バラック、ロングインタヴューの続きです。
拙い訳ですが、時間があったら読んでみてください。
人間バラックの一端が覗けて泣けます。
=========================================
例えばアンチェロッティなどは、明らかに彼がまだ敬意を抱いている監督だ。
『彼はプレーヤーに対していつも公平だった。』とバラックは語る。
『彼はこの難しいチームのトレーニング方法を、上手く考え出していました。
多くの個性とエゴを持ったプレーヤー達のトレーニングは簡単なことじゃありません。
監督にとって大変な仕事です。
チェルシーはここ数年で監督を何回も替えました。でもこれは監督が原因ではないのです。
チームにその原因の一端があるのです。』
彼自身も2009年1月、スコラーリ監督解任の際のクーデターに関わったとされていたが、バラックはそれを否定した。
『まったく真実とは違います。彼スコラーリが、どうしてそう言ったのかは知りません。私たちは良い関係でしたから、とても驚きました。
ただ彼は、クラブ内に必要とされるプレーヤー達との良い関係、を築けなかったのだと思います。
私はチェルシーに移籍してきた時、ビッグプレーヤーにとって大切なことは、個人的なやり方を周りに押し付け過ぎないようにすることだ、と言いました。チームにとってそれは良いことではありません。
ビッグネーム達は、一歩下がっているべきです。』
モウリーニョとは様々入り混じった関係だった。多くのプレーヤーと同様彼もまた、モウリーニョの魅力に引かれて契約にサインした一人だ。
Mixed relationship: Jose Mourinho and Ballack experienced highs and lows
モウリーニョとバラックとの関係は良かったり、悪化したりした。
『モウリーニョと会って感じたのは、彼は人々を動かすことにかけて傑出した能力を持った人だ、ということです。私はそういうところが好きだし、彼を尊敬しています。』
しかし彼とモウリーニョとの関係が悪化したことがあった。彼が怪我治療のために、ドイツへ帰国し2007年FAカップ決勝戦に欠場した時だ。
『彼が激怒したことを知りました。しかし最終的に彼は、私が正しかったことを理解してくれましたが。
それはとても難しい時期でした。私は7か月怪我で離脱しましたから、彼の気持ちを感じることが出来ました。
「ミヒャエル、本当に戻って来る気はあるのか?この怪我なら3か月くらいだろう。どうしてそんなに長くかかるのだ?」と。』
関係が良い時もあった。それはバラックがチェルシーで2010年リーグ優勝をした時のこと:
『それを感じることが出来ました。関係が最高に良かった訳ではありませんし、彼が何か言った訳でもありませんが、改善したなと感じました。』
一方、モウリーニョの後継監督、グラントに関して、バラックは驚くほど良い評価をしている。
『彼は賢明な人です。ジョゼの後釜なんて難しい仕事にきまっています。グラントはジョゼとは全く違うタイプの人でした。でもフットボールを理解している人でした。
選手の何人かはジョゼのスタイルに慣れていて、そのスタイルを気に入っていました。アグレッシブでイングランド的なスタイルです。
グラントは全く違ったタイプでしたが、チームは良い成績でした。リーグ優勝にあと一歩というところでしたし、チャンピオンズ・リーグでは決勝まで進みました。優勝してもおかしくないような、そしてそれはチェルシー史上最高の成績になるはずでした。結局グラントは解任されてしまいましたけれど、なぜだったのでしょう。私には理解できないのです。』
『彼はプレーヤー達に、より多くの自由を与えました。彼らは誤解して、こう考えたのでしょう。”「この監督は弱腰だ。」”実際更衣室で、そう口にするプレーヤー達もいました。
「彼はジョゼのような強烈さに欠ける。彼はあまり良い監督ではない。」と。でも私は違う感じ方をしていました。彼はプレ-ヤー達により多くの自由というより、より大きなパワーを与えたのです。私は彼がチェルシーにとって不適当な監督だったとは思っていません。その逆です。
