作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (37) 大阪城集結 】

2007-01-04 19:22:25 | 05 歴史エッセイ


歴史は毛利一族の中の、広家・秀秋の内通・謀反
で、それまで優勢だった西軍が崩れ、一気に東軍
勝利というあっけない結果となる。

この歴史を認めて、話を進めるが、まだ大阪城は
健在だし、第一秀頼は中立的な立場を維持して
いて、東軍も秀頼名代の家康が率いる軍だし、
西軍は当然秀頼を擁した軍の体裁を整えている。

東軍の中でも奮闘した福島正則をはじめ、熊本に
残留した加藤清正、それに浅野幸長、加藤嘉明など
は、大阪城を攻める気など毛頭無く、ただ石田三成
に対する憎悪からの参戦だから、当に三成が捕縛
され、市中引き回しの上でさらし首ともなれば、
最早戦う意味が無くなっている。

本当なら、ここで西軍総大将として毛利輝元が入城
した意味が出てくる。
毛利秀元、秀包、立花宗茂、長曽我部盛親などは
無傷の軍勢を残し、特に前三者の戦意は軒昂たる
ものがあった。

またしても吉川広家である。

まんまと家康の甘言を信用し、一族の長・輝元を
説いて、大阪城明け渡しの愚挙を仕出かすので
ある。信用した輝元もまた暗愚である。

大阪城に輝元が居座り、無傷の西軍諸将も入城と
なれば家康に手の出しようが無い。福島正則は
当然秀頼さま御為と家康に刃を向ける。
向けなきゃおかしい。

大阪城に西軍集結の報は、やがて上杉景勝の下に
もたらされ、上杉・佐竹が江戸に向って進軍する。
最上も伊達も、我先にと上杉軍に参加し、伊達政宗
などは江戸への戦陣承りと言い出すだろう。伊達
政宗とはそんな奴である。常に二股膏薬と見て
良い。だから家康も戦前に約束した50万石加増
をホゴにしている。

どうみても、最早徳川が生き残る道は無い。箱根山
か三河湾辺りに追い詰められ、そこで終焉となった。
海上には九鬼嘉隆の水軍が居たことも忘れちゃいけ
ない。




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