ここ何年も、日本映画をちゃんと見ることがなかったのですが、先月、NHKBSで放送された『幸福な食卓』が、とても心に響いたので、感想を書いておこうと思います。ビデオ録画したままだったのを、先日鑑賞したばかり。
沢山の鋭い言葉が、そこここにちりばめられていて、ドキっとして、胸がギュッとしました。
4人家族の再生を描いた映画、ということですが、その家族とは:
父親は、父親になっても、こんな筈じゃない、本当の自分は別にある、と思っていたのか、社会に向けて見せている自分とのギャップに、段々と耐えられなくなって、自殺未遂するまで追い込まれた。父親の心情は、彼の書いた遺書の中にあるだけで、細かい描写は、映画にはない。繊細といえば繊細だけど、どちらかと言うと浮世離れした感のある人。
母親はそんな父親が作る、家庭の空気から逃れたくて、なのか、一時避難的に、家を出て一人でアパート暮らし。母親は離れていても、母親をやめていないで、家族を心配し、心から愛している。自分の選択に、少し自信を失くしかけているのか、娘の佐和子に、『気をつかったつもりだったけど、その結果がこれだものね』と、少し悔いる発言もしている。つまり、成りたい自分があって、その能力もあったけれど、夫に気を遣って、自分の夢や将来を夫に託しきたけれど、それで良かったのか、どうか、揺らぎ始めている。
息子の直君は、優秀な母親、真面目な父親のもと、期待に応えて、いい子で優秀な子をやってきたけど、父親が感じるのと同じように、本当の自分と周囲が期待する自分との間にずれを感じ始めて、父親の自殺未遂をキッカケに、社会に向けた顔の自分を放棄してしまっている。純粋に真っ直ぐ、育ってきた子が、ストンと穴に落ちてしまって、立ち止まっている状態。でも、あまり悲壮感もなく、両親には温かく見守られている。このへんの、直君をゆっくり見守っている、両親は素敵と言える。農園で働いて、一見、平和そうにギターをかき鳴らしているけど、あの歌を聴くと、必ずしも、心が平安とは思えない。本当は、とても不安なのだけど、ギターをかき鳴らして、紛らしているのだろうか?
そして佐和子は、そんな普通ではない家庭環境の中でも、おっとりした優しい子に育っている。『ウチって崩壊しているのかなあ』と無邪気に母親に聞くくらい、暗いところがなさ気。しかし、時々、父親が自殺未遂を発見された、自宅風呂場をジッと眺めては、両親の気持ちを推し量ろうとしている様子がある。おそらく小六の時の出来事で、まだ中三の佐和子には、消化し切れない、推し量れない部分なのだろう。考えてみると、とても不幸な環境にいるように思えるけど、ホワっとした穏やか~な女の子なのだ。それが、とても可愛い。
この一種コクーンのような、同じ空気を吸って生活していて、中原家文化に染まり切ったような家庭。全て家族の中で収束してしまっている、そんな家族の中に入ってくるのが、直君のガールフレンド、小林よし子と、佐和子のボーイフレンド、大浦勉学君なのだ。
この映画が伝えたかったもの、私が受け取ったもの、それは人々の融合、というのか、他人の力、というのかな。そういうことを考えさせられた。家族って、別の家族文化をもった他人に、一見かき回されてるように感じてしまうけど、そこに生じる人間関係や、他の家族感を持った人のパワーで、救われることがあるってこと。そういう関係の尊さだ。
映画の中で、胸がギュッとなった言葉を、思い出して記しておきます。正確じゃないのもあるだろうけど、ニュアンスはこんな感じ。
佐和子の言葉
『小林よし子を、頑張って自分のものにしちゃいな。他人じゃないと、救えないことがあるよ』
『死にたい人が死ねなくて、死にたくない人が死んじゃうなんて、変だよ』
母親の言葉
『離れて暮らしていた方が、よく見える、ってこともあるのよ』
『どこの大学だって入れたけど、気をつかって、その結果が、これだものね』
父親の言葉
『大人になると、明日が楽しみになる、なんてことは、めったにないからな』
『お父さんは、やっぱりお父さんでいるよ』
直君の言葉
『この家は、皆、自分の役割を放棄しているんだよな』
『そんなことを言う程、おまえは傷ついているんだな』
『この手紙、優れものなんだ。その答えも最後の方に書いてある。真剣になり過ぎなきゃ、こんなことにはならなかったのに、って。だから、俺はその方法を採ることにした』
大浦君の言葉
『おまえは自分の知らないところで、守られているってこと』
クリスマスプレゼントに添えられた手紙文、全部。
小林よし子の言葉
『べったり一緒だと、見えるものが見えなくなるんだ』
『家族って、作るのは大変だけど、そのかわり、めったに無くならないでしょう。』
『だから、安心して、もっと甘えたらいい』