ヒディングを含めて、バラックは4年間で5人の監督のもとプレーした。この不安定な時期は、彼が自分のキャリアのピークとみなしている時期と重なるのだ。
ウィンブルドンに住み、彼はすっかりイギリス生活に浸った。子供たちをイングリッシュ・スクールへ通わせ、ロンドンで美術鑑賞を楽しんだりした。
彼はプレミアリーグの試合の雰囲気、あるいは私用で外出した際のファン達の礼儀正しさを懐かしがる:
しかしイギリス人仕事ぶりの頼りなさは懐かしがってはいない。
『ドイツでは、1時に来るといったら1時に来ます。でもイングランドでは、1時に来るはずの列車が、時としてその日一日来ないこともあります。』
『そしてその翌日になっても到着しないと、彼らはこう言うんです。「まあ、仕事がいっぱいあって忙しかったのだろう。」』
2002年WCドイツは準優勝だった。彼は決勝戦は出場停止で出られなかった。2008年ユーロと2006年WCでは3位だった。
『2002年と2006年のWCでは、データ上イングランド以上の好チームはありませんでした。
でも実際イングランドと対戦してみて、どういう訳か分からないのですが、彼らが私たちチームに恐れを抱いているのが分かりました。おそらく彼らは自分たちの持てる力に、100%の確信を持てなかったのでしょう。』
『トーナメント戦になって試合が厳しくなってくると、人としての中身が大切になってきます。自信過剰になってはいけませんが、すこし、こう、なる必要がありますね。』
と言って彼は肩をそびやかし、胸を張ってみせた。
『相手チームの質が高くなり、自分のチームと同じレベルとなると、自分は強いんだぞ、とアピールするようにしないとならないでしょう - 実際そうではなくとも。そういった場面で、イングランドチームは、彼らの持てる力100%を発揮しませんでした。頭を垂れて自信なさげなのか、顔を上げて自信持った様子なのか、相手の目をジッと見れば分かります。そういう小さな表情が大切なのです。』
Back home: Ballack returned to Germany to play for Leverkusen
バラック、レバークーゼンへ戻る
バラックにとっての新たなチャレンジ、それはレバークーゼンのプレーヤーとしてスタンフォード・ブリッジへ帰って行くことだ。
チェルシー当時、チャンピオンズ・リーグ優勝は彼にとっての願望であり、執念を燃やしていた目標だった。
そしてそれは、オーナー、アブラモビッチの宿願であり、その強い思いがプレーヤー達にとって妨げになっているように思えることもあった。
色々な話が漏れ伝わってくる。例えばオーナーがヘリコプターでトレーニング・グラウンド中央に降り立ち、チーム全体を叱責した、という話だ。
『いえいえ、そういう場面を私は見たことがありません。もしかすると、グラウンドの隅に降り立ったのかな!
もちろん彼は監督より力を持っている人物でしたよ。なにしろボスですからね。でも私たちは、彼をシャイな性格、と見ていました。実際そうだと思います。
そして、もちろん彼は強力な影響力を持った人でしたけど、本当に目立たない裏にいる人でした。』
チェルシーとアブラモビッチにとって、チャンピオンズ・リーグ優勝のための戦いはまだこれからも続いていく。
決勝戦敗退を2度経験しているバラックは、今季レバークーゼンで、戦い抜いていきたいと願っている。
『私は素晴らしいキャリアを重ねてきていますが』とバラック。
『大きな国際大会のタイトルは獲得したことがありません。これもまた私のキャリアの一部なのです。』
『チェルシーではずい分感情が高ぶる日もありました。良い結果を出せなかったこともありました。特にチャンピオンズ・リーグでは。
でも今になって考えると、あそこまで、決勝戦まで進出出来たことだって、どんなに難しいことだったのか、ということが分かります。』
傷も癒えた今、彼はレバークーゼンとの契約をあと一年残している。その後は?
