フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

フランス人であるとは COMMENT PEUT-ON ETRE FRANCAIS ? (II)

2007-03-17 21:40:29 | Weblog

昨日の続きをもう少し。

Le Figaro Littéraire : 今日、責任ある立場の人は (特にフランスに多いようだが)、国家は超えなければならないもので、もはや « postnational » の時代に入ったと考えています。他方で、国家の問題は懐古趣味 (passiésme) や過激主義 (extrémisme) だとして矮小化されています。ポール・ティボー Paul Thibaud はまさにこの点に反対を表明し、国家の危機は国民の歴史への参加の危機 (la crise de la participation du peuple à l'histoire) でもあると喝破していました。国家がないところに民主主義はないのでしょうか。

AF : 確かに、国家は現代民主主義の礎石です。この点に関して逆の意味でよい例がイラクです。アメリカは国家のものではなかった民主主義をひとつのもの (une entité) として持ち込むことが可能だと考え、惨憺たる様相を呈しています。独裁制の蓋を取り払ったのですが、人々の政治的自立を希求する気持ちまでは解放していません。フランスでの状況は違います。国民共通の世界を形作っているのはもはや国家の記憶ではなく、テレビでしょう。

MG : エドガール・モラン Edgar Morin (8 juillet 1921 -) (余談だが、先日私はこの名前で声をかけられていた) が言ったように、フランス人は世界が土地からなる祖国ではないことに気付き始め、国家という概念が必要なのだと考えるようになっています。今や恐ろしい民族主義的論理が罷り通り、頑強な国家が増えています。最近のドイツが国家の利益を守るために動いたエアバス問題やヨーロッパ連合が寡頭制の確立以外の何物でもないことを見ればよくわかります。つまり、国家のために動かないものは何もないということです。やがてフランスのエリートも特有の文化と利益をもつ国家集団という視点を取り戻すことになり、それがEUの放棄、離脱へと進むこともあるかもしれない。

ブローデルは、「国家とは、永久に続けるように運命付けられた自身との戦いである。それを中断するとすべてが崩壊する」 と言っていますが、これこそ最も重要なことでしょう。

« La nation est un combat contre soi-même destiné à se perpétuer. S'il s'interrompait, tout s'écroulerait. »

それに国家の生存は、自らの過去についての歴史的視点や未来を築く力を否定してはありえません。もし外国人嫌い (xénophobe) でも自給自足主義 (autarcique) でもない国家の主張を守るだけの政治力が奇跡的にあり、「状況は変わるが、われわれは一つの過去を持っており、国家の中心的問題意識に忠実であり続ける」 と言えるなら、危機は回避できるでしょう。

« La situation change, mais nous avons un passé et nous restons fidèles à notre problèmatique centrale. »

AF: これからのインテリの役割ですが、何かの旗印の下で考えるのではなく、出来合いの (tout fait) 決まり文句や体制派 (bien-pensance) の様々な言い古しの中に隠されている真実を明らかにすることが大切でしょう。そのためには二者択一の状況に対するノスタルジーから自らを解放し、世界の状況を受け入れる必要があります。ドレフュス支持 (drefuysard) か否かということでは問題は何も解決しません。


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Max Galloは、腰砕けの甘い考えに基づくのではなく、いつの日か国家はなくなるという考えを表明している。しかし、当面の間は国家というものを考えざるを得ないようだ。ここで議論された問題はどこの国にも当てはまり、国家の定義を落ち着いた科学的な思考をもって一度しておかなければならないという想いで読み終えていた。

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フランス人であるとは COMMENT PEUT-ON ETRE FRANCAIS ?

2007-03-16 23:43:26 | Weblog

フランス大統領になるかもしれないニコラス・サルコジーが 「国家アイデンティティ省 (Ministère de l'Identité nationale)」 に賛意を示したことから、国家という問題が前面に出てきた。最近、この問題について本を出した歴史家のマックス・ギャロ Max Gallo とエッセイストのアラン・フィンキールクロート Alain Finkielkraut のインタビュー記事がフィガロ・リテレール Le Figaro Littéraire (15 mars 2007) に出ていた。

Max Gallo « L'Âme de la France »
Alain Finkielkraut « Qu'est-ce que la France ? »

