5月29日(土)晴れ
「ひと朝だけの朝顔」というお話をご存知?
何年生だったかなあ、小学校の国語の教科書に載ってた。
今、ちょっと検索したら井上靖先生の著だった。知らんかった〜〜〜
どんなお話かというと・・・(リンクは貼ってますがお忙しい方のために短めに)
綺麗な朝顔が咲いたので近所の光子ちゃんちへ見せに行くように言われた僕。
光子ちゃんは朝顔をくれるのかと勘違いして大喜び。
僕は不本意なまま帰る。
数日後の朝、高木さんのおばあちゃんが「朝ごはんの時、眺めてください」と言って
あの朝顔の鉢植えを持ってくる。
僕は「光子ちゃんも、あげるつもりじゃなかったのかも」と思う。
そして本当は僕の家の朝顔なのに、高木さんのおばあちゃんのお家に返しに行く。
小学生の頃これを読んで、何だか納得いかないというか、もやもやするというか、子供心に「親がちゃんと説明しに行ってあげてよ!」と思ったような記憶。
今、これを書こうとして検索したら、「心の洗われる作品」と大絶賛してる方とかおられ、相変わらず心の狭い自分を思い知らされる。
もっと言いましょう。
なぜ突然にこの話を思い出したかと言いますに、
ぢつは昨日、親戚から井村屋の肉まん、ピザまん、キナコオハギを売るほどいただいた。
他にもペットボトルのお茶とかトマトソースもいただいたが、こちらはいいのよ、常温保存だから。
肉まんピザまんキナコオハギは冷凍なのだ。
うちの冷凍庫は、パンに麺類、肉に納豆等ですでにぎゅーぎゅー状態。
とりあえずご近所に配ろう!
箱を開けてみると、少し解凍されかかってるような気がして焦りに拍車がかかる。
5箱をどんどん開封しては母に渡し、母はご近所に配って回る。
いつもお世話になる従姉kemiちゃんと、お魚のおすそわけをいつもいただくSさんにもお届けしたい。
配って配って配り倒して...
ふと気づくと、12袋(72個)あった肉まんピザまんが残り2袋しかない。
キナコオハギだけは老母の冷凍庫に詰めるだけ詰め込んだが、肉まん達は詰める間も無く配りまくっていた。
愕然とする。
ワタクシ、何が好きって肉まん大好きなのに・・・
好きだけど、コンビニの井村屋の肉まんは高いから、スーパーの4個入りの安い肉まんで我慢しているというのに・・・
もっというなら、キナコはあまり好きじゃない。
なぜ、キナコオハギを配らなかったのかあたしよ。
調子付いてどんどん母に渡していた昼間の自分の肩を揺さぶりたい。
グジグジメソメソグチグチ愚痴を言う妻を呆れ顔で見ている夫。
あなたには、肉まん好きの妻の気持ちなんかわからないのよっっっ。
その時、ふっと国語の教科書の「朝顔の話」を思い出したというわけです。
いや、全く別モンですね。
肉まんは、勝手にあたしがあげまくっただけの話で、朝顔の「僕」とは全く違いますね。
井上靖先生から怒られますね。
ただ、基本的に「ケチ」のワタクシとしては、自分ちの朝顔なのに、回り回って高木さんちの朝顔になってるというのが納得いかないし、それを高木さんちに返しにいく「日本人的美徳」が何だかなあと思ってたわけです。
あああ、三つ子の魂百まで。
敗因は、ワタクシの数字に対する脳の弱さだ。
これに尽きる。
何にせよ、すべての責任は自分にあるとは思っているのだ。
老母は、ただただワタクシが景気良く渡すブツを運んだだけだ。
でも、でも、ひとこと彼女が「うちの分はあるの?」と聞いてくれたなら。
ああ、そんなことを今更言っても詮無き事。
「12個しか残ってないから、一人4個だからねっ、肉まん2個のピザまん2個だからねっ!」
考え無しに食べる恐れのある夫に釘を刺しておく。
あんなにあったのに・・・あんなにあったのに・・・72個もあったのに・・・たったの4個・・・
アホである。
今日の一枚は、朝顔ならぬ「孔雀サボテン」
「ひと朝だけの朝顔」というお話をご存知?