『金銭的なことは一切関係ありません。私は良いキャリアを積んできましたし、それに満足しています。
今求めたいのは、気分良く楽しみたい、ということです。
毎日腹を立てたり、毎朝痛みの中で目覚めたくないのです。
試合で戦うことが出来て、それを楽しめる限りはプレーし続けます。
でも、今は一年一年考えないとならないですね。』
彼は少し間をおいてから、自分は35歳だと言って、こう続けた。
『正確には、あと2週間すれば、ですけどね。』と笑った。
『自分では、全然35歳だという気がしないのです。』
拙い訳ですが、時間があったら読んでみてください。
人間バラックの一端が覗けて泣けます。
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例えばアンチェロッティなどは、明らかに彼がまだ敬意を抱いている監督だ。
『彼はプレーヤーに対していつも公平だった。』とバラックは語る。
『彼はこの難しいチームのトレーニング方法を、上手く考え出していました。
多くの個性とエゴを持ったプレーヤー達のトレーニングは簡単なことじゃありません。
監督にとって大変な仕事です。
チェルシーはここ数年で監督を何回も替えました。でもこれは監督が原因ではないのです。
チームにその原因の一端があるのです。』
彼自身も2009年1月、スコラーリ監督解任の際のクーデターに関わったとされていたが、バラックはそれを否定した。
『まったく真実とは違います。彼スコラーリが、どうしてそう言ったのかは知りません。私たちは良い関係でしたから、とても驚きました。
ただ彼は、クラブ内に必要とされるプレーヤー達との良い関係、を築けなかったのだと思います。
私はチェルシーに移籍してきた時、ビッグプレーヤーにとって大切なことは、個人的なやり方を周りに押し付け過ぎないようにすることだ、と言いました。チームにとってそれは良いことではありません。
ビッグネーム達は、一歩下がっているべきです。』
モウリーニョとは様々入り混じった関係だった。多くのプレーヤーと同様彼もまた、モウリーニョの魅力に引かれて契約にサインした一人だ。
Mixed relationship: Jose Mourinho and Ballack experienced highs and lows
モウリーニョとバラックとの関係は良かったり、悪化したりした。
『モウリーニョと会って感じたのは、彼は人々を動かすことにかけて傑出した能力を持った人だ、ということです。私はそういうところが好きだし、彼を尊敬しています。』
しかし彼とモウリーニョとの関係が悪化したことがあった。彼が怪我治療のために、ドイツへ帰国し2007年FAカップ決勝戦に欠場した時だ。
『彼が激怒したことを知りました。しかし最終的に彼は、私が正しかったことを理解してくれましたが。
それはとても難しい時期でした。私は7か月怪我で離脱しましたから、彼の気持ちを感じることが出来ました。
「ミヒャエル、本当に戻って来る気はあるのか?この怪我なら3か月くらいだろう。どうしてそんなに長くかかるのだ?」と。』
関係が良い時もあった。それはバラックがチェルシーで2010年リーグ優勝をした時のこと:
『それを感じることが出来ました。関係が最高に良かった訳ではありませんし、彼が何か言った訳でもありませんが、改善したなと感じました。』
一方、モウリーニョの後継監督、グラントに関して、バラックは驚くほど良い評価をしている。
『彼は賢明な人です。ジョゼの後釜なんて難しい仕事にきまっています。グラントはジョゼとは全く違うタイプの人でした。でもフットボールを理解している人でした。
選手の何人かはジョゼのスタイルに慣れていて、そのスタイルを気に入っていました。アグレッシブでイングランド的なスタイルです。
グラントは全く違ったタイプでしたが、チームは良い成績でした。リーグ優勝にあと一歩というところでしたし、チャンピオンズ・リーグでは決勝まで進みました。優勝してもおかしくないような、そしてそれはチェルシー史上最高の成績になるはずでした。結局グラントは解任されてしまいましたけれど、なぜだったのでしょう。私には理解できないのです。』
『彼はプレーヤー達に、より多くの自由を与えました。彼らは誤解して、こう考えたのでしょう。”「この監督は弱腰だ。」”実際更衣室で、そう口にするプレーヤー達もいました。
