フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

先送り - Esprit critique

2005-06-04 15:15:36 | Qui suis-je

何かを批判する時、その要素が自分の中にもあることに気づき始めたのはいつ頃からだろうか。

学生時代からの「癖」が未だに残っている。名の通った小説や哲学書のことを聞くと、いずれじっくり読みましょう、と考える。何か新しい知識が目の前に現れると、いずれもっと深く調べましょう、と先送る。身の回りに重要な変化が起こっているにもかかわらず、深く考えずに流れていき、すべてが終わってから、ああこういうことだったのかとその意味がわかる、という経験はこれまでに数回あった。政治も含め、目に触れるものの中に「先送り」を見て批判できるが、それはまさに自分の中にあったのだ。

ある国 (文化) の中で生活するということは、その中の根幹にかかわる何かに影響されていることを意味する。意識できないくらいに自分の中に入り込み、もはやその一部になっているものがある、ということを感じたのは、おそらくアメリカで生活して数年経った時だろうか。それに気付くと異文化の中に生きるのが次第に苦しくなるほどに重要な何かなのだ。

あることを批判する時、自分はその対象とは全く違うところにいて犯さざるべきもの、という立場からのものが多いように感じる。特に、多数はこちら側にありと本人が思っている時に(そういう時は、「非難」になっているのか)。批判は非常に重要だ。何ものにも阿ることのない、鋭い、辛らつな (= mordant, incisif) 批判は不可欠だ。しかし余りにも少ないようだ。もっと聞いてみたい。特に、自分の中を一度覗いてみてからのものだ、という感触が得られるようなものを。そうなると、より考えさせられるものになり、説得力を持つように思われるのだが。その上、色とりどりになるだろう。

批判精神とでも言うべき、Esprit critique という言葉の意味を Grand Robert で調べてみた。

« qui n'accepte aucune assertion sans s'interroger d'abord sur sa valeur »

やはり、自分との関わりが初めになければこの精神にはそぐわないようだ。


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「先送り」再考 2006-05-05
「先送り」再々考 2007-09-24

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