パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

バジュランギおじさんと、小さな迷子

2019年01月12日 | 本・マンガ・テレビ・映画
1月12日(土)曇り

昨日は、「バジュランギおじさんと、小さな迷子」の試写会へ。
今年初の試写会にして、今年のベストワンになるかもしれぬと思うほど大好きな映画であった。

簡単にあらすじを言いますと、っていうか、もう題名で大体わかるし、感動作だろうなという予感もします。
ざくっと言いますに、パキスタンの小さな村に住む女の子がお母さんとインドのイスラム寺院に願掛けに行った帰りインドに取り残されてしまう。
なぜ願掛けに行ったかというと、この子の声が出せないことを心配しての願掛け。
よって、この主人公のパワン(バジュランギ)との意思疎通もなかなか苦戦する。
やっとパキスタンの子だと判明し、さらには異教徒イスラム教信者ということもわかり、食べ物も違い・・・
警察でも大使館でも相手にしてもらえず、とうとうパワンは自分がこの子をパキスタンまで送り届けることを決心し700キロの旅が始まる。
最後にこの女の子が「パワン〜〜」だか「おじさ〜〜〜ん」だか叫ぶんだろうなと予測できますよ、クララが立ったっっ!くらいの感動シーンばりに。
でももう途中から、この女の子が可愛くて可愛くて、パワンのお人好しの馬鹿正直さも愛おしく、なんでもないシーンですら涙ぐむ。
あと、ワタクシ、これをもって自分がインド映画好きだということを確信しました。
いや、それほどたくさんみたわけではないし、恐らくは他の国の映画ほどたくさん入ってきてるわけではなく、選りすぐりのものを観ているからだとは思いますが、
でも、俗にいう「必須のダンス」も結構好き。
フレンチジョークには笑えませんがインドジョークはワハハと笑える。
観たインド映画は「きっとうまくいく」「PK」「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」「ライオン 25年目のただいま」これくらいだ。
ハズレがない。
切なくなりすぎたりするのもあったが、基本的に「つまらん」とか「駄作!」とか思うものがない。
特に「きっとうまくいく」はワタクシの好きな映画ベスト10入りしている。

インド映画を見るといつも「宗教」について考えさせられる。
今回の主人公パワンは熱心なヒンドゥー教信者。
彼はヒンドゥー教のハヌマーン神を崇め、その信仰心の強さゆえの「愛」を持って少女を守る。
そんな彼が、パキスタンに入り、イスラム教のムスクに異教徒でありながら受け入れられることに戸惑う。
宗教とは強くて頑なで難しい。
「神のご加護を!」的なお互いの言葉を言い合うシーンにまで行き着くところは、宗教心の皆無なワタクシをもってしても感慨深い。
「PK」を見た時にも感じた、もう少し、宗教というものを知っていたら、もっと面白く見られただろうなあということを今回も感じた。
ワタクシは無宗教な人間であるが、信じる信じないではなく、宗教というものを勉強しようと思った。

帰宅後、娘とラインでそういうやり取りをしたら・・・
娘「そうね!映画って宗教についての理解によって全然異なるよね。糸井さんのコラムでスリービルボードの深読みブログ読んだけど、まじ衝撃すぎた。聖書読もうと思った。」
似た者母娘である・・・
あ、あと、娘から「パンジュラギじゃなくて、バジュランギね!」と指摘されました・・・
宗教の勉強と同時にカタカナの勉強もします。
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死について

2019年01月07日 | Weblog
1月7日(月)晴れ

昨日の、高校友Bちゃんのご主人の訃報に端を発した訳ではないが、死ということについて考えている。
ワタクシは子供の頃からずっと死ぬ事が怖くて怖くてたまらなかった。
流石にこの歳になると、不老不死を願ったり、絶対死にたくないとは思わない。
ボケちゃって何もわからないまま周りに迷惑かけてまで生き続けたいとは思わない。
そのためにはどうしたらいいのか。答えは一つ、運動してコレステロール値を下げろって話だ。
じゃなくて!

