作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (47) 早すぎた水戸藩 】

2007-02-08 15:00:49 | 05 歴史エッセイ


徳川家康は、自分の子孫繁栄を望む一方で、
どうせ何時かは幕府崩壊の日が来るさと
達観していた節が見える。

それが御三家の一家、水戸藩への不思議な
特別扱いである。尾張と紀伊が大納言の位
であるのに、水戸は中納言。そして在府を
命じられる。常に江戸に留まれという意味
である。だから参勤交代の制度が始まって
からも、ひとり水戸藩だけは参勤交代の必
要がない。

家康・秀忠親子は、京の宮廷に対し無礼の
数々を行う。禁中諸法度はその代表。
なのに水戸藩に対しては、宮廷こそが日本
の大本であると、尊王の立場を通せと命じ
ている。だから第二代光圀の時代から日本
の歴史書「大日本史」の編纂が始まり、こ
の大仕事は明治維新後漸く完成をみた。

徳川家公認の教育は儒学であり、詳しくは
宋学である。北の蛮族・金の台頭に押され
て中国南部に逃れ、以後南宋と呼ばれた。
蛮族を撃ち払い、宋の復権を目指す運動が
尊皇攘夷で、これが南宋学の骨子である。

水戸藩は代々尊王の家として続き、九代
斉昭は当時姿を現し始めた黒船撃ち払い
の先頭に立つ。

徳川幕府創生時からはぐくんできた尊王
攘夷の精神が高揚の時を迎え、藩士の急進
派が桜田門で井伊直弼を殺す。藩に迷惑が
掛らぬようにとの配慮から全員脱藩し、
水戸の浪士と名乗るが、つい昨日まで藩士
であった面々による挙行であった。

それから4年後、京の空気は不穏が高まる。
長州藩邸は倒幕の本部化する。桂小五郎が
用意した軍資金で、元家老武田耕雲斎率いる
1千名ばかりの尊王軍、水戸天狗党が決起
する。少々決起の時が早すぎた。あと2年
待てばよかった。明治維新後の中心は長州
でも薩摩でもなく、水戸であったろう。

天狗党の行動も解せない。一気に京を目指
せば良いものを、筑波山から北に向って進軍
し、食料も尽きて加賀前田藩に降伏する。
この時の追討軍司令官は、こともあろうに
一橋慶喜である。水戸斉昭の子だ。

加賀の前田は、せっかくの百万石を260年
無駄飯食って幕府消滅の日を迎えた情けない
大藩だ。天狗党に対する処置も、およそ武士
に対する礼を失し、ろくに食も与えず、寒の
最中に衣服も与えなかあった。浮浪の徒扱い
で、200名を超える死罪、他も人間の尊厳
を無視した措置を取った。

哀れ水戸天狗党は、二年が待ちきれなかった。


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