『あんたは、元気にならなきゃダメ』
原作本は未読なので、近いうちに読みたいと思います。
沢山の鋭い言葉が、そこここにちりばめられていて、ドキっとして、胸がギュッとしました。
4人家族の再生を描いた映画、ということですが、その家族とは:
父親は、父親になっても、こんな筈じゃない、本当の自分は別にある、と思っていたのか、社会に向けて見せている自分とのギャップに、段々と耐えられなくなって、自殺未遂するまで追い込まれた。父親の心情は、彼の書いた遺書の中にあるだけで、細かい描写は、映画にはない。繊細といえば繊細だけど、どちらかと言うと浮世離れした感のある人。
母親はそんな父親が作る、家庭の空気から逃れたくて、なのか、一時避難的に、家を出て一人でアパート暮らし。母親は離れていても、母親をやめていないで、家族を心配し、心から愛している。自分の選択に、少し自信を失くしかけているのか、娘の佐和子に、『気をつかったつもりだったけど、その結果がこれだものね』と、少し悔いる発言もしている。つまり、成りたい自分があって、その能力もあったけれど、夫に気を遣って、自分の夢や将来を夫に託しきたけれど、それで良かったのか、どうか、揺らぎ始めている。
息子の直君は、優秀な母親、真面目な父親のもと、期待に応えて、いい子で優秀な子をやってきたけど、父親が感じるのと同じように、本当の自分と周囲が期待する自分との間にずれを感じ始めて、父親の自殺未遂をキッカケに、社会に向けた顔の自分を放棄してしまっている。純粋に真っ直ぐ、育ってきた子が、ストンと穴に落ちてしまって、立ち止まっている状態。でも、あまり悲壮感もなく、両親には温かく見守られている。このへんの、直君をゆっくり見守っている、両親は素敵と言える。農園で働いて、一見、平和そうにギターをかき鳴らしているけど、あの歌を聴くと、必ずしも、心が平安とは思えない。本当は、とても不安なのだけど、ギターをかき鳴らして、紛らしているのだろうか?
そして佐和子は、そんな普通ではない家庭環境の中でも、おっとりした優しい子に育っている。『ウチって崩壊しているのかなあ』と無邪気に母親に聞くくらい、暗いところがなさ気。しかし、時々、父親が自殺未遂を発見された、自宅風呂場をジッと眺めては、両親の気持ちを推し量ろうとしている様子がある。おそらく小六の時の出来事で、まだ中三の佐和子には、消化し切れない、推し量れない部分なのだろう。考えてみると、とても不幸な環境にいるように思えるけど、ホワっとした穏やか~な女の子なのだ。それが、とても可愛い。
この一種コクーンのような、同じ空気を吸って生活していて、中原家文化に染まり切ったような家庭。全て家族の中で収束してしまっている、そんな家族の中に入ってくるのが、直君のガールフレンド、小林よし子と、佐和子のボーイフレンド、大浦勉学君なのだ。
この映画が伝えたかったもの、私が受け取ったもの、それは人々の融合、というのか、他人の力、というのかな。そういうことを考えさせられた。家族って、別の家族文化をもった他人に、一見かき回されてるように感じてしまうけど、そこに生じる人間関係や、他の家族感を持った人のパワーで、救われることがあるってこと。そういう関係の尊さだ。
映画の中で、胸がギュッとなった言葉を、思い出して記しておきます。正確じゃないのもあるだろうけど、ニュアンスはこんな感じ。
佐和子の言葉
『小林よし子を、頑張って自分のものにしちゃいな。他人じゃないと、救えないことがあるよ』
『死にたい人が死ねなくて、死にたくない人が死んじゃうなんて、変だよ』
母親の言葉
『離れて暮らしていた方が、よく見える、ってこともあるのよ』
『どこの大学だって入れたけど、気をつかって、その結果が、これだものね』
父親の言葉
『大人になると、明日が楽しみになる、なんてことは、めったにないからな』
『お父さんは、やっぱりお父さんでいるよ』
直君の言葉
『この家は、皆、自分の役割を放棄しているんだよな』
『そんなことを言う程、おまえは傷ついているんだな』
『この手紙、優れものなんだ。その答えも最後の方に書いてある。真剣になり過ぎなきゃ、こんなことにはならなかったのに、って。だから、俺はその方法を採ることにした』
大浦君の言葉
『おまえは自分の知らないところで、守られているってこと』
クリスマスプレゼントに添えられた手紙文、全部。
小林よし子の言葉
『べったり一緒だと、見えるものが見えなくなるんだ』
『家族って、作るのは大変だけど、そのかわり、めったに無くならないでしょう。』
『だから、安心して、もっと甘えたらいい』
『あんたは、元気にならなきゃダメ』
原作本は未読なので、近いうちに読みたいと思います。