作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (21) 黒田如水再び 】

2006-12-07 14:09:57 | 05 歴史エッセイ


黒田官兵衛に触れたことで、秀吉の死の前後の
豊臣政権のあり方を再考する気になりました。

言うまでもなく、五大老・五奉行の体制。

あの顔ぶれが、そもそも間違っている。

天下は治まったかに見えてはいたが、基本体制は
戦国時代。なればこそ、家康は前田を攻めようとし
上杉に難くせ付けて出兵し、つられて立ち上がった
三成を滅ぼした。

民主主義の時代じゃないのに、五大老・五奉行に
よる合議制なんて無理です。

五大老のうち、家康が突出していたのは、まぎれも
なく、辛うじて対抗できたのは前田利家だけ。利家
が生きていた限りは清正・正則以下の豊臣恩顧の
大名連も、利家の指示に従っていた。息子の利長と
なれば、もうパワーが無い。

毛利輝元、上杉景勝は、一応豊臣派ではあっても、
秀吉にそんなに深い義理があったわけじゃない。

本気で豊臣家を支える気で居たのは、宇喜多秀家
だけでした。小早川隆景が生きていたら話は別
だけど。

徳川・毛利・宇喜多・上杉・黒田としておけば、だいぶ
状況が違ったはず。黒田如水には、それ程の力が
あったと思う。

五奉行はもっといけない。顔ぶれが悪すぎる。あの
五人は政権が決めたことを執行するだけの役人で、
政権を支える人材じゃなかった。

五大老を衆参議長クラスとしたら、本気で秀吉亡き
後の豊臣政権を守る、閣僚クラスの組織が必要
だった。

構成メンバーで欠かせないのが、加藤清正、福島
正則の両名。共に親族になる。その意味からは浅野
幸長も入る。

こうなると家康とて、ああは勝手な振舞いは出来な
かったろう。秀吉の猜疑心が、最大の功労者黒田
如水を遠ざけ、死後の豊臣政権を危機に追いやった
と言えそうです。

もちろん、如水ほどの男だから、カレが天下取りを
狙った可能性も大きい。しかし清正、正則、幸長の
三人とも如水に従ったはずだから、いずれは秀頼に
政権返還の形になったのじゃなかったろうか。

黒田長政が、まるで子飼いの如く家康に尽くした
のも、自分の父が功績に報われず、冷遇された
ことからの、秀吉への恨みからであったのかも
知れません。




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