作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (45) 二人の秀勝 】

2007-02-07 11:24:40 | 05 歴史エッセイ


今から思えば、まことにつまらんタイトル
ですが、この「歴史好き」というエッセイ・
シリーズ。おかげさまで毎回よく読まれて
います。

それにしても、昨日の(43)秀吉大嫌い
とサブタイトルを付けたら、何と620程も
アクセスがあり、これは去年6月にリログ
入会以来、一つの記事に対するアクセス数
としては最高記録でした。

お読みくださった皆さまに心から御礼を。

信長・秀吉の物語は江戸期から今日まで、
数多の作品があって、もう書き尽くされた
と思うのに、まだまだ題材として「旨み」
があるらしい。

目下、日経夕刊で内田康夫という作家が、
「地の日天の海」を連載しています。

司馬遼太郎さんの作品中に「豊臣家の一族」
というのがある。今手元に無いので、詳しく
は書けませんが、秀吉の縁者が実に大勢
妙な死に方をしています。

そこで、今日のテーマは二人いた羽柴秀勝
について。(もう一人いたという説もある)

有名なほうは織田信長の四男、於次丸。
例の大徳寺大法要では、二人の兄、信雄と
信孝が、それぞれ他家に養子縁組したから
との理由で信勝が喪主を勤めている。
(信勝も羽柴の養子なのに、よくモンクが
出なかったもの)

明智光秀の旧領、丹波を所領として与えられ、
田中吉政が執政となる。病弱だったのか、
手兵8千人は朝鮮渡海を果たしているが、
秀勝本人は留まった。18才で死ぬが死因
は明らかでない。信長の死で御用済みと処理
されたのかもしれない。

今となっては人柄もよく分からない。彼が
生き延びていたら、秀吉死後の歴史が大きく
替わったことだろう。

その於次丸・秀勝の死後、もう一人の秀勝が
現われる。秀吉の姉ともの息子、小吉である。
ややこしいのは、彼もまた丹波を領したこと。
これといった史実を残すことなく23才で死去。

小吉は関白秀次の実弟に当る。同じく秀次の
弟に秀保というのが居って、こっちは秀吉の
弟であり、豊臣家で最も優れた人物とされた
小一郎秀長の養子に入る。秀長が兄秀吉に
先んじて死んだのが、豊臣家滅亡の最大原因
であろう。不思議なことに、せっかくの養子
秀保が、これまた変死を遂げている。15才
の身で十津川に浮いていた。



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