年末年始に上京してた義弟Aと夫と3人で呑んだ時、死ぬ事についての話になる。
義弟A「オレ、いつ死んでも構わない。今死んでも構わない。」
夫の家は熱心な仏教徒である。
だからてっきり彼は宗教観によって死への恐怖がないのかと思ったら、全くそうではなかった。
義弟A「おふくろが亡くなる前、南無阿弥陀仏を何度となく唱えてみたけど何にもならなかった。」
ワタクシの場合、小さい頃から「長生きしたい」と思ってたから、一概にこれだけだとは言えないのだけど、
やはり、子供が生まれてからは、これが「生」に執着する大きな要因になっている。
癌になった時にまず考えたのは「せめて娘が成人するまでは生きていたい」
今、立派に(・・・)成人したが、神様ありがとう、もう十分です!とは思わない。
今、やっと母の納得する就職をして、優しい婚約者がいて、今後彼女が結婚して、孫が生まれるかもしれない、そのあたりまでなんとか見せていただけないものでしょうか、神様。
子供のいる人全てが生に執着するとも思わないし、逆に子供のいない人はこの世に未練はないのか?というとそういうわけでもないとは思う。
ただ、思わず比較してしまうのは、義弟が双子だからか。
中学生を頭に、まだ就学前の子供まで3人いる義弟Bに、果たして「死」について尋ねて、彼が「いつ死んでもいい」とは決して言わないだろうなあとは思う。
まあ、子供を作ったという責任感もあるとは思うが、責任感だけではなく、やはり守るものがある人間は生に執着するのではないかと思うのだが、流石にそんな事、義弟Aには言えず。
義弟Aが「どうせ死ぬんだよ。絶対死ぬんだよ。それなら、それが今だろうが10年後だろうが大した違いはない。」
切なさを通り越して、ちょっとイラっとする。

今を精一杯生きているから、死ぬのが怖くない、という人はどのくらいの割合でいるのだろうか。
もう、十分生かしていただきましたと、70代80代の方がおっしゃるのは、それはとても素晴らしく、羨ましくもある。
でも30代40代50代あたりの人で、死ぬのが怖くない、いつ死んでもいいと言えるのは、逆に精一杯生きていないからじゃないかなあ。
好きな人、好きなもの、やりたい事、そういう事がないからこの世に未練がないのではないか。
この夜、唯一ワタクシがほっこりしたのは、30年くらい前に、義弟Aがバイクで日本一周して、北海道の富良野から当時好きだった女の子にラベンダーの花束を送ったという話。
浮いた話一つない彼が、酔った勢いで語ったこの昔話で、彼にも女の子を好きになったりした事あったのね〜としみじみしたのであった。

今日の一枚は・・・
Bちゃんのご主人を偲んで、買ったお花。
お正月ですら、千両と松しか飾らなかった玄関が少し華やぎました。
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伴侶の死について

2019年01月06日 | Weblog
1月6日(日)晴れ
長かったような短かったようなお正月休みも今日まで。
怒涛の前半を終えた後は一歩も外へ出ない日を過ごし、最終日の昼間はだらだらテレビや録りためてた映画なぞを見て過ごす。
で、昼間は垂れ流しのテレビから「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送。
「仏教界の革命児」と呼ばれている僧侶の回。
末期ガンの40代の男性からの相談。
彼自身は「死」というものをある程度受け入れる体勢になってきているが、妻はまだ受け入れられずにいる。
そりゃそうだ。まだ小さな子供達が3人もいるのだ。
図書館の司書だった彼は、子供達のために、壁全面の本棚にたくさんの本を並べる、妻と一緒に。
下の方は小さい頃に読む用の本、そして徐々に難しい本を上へ上へと。
途中いたるところに「はらぺこあおむし」の付箋のメッセージ。
葬儀はその部屋、その本棚の前に祭壇を作り、高橋僧侶が子供達にもわかるように般若心経の話やお別れの話をする。
奥様はちゃんと看取って、ちゃんと送れたからだろう、穏やかなお顔でお別れできてる気がして、なんかホッとした。

