日本人は多くの神々を持つ。多神教の国家である。
天然自然に神の存在を感じ、大氏族の長も神として崇めた。

天孫族が日本列島を支配する過程で、多くの氏族が争いに敗れ
その軍門に下ったことであろう。
天孫族は、降参した氏族を許し、それらの氏族が敬う神の存在をも
許したのであろう。その結果が、八百万の神のまします日本国に
なったのだと思う。地方に行けば、その地の独特の祭りがある。
これもまた、多くの氏族が統一された過去を示している。

中でこの世を去るにあたり、恨みを抱いて他界した人物は祟りをなすと
怖れられ、その鎮魂のためにも神社が出来た。

平将門は神田明神と成り、江戸の三大祭の頂点に立つ。
菅原道真は、藤原四兄弟を呪い殺し、怖れた平安朝は天神様として
鎮魂にこれ努めた。

怨霊の世界のドンが、崇徳院である。太平記は途中から文体が変わる。
明らかに他人が付け足した巻が付け足されている。
おどろおどろしい場面が画かれている。怨霊の世界である。
中心に居る人物こそが、崇徳上皇である。

京都に戻してくれとの懇願を否定され、血書を書いたと伝えられている。