カフェで読んでいると、あなたがムシュー・モラン (M. Morin か) ですか、などと声をかけてくる女性がいる。何でもありの社会のようだ。対論の概略は以下のようになる。

M Gallo: 私の本のタイトルは 「フランスの精神」 ですが、ルナン Renan (28 février 1823 - 2 octobre 1892) は国家とは一つの精神で、精神的な原則 « un principe spirituel » と言っています。しかし私は、« France, prends garde à ne pas perdre ton âme. » 「フランスよ、お前の精神を失わないように警戒しなさい」 という言葉にも思いを致しています。この本の向かうところは、ブローデル Braudel (24 août 1902 - 27 novembre 1985) が言っている 「国家の中心的問題意識」 « la problématique centrale de la nation » の定義を試みること、フランスのDNAが何なのかを探ることです。

A Finkielkraut: ルナンは国家の精神を構成するものに次の二つがあると言っています。一つは過去の豊かな記憶の中にあり、もう一つは現在の市民の同意である。われわれは長い間、2つ目の点に拘ってきました。これからはルナンの定義を全体として考える時が来ているのではないでしょうか。それは改悛 (la repentance) という過去との傲慢な決別によって危うくなっている死者との関係についてです。「現在」 は、痛恨 (la contriction) という見せ掛けの下、過ちに満ちた 「過去」 に対する道徳的優位を保ち満足している。ルナンによれば、時間の流れの中で深く定着し歴史に形作られてきたフランス。力強く語り « parle fort » アメリカ時間を生きる « vit à l'heure américaine » 大統領候補は、「超現代的なフランス」 La France hypermoderne に二度も反対しなかった。1940年の敗戦は国家の崩壊によるものであるとマルク・ブロック Marc Bloch (6 juillet 1886 – 16 juin 1944) は書いているが、今こそブロックを読み、フランスのアイデンティティをはっきりさせなければならない。しかし、それは要求水準の高いスローガン « un mot d'ordre exigeant » ではあっても省の名前ではないだろう。

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マルク・ブロックについては以前にも触れています (2006-7-1)。

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パリの朝に詠める

2007-03-15 23:28:19 | 俳句、詩

こちらに来て時差ぼけの影響から抜けつつあり、このところ10時就寝5時起床のリズムで体が動いている。この日の朝、どうしたわけか目覚めて1時間足らずの間に次のようなものが頭に浮かんできた。

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  人類の遺産と歩まんヴァンセンヌ

   avec le patrimoine spirituel
    je décide de marcher
     à Vincennes


    梅香るここしばらくのヴァンセンヌ

     les fleurs des pruniers s'exhalent
      je serai pour le moment
       à Vincennes


      いつ来てもパリの空切る飛行機雲

       Chaque fois à Paris
        les traînées des avions
         coupent son ciel


        哲学と科学と神とパリセット

         la philosophie
          la science et Dieu
           à Paris VII


          哲学書前に昂ぶるリブレリー

           devant des livres philosophiques
            je m'exalte
             dans la librairie


            白雪の荒野をゆくかこれからは

             vais-je désormais
              sur la terre sauvage
               de la neige blanche ?
 

          春盛り住みたくはなしパリ市街

           en plein printemps
            je ne voudrais pas habiter
             au cœur de Paris


        春のパリ住処に帰る心地して

         le printemps de Paris
          je me sens comme si
           je revenais chez moi


      春の空住み遂せるかパリの町

       le ciel du printemps
        puis-je vivre
         pour toujours à Paris ?


    巴里の街若き日の我溢れおり

     à Paris
      plein de gens comme
       moi de ma jeunesse
   

  春の巴里沸き立つ心ボストンの

   Paris au printemps
    je m'exalte
     comme aux temps de Boston


     若き日と再び歩まんパリセット

      allons encore
       avec ma jeunesse
        à Paris VII


        フランス語我を導き哲学へ

         la langue française
          me guide sur les chemins
           de la philosophie


           なぜ哲学それ人生と先人 (ひと) の説き

            pourquoi la philosophie ?
             « c’est la vie même »
               disent nos ancêtres


        巴里に住みすぐ蘇る紐育

         dès que j'habite à Paris
          les jours de New York
           me reviennent