何年生だったかなあ、小学校の国語の教科書に載ってた。
今、ちょっと検索したら井上靖先生の著だった。知らんかった〜〜〜
どんなお話かというと・・・(リンクは貼ってますがお忙しい方のために短めに)
綺麗な朝顔が咲いたので近所の光子ちゃんちへ見せに行くように言われた僕。
光子ちゃんは朝顔をくれるのかと勘違いして大喜び。
僕は不本意なまま帰る。
数日後の朝、高木さんのおばあちゃんが「朝ごはんの時、眺めてください」と言って
あの朝顔の鉢植えを持ってくる。
僕は「光子ちゃんも、あげるつもりじゃなかったのかも」と思う。
そして本当は僕の家の朝顔なのに、高木さんのおばあちゃんのお家に返しに行く。
小学生の頃これを読んで、何だか納得いかないというか、もやもやするというか、子供心に「親がちゃんと説明しに行ってあげてよ!」と思ったような記憶。
今、これを書こうとして検索したら、「心の洗われる作品」と大絶賛してる方とかおられ、相変わらず心の狭い自分を思い知らされる。
もっと言いましょう。
なぜ突然にこの話を思い出したかと言いますに、
ぢつは昨日、親戚から井村屋の肉まん、ピザまん、キナコオハギを売るほどいただいた。
他にもペットボトルのお茶とかトマトソースもいただいたが、こちらはいいのよ、常温保存だから。
肉まんピザまんキナコオハギは冷凍なのだ。
うちの冷凍庫は、パンに麺類、肉に納豆等ですでにぎゅーぎゅー状態。
とりあえずご近所に配ろう!
箱を開けてみると、少し解凍されかかってるような気がして焦りに拍車がかかる。
5箱をどんどん開封しては母に渡し、母はご近所に配って回る。
いつもお世話になる従姉kemiちゃんと、お魚のおすそわけをいつもいただくSさんにもお届けしたい。
配って配って配り倒して...
ふと気づくと、12袋(72個)あった肉まんピザまんが残り2袋しかない。
キナコオハギだけは老母の冷凍庫に詰めるだけ詰め込んだが、肉まん達は詰める間も無く配りまくっていた。
愕然とする。
ワタクシ、何が好きって肉まん大好きなのに・・・
好きだけど、コンビニの井村屋の肉まんは高いから、スーパーの4個入りの安い肉まんで我慢しているというのに・・・
もっというなら、キナコはあまり好きじゃない。
なぜ、キナコオハギを配らなかったのかあたしよ。
調子付いてどんどん母に渡していた昼間の自分の肩を揺さぶりたい。
グジグジメソメソグチグチ愚痴を言う妻を呆れ顔で見ている夫。
あなたには、肉まん好きの妻の気持ちなんかわからないのよっっっ。
その時、ふっと国語の教科書の「朝顔の話」を思い出したというわけです。
いや、全く別モンですね。
肉まんは、勝手にあたしがあげまくっただけの話で、朝顔の「僕」とは全く違いますね。
井上靖先生から怒られますね。
ただ、基本的に「ケチ」のワタクシとしては、自分ちの朝顔なのに、回り回って高木さんちの朝顔になってるというのが納得いかないし、それを高木さんちに返しにいく「日本人的美徳」が何だかなあと思ってたわけです。
あああ、三つ子の魂百まで。
敗因は、ワタクシの数字に対する脳の弱さだ。
これに尽きる。
何にせよ、すべての責任は自分にあるとは思っているのだ。
老母は、ただただワタクシが景気良く渡すブツを運んだだけだ。
でも、でも、ひとこと彼女が「うちの分はあるの?」と聞いてくれたなら。
ああ、そんなことを今更言っても詮無き事。
「12個しか残ってないから、一人4個だからねっ、肉まん2個のピザまん2個だからねっ!」
考え無しに食べる恐れのある夫に釘を刺しておく。
あんなにあったのに・・・あんなにあったのに・・・72個もあったのに・・・たったの4個・・・
アホである。
今日の一枚は、朝顔ならぬ「孔雀サボテン」