夜、早めに晩酌を切り上げてお風呂に入る。
上がると夫が「電話やらラインやら色々鳴ってたよ」
見ると・・・
高校友Yから、電話とラインとメールが入ってて、画面の文字でショックを受ける。
高校友のBちゃんのご主人が亡くなったと。
慌ててYに電話を入れる。
彼女も、別の友人Mさんから聞いた話なので詳しくはまだ何もわからないと。
わかってるのは、今日亡くなったということと、お通夜の日取りだけ。
どうしていいかわからなくて、誰に連絡すればいいかもわからなくて、とにかくnに連絡しようと思って!と言う。
Y曰く「秋くらいから、女子会に誘っても来なくなって、何かあったのか気にはしてたのよ」
そうなのだ。
ワタクシも、昨秋、帰省する時に、ずいぶん久しぶりにBちゃんに連絡してみた。
「今度帰省するんだけど、久しぶりにそちらに遊びに行こうかと思ってるの。会えないかな?」と。
すると、まだいつという日程も言ってないのに「ちょっとバタバタしてて無理なの」という、いつもの彼女らしからぬ返事に少し違和感は感じていたのだ。
しかし、自分も介護帰省の身。
年齢的に、親の介護だったり、自分の体にもガタがくる時期。
あまり深く追求することなく、まあ、次の帰省の折にまた連絡しようと軽く流してしまっていた。
激しく後悔する。
もう少し、しつこく聞き込んでもよかったかもしれない。
近くの人には言えない事も、遠くに住んでる人にはかえって話しやすいことあったかもしれないのに。
後悔先に立たずだが。

ラガーマンで、ガタイが良くて気のいい優しい人だったBちゃんの旦那さんKさんを思い出し
Bちゃんが、満足のいく看取りができていたらいいなあと思う。
今月末辺りに帰省する予定だが、その時、福岡の友人宅経由で帰省する。
その友人は、10年ほど前にご主人を若くで亡くしている。
その時、どうやって乗り越えたか、周りの人間にどうして欲しかったかなどを聞いてみたい。
自分が病気持ちなので、自分の死についてはよく考えてきたが、夫のことは深く考えたことなかったような気がする。
糸井さんのツイートから幡野さんという写真家の方を知り、癌患者とその家族、関わり方、安楽死等々考えさせられる。
いや、まだほんの入り口で、いや、少しまだ逃げ腰なのだ。
彼のテレビも、録画したまままだ見られないでいる。
54歳のワタクシ、我が夫は今月59歳になる。
親の介護に気を取られる年齢ではあるが、こうして伴侶の死を迎える友人とか増えてくるんだ。
今、またYからラインがきたりして、二人して後悔の嵐。
今頃Bちゃんが泣いてるだろうと思うと泣けてくる。
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TAXI ダイヤモンド・ミッション

2019年01月05日 | 本・マンガ・テレビ・映画
1月5日(土)晴れ
年末最後の試写会にて鑑賞。

その前に、まずは反省として闇雲に応募するのはやめようと。
鑑賞前にあんまり先入観を持たないために、なんて理由で深く調べないで見に行くことも今後少し改良して行きましょう。
現状としては、予告編を見て、邦画だったら出演者を見て、まあ見てもいいかな程度のものに片っ端から応募。
下手なテッポも数撃ちゃ当たるで、仕事をやめた去年の後半は月いちくらいの割合で試写会に行った。

で、年末の大掃除もそこそこに見にいったのは「TAXI ダイヤモンド・ミッション」
あ、見てみて!予告編。面白そうでしょ?
つか、ワタクシ、これがシリーズ物だということすら知らなかった。
寅さんをいきなり見ても、いや、それなりに面白いけどさぁ〜あのそこはかとなく漂う妙なおかしみとかはわからないんじゃない?フランス人には。
それと同様、おそらくこのシリーズのファンだったら爆笑モノかもしれないシーンですら、「ありえん・・・」とつぶやく。
フレンチジョーク?これもいまひとつわからない。
まあ、ワタクシって、若い頃はそれなりに走り屋だったじゃない?だから、まあ、爆走シーンとかは・・・
吐きそうになったわっ!酔ったわっ!目回ったわっ!
さらには、今回は吹き替え版ということもその場で知って、「そうなのね〜まあ千鳥がやることだし、面白そうだからいいけどさ〜」
面白かったのは、
隣の中年カップルの男「あ、これ吹き替え版なんだ!」
女「それだったら字幕気にせず後ろの席で良かったんじゃない?」(←ワタクシも、そのカップルも、狭い試写会場の前から二列中央を陣取っている)
男「いやいや、臨場感!」