     西東なぜ斯く違う春うらら

      l'est et l'ouest
       pourquoi si différents
        le printemps doux

  先人の形見に触れん秋 (とき) 近し

   le souvenir de nos ancêtres 
    le temps de le toucher
     est tout près
 

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少し前に午後いっぱいを使って、12区のベルシー Bercy、ドメニル Daumesnil からモントゥロイユ Montreuil、ヴァンセンヌ Vincennes、サンマンデ Saint Mandé のあたりを歩き回ってパリに戻ってきた。その翌朝である。体が脳の思わぬところを刺激したようだ。こういうことが起こるのか、と驚いている。


 (24 avril 2007)
 これまで日本語のままにしておいた拙句をフランス語にしてみた。先月からメールでコメントをいただいているR様のサジェスチョンを参考にしたが、文責はすべて私にあることをお断りしておきたい。


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モンマルトル散策 SE PROMENER A MONTMARTRE

2007-03-14 23:19:50 | 出会い

数日前に、仏版ブログを見たと言って、東京でフランス語の先生をしていたFがメールをくれた。時間があれば、お気に入りのモンマルトル界隈でも散策しないかというのである。両者の都合のよい時間がこの日の午後に一致したので待ち合わせ場所のBarbès へ向かう。メトロを降りて外に出ると、マルボロ・マルボロ・・・・と呪文を唱えるかのごとく唸り続けながらタバコを売る男たちで溢れている。周辺は多人種が溢れている騒々しいカルティエだ。約束の時間に1時間ほど余裕があったので辺りを歩きまわる。どこか殺伐とした印象がある。警官が態度の悪い運転手を怒鳴りつけている。もはや住みたいと思うカルティエではなくなっている。

駅の近くに Virgin Megastore があったので入ってみる。すると入り口に久しぶりに出会う谷口ジローの本が並べられていた。その中の « Le Ciel Radieux » 「晴れゆく空」のページを開くとそこには忘れられない谷口の世界が広がり、あっという間に引きずり込まれる。彼の作品には、記憶、夢、子ども時代、異次元の世界の同居、それに仕事の意味を問うところがどこかにあり、いつも懐かしさととともに心に染み入る。こちらでその世界にもう一度浸ろうと思い手に入れた。

長身のFとは昨年春に東京で会って以来だ。まずモンマルトルの急な坂を上るところから始った。最近ではきついのはわかっているが、体のためと思いどんな所も厭わないことにしている。結局、その界隈を上ったり下ったりとしながら2時間以上は歩いていた。Paul-ailleurs に姿を変えているエリク・サティー Erik Satie (17 mai 1866 - 1er juillet 1925) の家の隣にはミュゼ・ド・モンマルトル。モンマルトルのぶどう畑、その前のラパン・アジル。今日の写真になったムーラン・ド・ラ・ギャレット。これからアメリカ行きを考えているFは、歴史や芸術家についてよく説明してくれていた。作家のマルセル・エイメ Marcel Aymé (29 mars 1902 - 14 octobre 1967) の住んでいた建物とその小説を絡ませたジャン・マレ作の壁を通り抜ける男の彫刻。


パリ・コミューンで重要な役割を果たしたルイーズ・ミシェル Louise Michel (29 mai 1830 - 9 janvier 1905)。サン・ピエール・ホールの本屋では、神秘主義について書いている8ヶ国語に堪能なルーマニア出身の作家にして宗教学者ミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade (9 mars 1907 à Bucarest - 22 avril 1986 à Chicago) を紹介してくれた。そこでは印度の芸術家が特集されていて、その中のクリシュナムルティ Krishnamurti (12 mai 1895 – 17 février 1986) という人の書いているのを読んで、私が最近考えていることと同じ方向を見ているのに驚き、早速 « Le sens dun bonheur » (原題 « Think on these things ») を仕入れた。歩き疲れたところで、丘の上のカフェに入る。そこではざっくばらんにいろいろなことを話す。例えば、文学や哲学、人生はどう歩むべきか、これから1年後は一体どこで何をしているのか、さらにもっと遠い将来は?などなど。夕方、再会を期して丘を降りた。


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エリク・サティーについては以前に触れています(2005-06-25)。昨年彼の家を見ておきたいと思っていたが時間がなく断念。こんな風に思いがけず辿り着くとは、、不思議である。