「彼はジョゼのような強烈さに欠ける。彼はあまり良い監督ではない。」と。でも私は違う感じ方をしていました。彼はプレ-ヤー達により多くの自由というより、より大きなパワーを与えたのです。私は彼がチェルシーにとって不適当な監督だったとは思っていません。その逆です。
ヒディングを含めて、バラックは4年間で5人の監督のもとプレーした。この不安定な時期は、彼が自分のキャリアのピークとみなしている時期と重なるのだ。
ウィンブルドンに住み、彼はすっかりイギリス生活に浸った。子供たちをイングリッシュ・スクールへ通わせ、ロンドンで美術鑑賞を楽しんだりした。
彼はプレミアリーグの試合の雰囲気、あるいは私用で外出した際のファン達の礼儀正しさを懐かしがる:
しかしイギリス人仕事ぶりの頼りなさは懐かしがってはいない。
『ドイツでは、1時に来るといったら1時に来ます。でもイングランドでは、1時に来るはずの列車が、時としてその日一日来ないこともあります。』
『そしてその翌日になっても到着しないと、彼らはこう言うんです。「まあ、仕事がいっぱいあって忙しかったのだろう。」』
2002年WCドイツは準優勝だった。彼は決勝戦は出場停止で出られなかった。2008年ユーロと2006年WCでは3位だった。
『2002年と2006年のWCでは、データ上イングランド以上の好チームはありませんでした。
でも実際イングランドと対戦してみて、どういう訳か分からないのですが、彼らが私たちチームに恐れを抱いているのが分かりました。おそらく彼らは自分たちの持てる力に、100%の確信を持てなかったのでしょう。』
『トーナメント戦になって試合が厳しくなってくると、人としての中身が大切になってきます。自信過剰になってはいけませんが、すこし、こう、なる必要がありますね。』
と言って彼は肩をそびやかし、胸を張ってみせた。
『相手チームの質が高くなり、自分のチームと同じレベルとなると、自分は強いんだぞ、とアピールするようにしないとならないでしょう - 実際そうではなくとも。そういった場面で、イングランドチームは、彼らの持てる力100%を発揮しませんでした。頭を垂れて自信なさげなのか、顔を上げて自信持った様子なのか、相手の目をジッと見れば分かります。そういう小さな表情が大切なのです。』
Back home: Ballack returned to Germany to play for Leverkusen
バラック、レバークーゼンへ戻る
バラックにとっての新たなチャレンジ、それはレバークーゼンのプレーヤーとしてスタンフォード・ブリッジへ帰って行くことだ。
チェルシー当時、チャンピオンズ・リーグ優勝は彼にとっての願望であり、執念を燃やしていた目標だった。
そしてそれは、オーナー、アブラモビッチの宿願であり、その強い思いがプレーヤー達にとって妨げになっているように思えることもあった。
色々な話が漏れ伝わってくる。例えばオーナーがヘリコプターでトレーニング・グラウンド中央に降り立ち、チーム全体を叱責した、という話だ。
『いえいえ、そういう場面を私は見たことがありません。もしかすると、グラウンドの隅に降り立ったのかな!
もちろん彼は監督より力を持っている人物でしたよ。なにしろボスですからね。でも私たちは、彼をシャイな性格、と見ていました。実際そうだと思います。
そして、もちろん彼は強力な影響力を持った人でしたけど、本当に目立たない裏にいる人でした。』
チェルシーとアブラモビッチにとって、チャンピオンズ・リーグ優勝のための戦いはまだこれからも続いていく。
決勝戦敗退を2度経験しているバラックは、今季レバークーゼンで、戦い抜いていきたいと願っている。
『私は素晴らしいキャリアを重ねてきていますが』とバラック。
『大きな国際大会のタイトルは獲得したことがありません。これもまた私のキャリアの一部なのです。』
『チェルシーではずい分感情が高ぶる日もありました。良い結果を出せなかったこともありました。特にチャンピオンズ・リーグでは。
でも今になって考えると、あそこまで、決勝戦まで進出出来たことだって、どんなに難しいことだったのか、ということが分かります。』
傷も癒えた今、彼はレバークーゼンとの契約をあと一年残している。その後は?
