところを読んで自分なりに汲み取るという作業が面白くなっているといった方がよいかもしれません。これは少し精神的な余裕がでてきたためではないかと思っていますが。
mariées de force は tanguilhem 様からもご指摘がありました。blocages のところと併せて訂正しておきます。
「みんなそれぞれ違っている」というすばらしい共通点、というのは面白いですね。生物学をやっているとこのような視点は常識的なものなのですが、それを人間というところに下ろして考える時にすっぽりと抜け落ちるのかもしれません。
実のところ、まだフランスと米英の考え方の根本的な違いがよく掴めていないようです。著書の紹介ありがとうございます。参考にさせていただきたいと思います。また何かの機会にお世話になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします。
PS:mariées de forceについては、Sekko様からもご指摘がありましたので、訂正しておきます。
でも外国語の上達の道は、どんな細かいミスも、いつまでも、指摘してもらうことだと自分でも思っているので。特に、話し言葉で、ある程度の年配の人や、自分の専門分野を持っていらっしゃるような方には、フランス人も、なかなかまちがいを指摘してくれないので、いつまでもちょっとしたミスが癖になって残る人を多く見ました。実際、語学のレッスン時間でなければ、ちゃんとした内容をちゃんとした人が展開している最中で、「あの、主語が単数だったのに動詞が複数になってるんですけど」なんて話の腰を折ることはできません。でも、たとえば単数と複数は、日本人がどんなに疲れてても「私はこれが好き」を「私、これが好き」と略しても「私をこれが好き」と間違えないように、フランス人ならどんなに構文が長くなっても絶対に間違えないものです。そしてそれは、10歳くらいまでに、間違えるたびに訂正されてきたからにほかなりません。私は話す人すべてに、どんなに細かいうっかり間違いでもその場で指摘してほしいと頼んできて、大分まともに話せるようになりました。
>個が分断されている状態では偏狭さや暴力に向かうのを防ぐことができないということで彼は共同体主義の考えを出してきたと理解しましたが、それでよろしいのでしょうか。
これはちょっと違うと思います。アメリカやカナダは移民国家で quota 主義なので、もともと出身国や民族別の共同体がモザイクをなし、その間の差別が深刻でした。それで、フランスが目指している個人のdiversite の尊重でなく、共同体ごとの plurarite を単位にして差別を是正しようとしたのですね。しかしそれでは自分で選んだわけではない共同体(人種とか性別とか民族とか伝統宗教とか)から出たい人、範疇に入らない人、共同体内のマイノリティである人を救うことにはなりません。テイラーのやり方では、たとえば、伝統的男女の範疇に入らないホモセクシュエルは、彼らだけで新たに共同体を作ってロビー活動をして権利を主張すればいいということになるのですが、それはそういう戦うホモの人たちの多くはインテリや可処分所得の多い人で、経済的強者であるから可能なので、貧しいホモやカミングアウトしたくないホモは圏外におかれます。それに、本当の障害者や本当の弱者には、新たな共同体を作ってロビー活動することなんて不可能です。やはりフランス型ソシアルのユニヴァーサルなセーフティネットは絶対に必要だと思っています。
でも、2005年秋の郊外の「暴動」以来、アングロサクソン・メディアは鬼の首をとったかのように、ユニヴァーサリズムが破綻したからフランス移民の若者が暴力に向かうんだと解説するんです。むしろユニヴァーサリズムが徹底していないからこそそうなるんだ、というのが事実なんですけれど・・・
でも、そんなフランスは若くて強い人には物足りないか、口ばかりの偽善国家とも映るようです。私の長女はNYのマウント・シナイの生物学のラボでポスト・ドクをしてきたばかりで、またNYに戻る気まんまんです。フランスは年寄りヤ敗者に優しい国だから、アメリカで出稼ぎして病気でもしたらフランスに帰っておいで、みたいな話になります。アメリカで研究されたPaulさんがフランスをどう体験なさるか、その意味でも興味津々です。
ところで、ユニヴァーサリズムとコミュノタリズムの違い、理解するのはなかなか難しいようです。もう少しゆっくり見直してみる必要がありそうです。
何年か前、フランスの研究者の状況(ポジションが少ないなど)の改善を求めて、ストやデモがあったと記憶していますが、研究者にはセーフティネットは必要ないと考えているのでしょうか。今は変わってきているのでしょうか。
医師としてウィルス学のラボにいた時、新しい検出法を思いついて、アメリカのラボにメールを送ったら、興味を持たれてウィルスをすぐに送ってくれたそうです。それでパリのラボにあるウィルスも送って欲しいといわれてボスに相談したら、予算もないしどうやって送っていいか分からないと答えたそうです。FEDEXの存在も知らなかったそうです。それをアメリカに答えたら、苦笑しながら着払いできるよう自分たちのfEDEXアカウントナンバーを教えてくれたそうです。
フランスで稼げるのはMedecin biologiste になって大手医薬企業のラボに飼われて新薬許可にサインする道だけみたいです。娘は結局それが嫌で、医師としては臨床、生物学者として研究、の両方を目指すようです。