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他人の人生 LA VIE DES AUTRES

2007-03-13 22:23:20 | 映画・イメージ

こちらに来る機内でLE POINTを見つけ読む。文化欄で Ulrich Mühe ウルリッヒ・ミューヘという東ドイツ出身の男優が紹介されている。彼は、すでに50万のフランス人が見たというアカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝いた « La vie des autres » (原題 "Das Leben der Anderen") で、Stasi のスパイを演じている。皮肉なことに、1984年から1990年まで彼の妻であった女優 Jenny Gröllmann が 1979年から Stasi のために働いていて、自分の妻に裏切られていたことである。彼は鬱状態の危機にあり、LE POINTのインタビューをすべて断っている。昨年 Gröllmann は癌のため亡くなるが、その前に競演しているという歴史の不思議。


街を歩いていて映画のポスターを見た時、このエピソードが蘇ってきて、早速見ることにした。東ドイツの作家・演出家と女優、それに Ulrich Mühe 演じる Stasi が軸になるお話。彼が盗聴を続けていくうちに、芸術家の心に触れてしまい、彼らのためになるように気付かれないように僅かながらの力を添える。共産主義国、全体主義国ではどこでも行われているだろうことが大げさになることなく、坦々と描かれている。それだけにその恐ろしさが強調される。ただ、その中に微かな変化が見え始め、それが次第に希望に変化していく時、見ている方もそこに参加せざるを得なくなる。そういう力を持って迫る秀作であった。


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今ネットで調べていて、またしても何という発見、あるいは物忘れ。この映画の邦題 「善き人のためのソナタ」 を見てはっとした。この映画は日本でもやっていて、見たいリストに入れていたものであった。こんな形でそれが実現するとは、しかも終ってからでなければそれに気付かないとは、、、

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春の日、ある書店にて

2007-03-12 22:18:23 | 哲学

新しい町に降り立ち、早速あてどもなく歩き回る。その時、とにかく先へ先へと歩を進めるようになっている。以前であれば、これを進むとわけがわからなくなると思うと道を引き返すことが多かったが、それでは気分が削がれるためか、もはやその気には全くならないことに気付く。どこに着くのかわからないまま進み、あとでどんな道を歩いていたのかを地図で確かめるのが大きな楽しみになっている。

ところで、こちらでは本屋さんに入るのがひとつの楽しみになっている。展示の仕方が日本と違い、大きなお店でもどこかパーソナルな (人間の生の) 感触を感じることができ、しかも美しく感じることが多いからだ。その日は、壁に10名程度の作家の今までに見たことのない表情が何気なく飾られた本屋が目につき中に入る。まず、許可を得てから店内の写真を撮る。飾り付けが感じよく、本当に気持ちがよい。いつものことだが、彼らの中にある美的センスがわれわれのそれと根本的に違うのだ、ということを思い知らされる。なぜそうなのか、という疑問がずーっと私の中にある。

最近お定まりのコースになっている Philosophie のコーナーへ。その棚の前に立ち、そこにある先人の営みを思った時、これまでになく気持ちが昂ぶってくるのを感じていた。そこで、 « Les philosophes et la science » 「哲学者と科学」 という1000ページを超える本を買う。これから時間をたっぷり使って、これまでずーっと先送りにしてきたことについて読み、考え、そして何かを作ることができれば、、、という想いが襲ってくる。それから、2000ページを超える歴史上の人物を描いたプルターク « Plutarque » を手に取る。なぜか興奮を抑えきれないようだ。こちらはいずれ、ということで棚に戻した。

アラブ系のサンドイッチ屋さんで昼食。アメリカ時代を思い出し、禁断のコーラと日本の3倍はあるサンドを平らげる。歩いたからしょうがない、と自分に言い聞かせながら。これをやっているから、ダイエットの効果がさっぱり上がらないのだろう。

その日ホテルに戻り、本屋さんのしおりを見て、やっぱりフランスか、という感じで嬉しくなる。そこにはこう書かれていた。

  « Un peu de philosophie pour l'arrivée du Printemps... » 
  「春を迎えて少し哲学を・・」 という言葉の下に、次の三冊が紹介されている。

