フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

パリの南へ - 予期せぬ出会い RENCONTRE IMPREVUE

2005-06-28 21:02:33 | 出会い

canicule のこの時期、お年寄りが脱水症状になるのが心配になるとテレビで話している。「脱水状態になる」を se deshydrater (ス・デジィドゥラテ) という。この言葉がすんなり入ってくるようになったのは、こちらに来た初日の経験による。お土産に持ってきたお菓子の箱に入っている小さな袋の中身を食べられるのかと聞かれ、何と云うのかわからない。何とか意味を伝えることができた時に出てきた言葉が、「デジドゥラタン」。綴りを教えてもらうと、deshydratant、小さな袋に入ったものを sachet deshydratant というらしい。脱水 deshydratation、脱水状態 deshydraté などもよく聞こえてくる。

国立図書館 (BNF) で30,000 もの資料紛失事件があり、その中心人物 (protagoniste) のインタビューが Le Figaro に出ていた。BNF は全部で 3500 万の資料を収め、以前の場所 (Richelieu) から現在の Tobiac (François Mitterand) に移る時になくなったらしい。これまでにも1946年、80年代、97年に同様のことがあり、自殺者も出しているようだ。今回疑われている Michel Garel という人は、私は理想的な生贄だ (Je suis le bouc émissaire idéal)と訴えている。執拗なメディアの犠牲にもなっており、次のようなことを言っている(真偽のほどはわからないが)。

Au Japon, mon nom a même servi aux téléspectateurs apprenant le français pour comprendre l'expression « mis en examen » !
(日本では、テレビでフランス語を勉強する人が「尋問・取調べ」という表現を理解するために私の名前が使われさえしている)

-------------------------------------------

今日はパリの南まで意見交換をしに行ってきた。2回ほど電車を乗り継いでからバスに乗り、1時間足らずの移動であった。午前中1時間ほど話した後、5-6 人と昼食に出る。こちらは climiatisation の率が低く、私が話している間も2-3 台の扇風機 ventilateur が大活躍していた。今日は室内で30度は優に越えていただろう。汗が噴き出してきた。レストランで、フランスらしいものはないかと尋ねたところ、ジェジエのサラダ (salade de gésier) を勧められた。gésier は辞書によると、dernière poche de l'estomac des oiseaux (鳥の砂袋)とある。軟らかくて口当たりがよかった。勧められたビールとともに日仏文化比較に少しだけ花を咲かせた。後から入ってきた2人組が、今日は別の用事で手が離せず聞きにいけなくて残念でした、と言ってくれる。パリでは味わえないコミュニティがあるという印象。

午後からは数人と1対1で話をした。私のフランス語を聞いて英語で行きましょうというのが普通なのだが、中には最初からフランス語でどんどん話してくる人もいてなかなか大変であった。しかし終わってみると心地よい疲れだけが残っていた。夕方5時頃にパリに戻ってくると、またしても雷が鳴る軽い嵐の様相。ただ、こちらの嵐は大体2時間くらいで過ぎ去るようだ(2週間の経験だけだが)。

今日のブログは以上で終わるはずだったが、その後小さな発見があったので以下に書いてみたい。

フランス語で通していた彼女(名前は聞いたのだが外国人の名前を1回聞いただけで覚えるのは並大抵ではない)の歩く後姿(われ関せず、わが道を行くという雰囲気を漂わせている)を見た時、なぜか初めてではないな、と薄々感じていたがそのままにしていた。帰ってきてから、行く前に印刷しておいたホームページを捨てようとして何気なく見直していると、JBという名前が載っている。どこかで聞いた名前だなと思いながら今日を振り返っていると徐々に昔の記憶が蘇ってきた。やっぱりそうだったのか、と驚くと同時に納得した。JBは私がそれこそ30年近く前ボストンで仕事をしている時に同じフロアで働いていたのだ。当時、日本では見かけなかったその歩き方が彼女の生き方(やや悲劇的な要素もありそうな)を象徴しているのではないかと勝手に想像していて、そのエッセンスが記憶のどこかに残っていたのだろう。それが今日、彼女の後姿を見ることにより徐々に蘇ってきたようだ。もしあっさりHPを印刷したものを捨てていたら、彼女のことは永遠に忘れ去られていたかもしれない。何かが巡り巡っている、そんな感じのした不思議で懐かしい出会いであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする