フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

中沢新一 「芸術人類学」  "ANTHROPOLOGIE ARTISTIQUE"

2006-04-11 23:12:27 | 日本の作家

先週のこと。快晴の春の日の午後、近くまで歩く。いつもと違う道を通り帰ろうとしたところ、馴染みの本屋が現れたので中に入る。その日は中沢新一氏の不思議なタイトルの本 「芸術人類学」 を手に取り、最後の章 「友愛の歴史学のために」 を摘み読み。実家の玄関正面に 「友愛」 と書かれた織物がある (以前は居間に置かれていたもの)。そのことが頭を掠めたのだろうか。

「共同体」、「農業」 という社会の中心 (権力) から離れた (あるいはそこから排除された) 場所に囚われない、権力の外にある 「組合」、「職人」、「非農業」 の世界を対比させてこの世界を語っている。よく問題になる農村と都市との関係にも通じる。

さらに読んでみると、このブログでも取り上げたこととの繋がりも見つかる。例えば、網野善彦氏が「非農業」 という新しい概念を発見したことについて、

「たんなる実証的な研究を越えた、ある種の抽象力がなければなりません。『非農業』 という概念は、たんに職人についての実証研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだ」 と強調している。

創造的な発見は、ある研究を地道に積み上げていっても出てこない。そのためにはビジョン、幻を見る能力が必要になるという指摘は、アインシュタインの言葉とも繋がる。

「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。
 あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」

まず、そのことに気づくのが大変なこと、その上でそれを実現させるとなるとやはり何かが要求される。

また、はっきりとは掴むことはできないが確かにそこにあるようなもの、論理を超えた著者の言うところの 「女性的な」 ものの中にこそ新しい学問の芽が宿っているのではないか、と言う。おそらくそうだろう。しかし普通の人は科学的に扱えないものとして無視するか切り捨てて生きている。以前、似たようなことを森鴎外の小説 「かのように」 でも取り上げられていることに触れたことがある。本質的なこと、根源的なことをさておいて、われわれは生きているということに気付かずにはいられない。

最初の章 「芸術人類学とは何か」 では、共同体を成り立たせる論理的な思考とそれとは別に明らかにわれわれの心の中にある 「野生の沃野」、「流動する心」 とでも言うべき芸術や宗教を生み出す動きを統合しなければならない、という思いを語っている。時代が進んでいくと前者が優位になり、野生の部分を抑えつけていかなければならなくなる。今それにより戻しをかけなければならないのではないか、という提言にも聞こえる。「バイロジック」 で存在している人間の本来の姿を意識する必要があるということだろうか。私の場合、どこかに論理を超えた野生の匂いを感じる人には魅力を感じる性向があるようだ。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アート・バックウォルド ART... | トップ | プロクルステスの寝台 LE LI... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久し振りです! (リカ)
2006-04-21 00:23:45
すっかりご無沙汰していました。

中沢新一氏の著作は「カイエ・ソバージュ」の一連の5冊だけですが、以前読んだことがあります。

彼の思想及び「芸術人類学」の概念はちょっと掴み所がないように思えたのですが、最近ジュリア・クリステヴァの『斬首の光景』というルーブル美術館企画のカタログが元となっている著作を読んでいて、その「芸術人類学」との接点というのを感じました。

興味が再燃してきたので、「芸術人類学」という本も読んでみたいです。
返信する
訪問ありがとうございます (paul-ailleurs)
2006-04-21 08:49:01
ブログ拝見していました。お元気そうで何よりです。今回の記事は立ち読み程度で書いてしまいましたので誤りもあると思いますが、あえて。「芸術人類学」というものが学問として成り立つのかどうか疑問も多いと思います。彼の言いたい(目指したい)ところはわかるような気もしますが。またこの二つの言葉の結びつきもややソフト(hard な学問との対比で)に流れる印象を拭えません。「専門家」からは毛嫌いされそうな予感もします。

ところで『斬首の光景』という本、面白そうですね。昨年の展覧会でヨハネの首が描かれていて、これは何だ、と気になっていたことが蘇ってきました。暇を見つけて読んでみたいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/dc71aa0eab68a9bc8fb8cf053a958c90

先に繋がるコメントありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本の作家」カテゴリの最新記事