 1977年、体制に暗殺されたチェコの偉大な思想家ヤン・パトシュカの歴史哲学作品
 J. Patočka « L'Europe après l'Europe » 「ヨーロッパ後のヨーロッパ」

 イデオロギーと個人の問題についてのアドルノ1950年の作品
 T.W. Adorno « Etudes sur la personnalité autoritaire » 「専横的人格に関する研究」

 ルイ・アルチュセールの自伝の改訂版
 Louis Althusser « L'avenir dure lontemps » 「未来は永続する」


   ・・・ この日、至福の時間が流れていた。

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花粉を逃れて

2007-03-11 23:19:04 | Weblog

花粉の症状が酷いので、思い切って転地療法をすることにした。彼の地へ向かう機内で新聞を広げる。いつものびっくり箱を開ける時の期待感を持ちながら。日曜のせいか、読書欄にいろいろなものを見つける。

まず、イリノイ大学で学位をとった数学者、新井紀子 (東工大と国立情報学研究所の教授を兼ねている44歳) さん。日本における科学精神の欠如を感じているという。「なぜ」、「・・とは」 を重要だと考えていて、わたしと似たような認識を持っているようだ。こういう人が目立たなくなるのが理想なのだが、、

それから新井満氏が老子の自由訳 (朝日新聞社) を出したという。これまでのものと読み比べてみたい。この時代、老子に惹かれる人が多いということなのだろうか。

楡井 亜木子著 「はじまりの空」 というパリに飛んだ17歳と34歳の恋愛小説。普段であれば全く触手が動かないのだが、小川洋子氏絶賛のキャプションに惹かれて読んでみようかという気になっている。

藤原書店の欄では、「生きる希望 ― イバン・イリイチの遺言」 という本に目が行く。そこに私がこの2年間で感じ着いたことをよく表していたからである。それは、希望がなければ未来はないというもので、広告では 「人びとに 『未来』 などない。あるのは 『希望』 だけだ。」 となっていた。サルトルか誰かが言っていたこととも通じるものだろう。

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人の世は

2007-03-10 23:00:13 | Weblog

この日、午後から久しぶりの買い物に出た後、仕事場の K さんのお通夜に向かう。ランニングを愛し、絵を嗜んでいた K さんは58歳という若さであった。発病から1年に満たない経過だったという。安らかな眠りを祈りたい。どのように人の一生が決められているのか、本当にわからない。静かにバイオリンとピアノの演奏が流れる中、やわらかい雰囲気で始ったお通夜の会場を後にする時、自分より先に逝ってしまった娘を思うご両親が深々と頭を下げている姿が印象に残った。お清めの席で仕事場の人たちと久しぶりに話をする。こういう機会でもなければ、なかなかこの世のお話はできない。

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春の宵 UNE SOIREE DU PRINTEMPS

2007-03-09 22:57:18 | Weblog

昨晩は仕事場の同僚、先輩との食事会があった。私がたまに顔を出すお店で3時間ほど。それぞれ10年以上今の場所で仕事をしているので、この間に起こっている仕事を取り巻く環境の変化とその元にあるものの正体に話が及ぶ。また当然のことながら、それぞれの今後についても話題になる。ざっくばらんに話をする中で、貴重なサジェスチョンもいただくことができ、私にとっては満足のいく会となった。やはり会話を通して得られるものは何物にも変えがたいものがあるようだ。他の皆さんにとっても楽しく時が流れたようなので、又の機会を作ることにした。

ここに来て花粉が全開になり、目と鼻が全く機能しなくなっている。これからハンモックに入るのが減ってくるかもしれない。

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ヴォーヴナルグ - ヴォルテール往復書簡 VAUVENARGUE-VALTAIRE LETTRES

2007-03-08 21:35:09 | 海外の作家

昨年の暮、ヴォーヴナルグとヴォルテールの往復書簡集が目に入り仕入れた。ヴォーグナルグはこのブログのお陰で知ることができた人物で、すでに触れている。そういうことでもなければ、この本には手は伸びなかっただろう。先日、本の山を掻き分けている時この本が出てきた。

  Vauvenargues-Voltaire : Correspondance 1743-1746

   marquis_de_Vauvenargues (6 août 1715 – 28 mai 1747)
   Voltaire (21 novembre 1694 - 30 mai 1778)