いざ始まって見て・・・
ん?これってフランス語?(←フランス映画ということすら知らんかったn)
え?つか、吹き替え版じゃないの?千鳥はどのタイミングで出てくるの?フランス語の中にイタリアマフィアの兄弟としてイタリア語喋るの?とパニクる。
手違いだったのか結局のところ吹き替え版じゃなかったってことなんでしょうが
この隣の中年男が「吹き替え版だから見に来たのにぃ〜」とか言いやがる。
いやいや、あんた始まる直前、もらったアンケート用紙見るまで吹き替え版だと知らんかったがな!
クレームつける勢いで近くの人に「吹き替えだと思って楽しみにしてたのに!」ってなこと言ってる。
夫婦だと思ってたんだけど、どうやら同僚だか知り合いだかだったようで、女の人が無口になってるのがおかしい。
大声のおぢだから、みんなが心の中で「いやいや、あんた吹き替えって知らんかったやろ!」と突っ込んでたと思う。
クレーマーの素質のある人って、何でもネタにできるんだなあ〜と感心しながら帰路につくことであった。

で、来週は、今年の試写会初めってことで「バジュランギおじさんと小さな迷子」を観に行きます。
楽しみぃ〜〜〜
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明けましておめでとうございます

2019年01月04日 | Weblog
1月4日(金)晴れ

すっかり出遅れました。
今年もどうぞよろしくお願いします。

さて!ワタクシの年末年始を、愚痴やら混ぜながら振り返ってみましょう。
29日。
義弟Aが鹿児島より上京。
ワタクシは、家の片付けやら宴の料理の算段等で忙しいから、適当にご飯食べて来なはれ!と夫を迎えに送り出す。
東京駅には義弟Bと甥っ子も来て、4人で軽く焼きトンなんぞ食べてから解散。
我が家に到着して早々に義弟Aと夫、二次会開始。
ここで、我が母から送られてきていた焼酎『伊佐美』をあける。
呑兵衛でない方々にはお分かりいただけないだろうが、この『伊佐美』なかなか入手困難な名酒なのである。
さらには、最近ではその上を行くと言われる『伊佐舞』、この2本セットで送ってくれたのである。
まずひと口呑んだ義弟A「伊佐美臭い」
n、台所でつまみを用意しながら「美味しいと思わないなら勿体ないから呑むな〜黒伊佐あたりを呑んでろ!」と呟く。
しかし、この舌バカ兄弟、ほとんど一升あける寸前まで行き、ムカついた妻から「お正月にYさんに呑ませる分くらいは取っておいてっっっ!」と取り上げられるのだった。

翌日は義弟Bのうちへ泊まってもらうことになっていたので、夫が送って行く。
その間にお節やら諸々下準備をすることにしましょう・・・と思いきや、
夕方夫から「諸事情により、またうちに泊まらせることになったので義弟Aと今から帰る。」
え〜〜〜っ!予定が狂う〜〜〜っ!
今夜はもう、昨夜のお風呂に足し湯して入り、年越し用の料理の味見を兼ねてそういうのをつまむくらいに考えてたのにぃ〜〜〜
慌てて風呂掃除やらツマミ作りやら始める。
またも呑んだくれる兄弟。

そして大晦日。
義弟B一家やってくる。5人家族である。
都内に住んでるのに、彼らは大晦日と元日2連泊するという。
君らは帰れるだろ〜?
義弟B達が持ってきてくれたお肉でしゃぶしゃぶを食す。ふるさと納税の返礼品らしい。
いまだふるさと納税の仕組みがよくわからないが、とにかくありがたくいただきます。
宮崎のお肉でした。美味でした。
なんの番組だったのか、お笑いがあり「和牛」と「銀シャリ」「かまいたち」の時だけはテレビの前に走る。
紅白も、良かったんでないかい?
広瀬すずちゃんも可愛かったし。
米津玄師氏もとても素敵だったし。
最後の、サザンとユーミンと北島三郎、昭和のバブリー世代には夢のような映像でありました。
年越し蕎麦を食べ、ゆく年くる年の除夜の鐘が鳴り始め、姪っ子Aが「ちょうど新年になる時にジャンプしたい」と言い出し、皆でカウントダウンしてジャーンプ!
おやすみなさ〜いと男部屋女部屋へと別れ就寝。ワタクシはそれから風呂に入るのであった。
風呂の水が半分以下になってて、ををっ!大家族ってこんな感じなのか!