『金銭的なことは一切関係ありません。私は良いキャリアを積んできましたし、それに満足しています。
今求めたいのは、気分良く楽しみたい、ということです。
毎日腹を立てたり、毎朝痛みの中で目覚めたくないのです。
試合で戦うことが出来て、それを楽しめる限りはプレーし続けます。
でも、今は一年一年考えないとならないですね。』
彼は少し間をおいてから、自分は35歳だと言って、こう続けた。
『正確には、あと2週間すれば、ですけどね。』と笑った。
『自分では、全然35歳だという気がしないのです。』
何でしょう・・・
読み終わった後の何とも言えない気持ち・・・
胸がキュンとなる、少し寂しい気持ちを感じました。
バラックが選手としての最終章に来てるっていうのが、このインタビューから見て取れるからでしょうか・・・
自分では35歳だという気がしないと言ってますが、周りはそのようには見れくれない(試合で使ってくれない等)ので、バラック自身も辛いでしょうけど、このインタヴューではそんな気持ち全く出てないですよね。
全てを受け入れてるというか・・・
上手く説明出来ないですけど(苦笑)
>試合で戦うことが出来て、それを楽しめる限りはプレーし続けます。
バラックがこのように言ってる限り、どこでもいいからプレーさせてあげて欲しいです。
余力を残して引退するより、もう体力的に無理だと本人が納得してからの方が、私もお疲れさまを言える気がします。
他にも色々書きたい事はあったんですけど、何だか頭が回りません・・・
「バラック頑張れー!」って、叫びたい気分(笑)
それはエジルとも通じるところがあるのですけど、バラックの心の中にポッカリ開いている、埋められない深い穴、を覗いてしまった気持ちがしました。
アウトサイダーとして懸命に肘を張って、胸を張ってここまで来たけれど
毎日立腹したり、痛みで目覚めたりは、もう止めにしたい、という言葉から
精神的にも肉体的にも、もう無理はしたくない、と聞こえました。
結果は最上とは言えないけれど、満足いくものだ、あとは気楽に楽しみたい、と。
やっぱりサッカーこそ自分表現だし、自己実現のツール。
今までの人生を賭けて打ち込んできたものですものね、
自分の力を活かせる場があるなら、活かしたいと思ってるはず。
それがどういう形のものなのか、どうしたいのか模索中。
あまり無念さを感じられないし、納得している風な話しぶりなので、こちらの気持ちは切ないものがありますが・・・なんだかホッとする内容でもありました。
ビッグタイトルには手が届かなかったけれども、一時代を築いてきた、という満足感があるのだと思います。
ドイツ冬の時代に、屋台骨を支えてきた功労者だもの。
そういう自負もあるでしょう。
熱烈ファンが今も世界中にいる訳だし、
一皮剥けて、一段高みに登ってしまった印象を受けました。
成熟と呼ぶのか、達観と呼ぶのか、老成と呼ぶのか。
バラックのサッカー人生はまだまだ続いていくのでしょう。
まだ他にもたくさん感じたことがあるのですが、今日はここまでにしておきます。
CLチェルシー戦、どんな表情を見せてくれるのか、楽しみですね。
ps ところで光さん、いつも情報キャッチがとっても早いですけど、情報源はどちらか伺ってもいいですか?