往復書簡は、ヴォーヴナルグが軍隊生活を送る27歳、ヴォルテール49歳の1743年に始まり、ヴォーヴナルグがパリに出て31歳で亡くなる前に終わっている。この二人の自由人による交流は、紹介文にもあるようにまさに至宝 "un joyau" である。ヴォーヴナルグの文章は、その明晰さ、誠実さ、文体の美しさをニーチェから絶賛されているので、期待しながら "La justesse sert à tout" (「正確さがすべてに役立つ」) と題してまとめられた最初の手紙を読んでみた。

まず17世紀をニ分した文豪ラシーヌとコルネーユについて論じられている。もちろん両者とも読んだことがないが、ヴォーヴナルグの評価とそれに対するヴォルテールの反応が興味深い。

Jean Racine (22 décembre 1639 - 21 avril 1699)
Pierre Corneille (6 juin 1606 - Paris, 1er octobre 1684)

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1743年4月4日、ヴォーヴナルグからヴォルテールへ

"Les héros de Corneille disent de grandes choses sans les inspirer ; ceux de Raine les inspirent sans les dire ; les uns parlent, et longuement, afin de se faire connaître ; les autres se font connaître parce qu'ils parlent. Surtout, Corneille parait ignorer que les hommes se caractérisent souvent davantage par les choses qu'ils ne disent pas que par celles qu'ils disent."

(コルネイユの主人公は大きなことを言うが霊感を与えない。ラシーヌの主人公はそれを語らずに霊感を与える。一方は自らを知らしめるために長々と語るが、他方は語るがために知られることになる。特に、コルネイユは語ることによってよりは語らないことによって人々の特色が描き出されるということを知らないようだ。)

"Corneille a cru donner, sans doute, à ses héros un caractère supérieur à celui de la nature ; les peintres n'ont pas eu la même présomption,,,"

(コルネイユは実物に勝る性格を主人公に与えていると信じていた。そんな傲慢さは画家でさえ持っていなかったのに、、、)

さらに、コルネイユの趣味の悪さ (よい趣味とは快活で自然に忠実な意識以外の何ものでもないのである) が作品にもモデルの選び方にも表れていると批判を続け、ラシーヌにも欠点がないわけではないが (欠点のない人がどこにいよう) と認めた上でこう言って退けている。

"En un mot, il me semble aussi supérieur à Corneille par la poésie et le génie, que par l'esprit, le goût et la délicatesse."

(一言で言えば、詩情、才能、知性、美的感覚、優雅さのいずれにおいてもコルネイユより勝っているように私には見える。)

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伊東ゆかり 「小指の思い出」  "LE SOUVENIR DE PETIT DOIGT"

2007-03-07 21:31:03 | MUSIQUE、JAZZ

昨晩、テレビの歌番組で伊東ゆかりさんが 「小指の思い出」 を歌っているところに居合わせた。この歌は私の青春時代の思い出の歌になっている。切っ掛けは思い出さないが、とにかく気に入ってしまい 「恋のしずく」 とともに長い間愛唱歌になっていたことを、何年か前に母親が思い出させてくれた。お恥ずかしい話だが、この歌を口ずさみながら学校に通っていたという。自分の内側からの観察から生まれた記憶とその時の表現型にギャップを見出す時、いつも新鮮な驚きを感じる。

これも何年か前、彼女のコンサートに顔を出してみた。余り周りを気にしない、競争とは無縁の、のんびり行きましょうというような彼女の人柄が滲み出てくるようなコンサートで、彼女が歌いながら客席に出てきてこちらの方に顔を向けると、なぜか自分だけが見られているような錯覚に陥っていた。ファン心理とはこういうものなのか、と思っていた。久しぶりにこの歌を聞きながら、すべてを許せるような気分になっていた。

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雪舟再び SESSHU REVISITE

2007-03-06 21:23:56 | 日本の画家

昨日の夜、BS放送で 「雪舟・画聖と呼ばれた男」 に出くわす。雪舟は昨年山口まで出かけて見ているので、強い印象を残した画家になっている。

   2006-11-11 雪舟展に向かう
   2006-11-12 雪舟展にて
   2006-11-13 雪舟 山水図 絶筆

雪舟役の梅津栄さんが国宝の 「四季山水図卷 (山水長巻)」 の中に入ってそこに描かれている人たちと会話を交わしているところは、私が普段やっていることを映像にしてくれているな、と思わずにやりとしていた。今回の番組で特に発見はなかったが、雲谷庵で弟子と暮らす雪舟の生活振りを見ている時、庵を結ぶ生活への強い想いが再燃してくるのを感じた。

