織田信長といえば疾風雷神のイメージが強く、
何事もパッとやって、最後もパッと散ったと思い勝ち。
義昭に対する義栄を担いだ、阿波の三好と大阪
で戦いながら、近江で浅井・朝倉連合軍とも戦う。
浅井・朝倉に基地を提供した比叡山も焼き討ち
すると、結構忙しい。
そんな中での、本願寺顕如の参戦で、織田陣営
は泡を食うのですが、この一向宗との戦争が、
どれ程の戦いだったかといえば、実は十年戦争だった。
つまり信長にとって最悪の年、元亀元年に顕如
の方から仕掛けた戦いが、顕如の和議受入れ、
大阪退去となるまで10年もかかっている。
浅井が叛いてから、金塗りの髑髏になるまでが
3年間。朝倉が滅びるのもまた同じ。それとの
比較で、いかに長引いた戦争であったかが
分かります。
パパゲーノ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます