フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

デカルト パスカル 桜 ・・・ DESCARTES, PASCAL, LES CERISIERS

2007-04-07 22:18:20 | 哲学
今日は午後からDALF-C2のディプロムをもらいに日仏学院まで出かける。この界隈は久しぶりだ。院内には私の面接を担当した先生の姿や新学期を迎える晴れ晴れとした人たちを認める。それから北の丸公園の辺りまで散策。特に当てもなかったのだが、終りかけの桜に会うことができた。盛りほどではないと思われるが、それでも大勢の人で溢れていた。途中カフェに立ち寄り、ジャン・クロード・ブリスヴィルという人のデカルトとパスカルの仮想対話のさわりを読む。

Jean-Claude Brisville "L'Entretien de M. Descartes avec M. Pascal le jeune"

今回改めて、デカルトがフランスには根を持たず、30年のうち5年しか故国で生活していないこと、自分の地位を確立することに努めなかったこと、自由な精神を維持するためには慣れ親しんだ関係を避けることが求められ、孤独、沈黙、人目を避けること (l'invisibilité) が重要になること、そして有名な "Je m'avance masqué" (Larvatus prodeo) 「私は顔を隠して進む」 をモットーに生きてきたことなどを彼の発言として読む。この両者の違いは、パスカルの以下の発言に象徴されているようだ。

 Pascal: Je crois que vous le déduisez, Monsieur ; vous ne le voyez pas. Il est pour vous comme un principe, et en moi comme une chaleur. Vous le pensez, moi je le sens. Voilà toute la différence.

 パスカル 「あなたは(神)を演繹はするが、見ていないと思います。それはあなたにとって原理のようなものでしょうが、私のなかでは熱気のようなものです。あなたはそれを考えていますが、私はそれを感じるのです。それが違いのすべてです」


本当に面白い。ネットで調べ見ると、この対話は舞台化されているようだ。これを読んだ後、桜を見ながら歩いている時、全く囚われのない気分になっていることに気付く。これまでにはない程に自由に、体一つでこの世に存在しているという感覚を楽しんでいた。


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2007-01-21 デカルトの人生 LA VIE DE DESCARTES
2007-02-18 パスカルに自分を見る S'ENTREVOIR CHEZ PASCAL

コメント (7)
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