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ベルナール・ド・モンフェラン日記 JOURNAL DE MONTFERRAND

2007-03-05 21:38:29 | フランス語学習

日本語をフランス語に訳したり、日仏の状況をフランス語で説明する時のために、以下のサイトが有用かもしれない。

    ベルナール・ド・モンフェラン日記

日記の主は、2005年まで3年間駐日フランス大使であった。前からこの日記のことは知っていたが、当時はインターネット・エクスプローラを使っていたため文字化けが酷く、読む気が失せそのまま忘れていた。今回、何かのサーフの過程で引っ掛かってきたので読み直してみたところ、教材として使えそうである。

この日記の日本語はフランス語から訳されたものと思われるが、日本語をどのようなフランス語に変換すればよいのかを学ぶ時に役に立つような気がした。普段フランス語を書く時には辞書を引き引き文章を組み立てるのだが、それで通じさせることがある程度できるようになってきている。しかし、どのような表現をフランス人が使うのかということがぴんと来ないのである。フランス語的な表現と言い換えてもよいかもしれない、その感触が掴めないのである。その感触を得る一つの方法として、例えばこの日記にある日仏表現を読み比べていくというのも面白いのではないか。微かな希望 (あるいは花粉による錯覚) が芽生えているのを感じる。

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林住期 LA TROISIEME ETAPE DE LA VIE SELON BOUDDHISME

2007-03-04 20:30:41 | 科学、宗教+

本屋に入ると、五木寛之著 「林住期」 が積まれている。その言葉には昨年末、山折哲雄著 「ブッダは、なぜ子を捨てたか」 を読んだ時に強く反応し、このブログでも取り上げている。

  2006-12-18 ブッダと子捨て 
  2006-12-19 ブッダと子捨て (II)

その時は完全に自分に重ねて読んでいた。そこから関連部分を転載したい。

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・・・ブッダの人生を次の三期に分けて考える。紀元前5世紀の誕生から結婚し家を出る前後までの 「シッダールタ (悉達多:しつだつた)」、家を出てブダガヤで悟りを開くまでの 「シャカ (釈迦、釈迦牟尼)」、悟りを開いて以降の 「ブッダ (仏陀)」 である。 

当時のインドではヒンドゥー教が力を持っていた。その教えのなかに人生の理想的なあり方を四期に分ける考え方があった。「四住期」という。すなわち、
 第一住期は、師について勉学に励み、禁欲生活を送る 「学生期(がくしょうき)」、
 第二住期は、結婚し、子供をつくり、神々を祀って家の職業に従事する 「家住期」、
 第三住期は、妻子を養い家が安定した段階で家長が一時的に家を出て、これまで果たすことのできなかった夢を実行する 「林住期」、
 そして最後は、ほんの一握りの人が到達できるステージで、彼らは家族のもとには帰らず、たった一人で遊行者の生活を送り、聖者への道を目指す 「遊行期 (ゆうぎょうき)」 あるいは 「遁世期 (とんぜいき)」 と言われる。

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「林住期」とは、自由な時間と生活を求めて一時的に妻子、家を捨ててひとり遍歴の旅に出るもので、一人瞑想してもよし、巡礼の生活を楽しんでもよし、宗教や芸術の仲間との交遊に使ってもよい。この時期にシャカは再び「家住期」に戻るべきか、「遊行期」に進むべきか悩んでいたのではないかという。心を酔わせる自由と家を捨てる良心の呵責の間で悩み、そして決断した時期がシャカの人生にとってきわめて重要だったのではないかという。このことは同時に、父スッドーダナ(浄飯王:じようぼんのう)を捨て、継母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波堤:まかはじやはだい)を捨てたことになる。血縁のわずらわしさからの逃避をも意味していたかもしれない。仏教の歴史には、脱血縁の思想が見られると山折氏は言う。