明けましておめでとう!!!
元日には、娘が婚約者Yさんを連れてきてお披露目するとのこと。
母としては、初めて我が家にご招待なのに、こんなどたばた大人数の時って気持ちが落ち着かないわあ〜と乗り気ではなかったのだが
しょうがない、腹くくってお迎えしましょう。
前日に娘から「何時頃行けばいい?」
母「お昼12時ごろでいいんじゃない?」
で、お昼前に、娘を大好きな姪っ子Bが待ちきれない様子。
夫が初詣ついでに迎えに行こうと、どやどやみんなで近所の神社へ出かけて行く。
母はもちろん料理の仕上げに余念がない。
12時になっても無事合流したという知らせが来ない。
不安になって娘に「今どこ?みんなで迎えに行ってるよ。」とラインすると・・・
「ごめん〜3時ごろでいいかなと思って、まだうちにいる」
新年早々母娘喧嘩するのもいかがなものかと、なんとか怒りを抑えつつ、とにかくすぐ来い、早く来い。
3時頃二人がやってきて宴続行。
怒りやら焦りやら忙しさやらで、なんやらもうわからんが、とにかくお披露目も無事終了。
翌日はYさんちのご実家の新年会に行くとのこと。
前日より少し早めに皆が寝た後、義弟Aとお笑いを12時過ぎまで見てバカ笑いしてから寝る。

二日。
皇居の一般参賀に行くと言ってたので、流石に付き合えないから早起きしてテキトーになんか食べて行ってね〜とのんびり起きてみると・・・
様子を見てからにするとか言い出して、まだ自宅にいるのんびり兄弟達。
11時頃出かけて行ったが、おっそろしい行列にソッコー諦めて、昼ごはん食べて帰ってきた・・・
その晩のニュースで「前夜9時から並んでました」って人がいて、心構えが違うわっ!
夕方4時頃義弟B一家帰って行く。
次は姪っ子Bの学芸会で会いましょう。
夜、おせちの残りや焼き鳥、寿司なぞつまみながら義弟Aと3人で呑む。
驚いたのが、初日に喋ったことを、まるで初めて喋るかのように楽しげに話す二人。
酔っ払いの典型だ!!!
いやいやいや、その話もう聞いたから!
めっちゃお酒に強い人たちなので、全く顔に出ないし、酔い潰れない。
しかし、記憶に残ってないんだ!喋ったこと!
ちょっと呆れてしまい、真面目な話をしようとしてやめる。どうせ覚えてないだろうから。

三日。
義弟A、鹿児島へと帰って行く。
飛行機嫌いの彼は行きも帰りも新幹線。
1日がかりの長旅である。2時間我慢すればいいだけなのにね〜
夫は年始恒例の『東京マラソンのコースを歩く』友人達に合流する。
そして、帰宅しても、妻にねぎらいの言葉もかけず、妻からぶち切れられるのであった。
これまた毎年恒例新年の夫婦喧嘩初めである。
今年も穏やかな一年でありますよお〜に!!!

年始一発目の今日の一枚は!!!
と、ここで初めて、おせちやら諸々頑張ったお料理の写真を一枚も撮ってないことに愕然とする。
牡蠣のオイル漬けを出し忘れていたことにもその時気づきダブルで愕然とする。
子供ら用にチーズフォンデュするつもりだったことも今思い出す。
う〜む。おもてなしとはむつかしい。
ってことで、しょうがないので夫の写真を勝手に借用。これくらいは許される。
「お疲れ!」の一言も言えないようなヤツはお堀に落ちてしまえ!
「わ〜!美味しそうだね〜写真撮った?俺が撮っておくよ!」となぜ言えない?なぜ写真撮らない?
と、また怒りが再燃しそうなので、今日はこの辺で勘弁してやる。

こんな感じで、また今年も夫婦仲良く楽しく暮らしていこうと思います。
皆様のご多幸をお祈りいたします。
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