この記事を読んで思ったのが、精神的にも肉体的にもすごいプレッシャーと戦っていたんだな・・・という事です。情けないことにチェルシー時代は知らない私ですが(悲)、各国のスター選手が集まるチームでレギュラーを獲得する事は本当に大変なのでしょうね。それはそれでやりがいみたいなものを感じていたのでしょうけど、代表問題から解放されて、今は純粋にサッカーを楽しんでいるように感じます。
だからこそ、試合に出場させて~と思っていたら、昨日(日本時間だと今朝ですね)はスタメンでしたね!起きて観戦するぞ!と意気込み、目覚ましをセット、きちんと3時過ぎに目覚めたのに2度寝してしまい・・・起きたら前半終了間際(汗)後半途中で交代してしまったので少ししか観られなかったのですが、やっぱりプレーするバラックは素敵です(^^)て、何故こういう時に限ってTV放送がないのでしょう・・・(T-T)
来週はCLですよね!中継はあるはずですから、スカパー契約しなくては・・・。
ほとんど人任せです(苦笑)
こちらのブログと同じ位大好きなブログがあるんですけど、そのブログ主さんが色々な事をつぶやいたり、記事にして下さってたりするんです。なので貼り付けられたアドレスを辿って海外のサイトを覗いたりもしてるんですけど、なんせ英語やドイツ語なので、このように和訳して頂いたりすると本当に助かるんです!
後は2ちゃんねるも見てます。バラックの掲示板もありますよ。2ちゃんねるは見るだけですけど。
ドイツ代表とバイエルンを応援する方のブログとか、レバークーゼンを応援する方のブログとか、他にも色々。
時間がある時は、自分でも海外のサイトを見たりしてますけど、訳すのに時間がかかって途中でイヤになるので、よっぽど暇な時だけですね。
チェルシー時代、あの長いケガのときにモウリーニョといろいろあったんですねー。(しみじみ)
最終的には、挫けずに実力でチェルシーで認められるまでになったことは私たちファンにとっても誇りですね。
私は、2006WMで入場するとき先頭で胸をそびやかして入ってくるバラックが好きだったんですが、それは意図的なものだったということもわかりました。
キャプテンとして背負っていた物も大きかったのでしょうね。
CLまで数日となりましたね。ドキドキです。
プレッシャーを背負って、そしてそれを意気に感じて、パワーに変えて頑張ってきたのかもしれないですね。
でも、もう無理はしたくないように思えました。
これからは楽しめる限りプレーし続けたい、と言っているので、本当、出来る限りサッカーを楽しんでほしいです。
レバーク-ゼンの試合、相変わらず放送少ないです・・・私はバイエルン戦まで見ること出来なそう。。。
色々なブログから情報得ていらしたのですね。いつも様々な情報持ってらっしゃるので、どうやって入手しているのかな、とふと思っただけです。ありがとうごさいました。
バラック、アウクスブルク戦先発したのですね。快勝できたようでよかったです。現在レバークーゼンはテーブルのトップに!きていますね。
次のチェルシー戦、J Sports-plusでは放送してくれないことが判明。ガ~ックリです。
どこかでハイライト見る程度になってしまいそう。ニュース記事に目を光らせておきますので、私の分まで応援よろしくお願いしますね!!
入場時の堂々とした姿、私も好きでした。
そして入場前、通路で待つ後姿も大好きでした!
いつもバラックの二面性(?)に惹かれていました。
ピッチ上で鬼の形相で抗議してる、規律重視のキャプテン、バラック。
一方マスコミやファンの前では、ソフトな笑顔と話し方の素顔バラック。
やはりピッチ上では、キャプテンを演じていた部分もあったのだなあ、と思いました。
私、チェルシー戦を見ること出来ないんです。私の分まで、応援い~っぱいお願い致します!
レバークーゼンの試合も無料ってなってます!
pale mintさんも見れるんじゃないでしょうか。
(^▽^)/
エ~ッ、ヤッタ~って思ってJ-Sports Plusの放送予定をチェックしてみましたけど、やっぱり予定には入っていませんでした。(沈)
CLを見るために契約しているのに:
マン・U vs ベンフィカ
オリンピアコス vs マルセイユ
バルサ vs ミラン
バレンシア vs ゲンク
の4試合だけなのですよー。どうしてチェルシーvsレバークーゼンの好試合を放送しないのでしょうね。(キリキリ!)
全試合初回無料放送!はスカパーの話?ですよね。
スカパーは故あって(笑)加入しない選択をしているので、やっぱりネットでチェックするしかなさそうです。。。
スタンフォード・ブリッジのピッチに立つバラック、どうか私の分まで応援よろしくお願いします!!