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「林住期」 において、人間の世俗的な欲望を制御しようと努めていたはずだが、究極的には 「自己を捨てる」ということにつながることであった。その旅のなかで家族という血縁を捨て、村という地縁を捨てていったのだが、そのはじめの行為が子を捨てるということではなかったのか。異文化のなかを自分の足と眼だけで遍歴し、自分との絶え間ない会話をしながらブダガヤでの悟りに辿りついた。その思考過程から、「縁起」の理、「四諦八正(聖)道」 (したいはつしょうどう)、輪廻、五蘊(色・受・想・行・識)などが結晶する。

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丁度、パリ行きの機内で読んだので、向こうの何人かの友人に仏教における理想的な人生の送り方と 「林住期」 という時期の存在について話していた。今ネットで調べて見ると、いくつかの本が見つかったが、以前には全く目が行かなかったものである。

  桐島洋子氏は早くから林住期について気付いていたようで、1989年には 「林住期が始まる―華やぎの午後のために」、「林住期ノート―人生の秋を生きる」という2冊、最近では 「林住期を愉しむ ― 水のように風のように」 (1998)を出している。 また、ご自身のブログを 「林住期通信」 とまで名づけている。

  山折哲雄編著もある。「『「林住期』 を生きる ― 仕事や家を離れて第三のライフステージへ」 (2000)

ただ、これらの本を読もうという気にはならない。この時期の意味は自ら考えるものだろうから。

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LA DIFFERENCE ENTRE UN ROMAN ET UNE NOUVELLE

2007-03-03 23:04:14 | Weblog

ROMAN と NOUVELLE の違いは? と聞かれる。小説の類は余り読まないので何と答えればよいのか、なかなか思いつかない。心は、読んで楽しめばよいだけのことで定義は重要ではない、というものだが、一つの説明として答えられるものを準備できないかと考えた。

単純に考えると、その長さではないか、というのが最初の反応である。いつもの通り、Wiki のお世話になる。その日本語訳は、それぞれ小説中編小説となっているので、この訳者も同じ定義を第一に考えているようにみえる。

"nouvelle" の項でも、絶対的な決まりはないが、30ページくらいまでの短いものとされている。さらに、roman とは異なり、一つの出来事を中心にしてお話が進む。登場人物は少なく、roman ほど詳しくないが心理的側面が描かれる。話の最後にはしばしば予想できないような 「おち」 "chute" があり、劇的効果を挙げる。

 Une nouvelle est un genre littéraire basé sur un récit de fiction court en prose, pouvant aller jusqu'à une trentaine de pages (mais il n'y a pas de règle absolue). Contrairement au roman, il est centré sur un seul événement. Les personnages sont peu nombreux et sont doués de réalité psychologique bien que celle-ci soit moins développée que dans le roman.
 La fin du récit ou chute, souvent inattendue ou surprenante, est en général particulièrement mise en relief, voire dramatique.

"roman" の定義も難しいだろうが、nouvelle との対比で考えるとよさそうな気がしてくる。こちらは一つの出来事を扱うのではなく、いくつかの物語が語られるものだが、例外はもちろんある。例えば、サミュエル・ベケットの 「名付けえぬもの」 は厳密にみると物語とは言いがたいし、アレクサンドル・プーシキンの 「エヴゲニー・オネーギン」 のような韻文小説もある。

より重要なのは文体であると言う人もいる。ミハイル・バフチンによれば、会話に異なる言葉 (貴族、庶民、法律、技術、詩、、、) が使われているものが roman と定義される。この考えに従うと、文体が小説の重要な要素になるだろう。

 Le roman n'est pas facile à définir, de par la multiplicité des œuvres qu'il recouvre. On pourrait avancer qu'il se présente comme un récit de fiction en prose présentant plusieurs épisodes. Toutefois, on devra immédiatement citer des contre-exemples : "L'innommable" de Samuel Beckett n'est pas à proprement parler un récit ; il existe quelques romans en vers, comme "Eugène Onéguine" d'Alexandre Pouchkine.

 L'aspect prosaïque semble toutefois plus important. Selon le critique russe Mikhaïl Bakhtine, le roman se caractérise par la mise en dialogue de différents langages (noble, populaire, juridique, technique, poétique, etc.). La prose serait donc bien un élément essentiel du roman.

両者を分ける長さ以外の要素が、少しだけ頭に入ってきた。

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