作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 NHKのヒストリアは相変らず説明がラフ(歴史エッセイ105) 】

2012-01-05 15:42:13 | 05 歴史エッセイ

昨夜初めてこの番組を見たが、冒頭から信長・家康・秀吉・
信玄・眞田親子などが、
一同に会戦した機会が「長篠の合戦」
だと事実に無いことをいう。

長篠はより正確にいえば、「設楽ヶ原の合戦」だが、すでに
信玄は居ないし、
眞田昌幸は参戦していた可能性があるが、
幸村はまだそんな年令の者じゃない。

この番組の前にあった「その時歴史が動いた」が、全く歴史
が動かない面白くない番組で、
見るのをやめたのだが、この
ヒストリアも、専門筋に相当に原稿に眼を通してもらわないと、
打ち切りは
時間の問題と思える。

幸村は居なかったが、徳川の嫡男信康は一手の将として
活躍。
それが信長の眼に止まり、わが子たちより優秀だとの
怖れの気持ちが、信康の命を縮める
結果につながった。

足利義昭が信長に副将軍を奨めたが、信長はこれを断った
との説明も不充分に過ぎる。

義昭は朝倉氏を頼って越前に逃れて居たのを、信長が迎え
て京都に将軍邸を作ってやった
のが真相であり、自分が面倒
を見てやった義昭から副将軍になどと言われ、気安く受ける
筈もない。

なお、武田氏が滅亡するのは、さらに七年が経った1582年
のことで、信長も義昭の家来
だった明智光秀によって、同年
の6月2日本能寺で変死する。

生前信長が信玄を怖れたことは事実だが、両者が戦場で
相見えたことはなかった。

さらにヒストリアは、家康が武田の士卒たちを、本多忠勝に
預け、その武田の亡臣たちが関ヶ原で、揃いの赤の具足で
活躍したとも言ったが、関ヶ原で本多勢が武田譲りの赤備え
で活躍した事実は無い。家康は武田遺臣の多くを八王子同心

という下級武士として処遇したのが事実である。

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