緑色のおおでまりの花が ブロック塀からこぼれそうに咲いていた。
緑の桜もあるし、緑のおおでまりもあって不思議はないんだけど、紫陽花と間違えそうだった。
朝から どじってばかりで、思わず♪歌を忘れたカナリアは、おーせどの山に捨てないで・・と歌っていたら、みんなに大顰蹙。
誰がカナリア?あんたはそんないいもんじゃない。ヨタカみたいな顔してといわれたが ヨタカってどんな顔してるの?
で調べてみたら、ヨタカ目ヨタカ科の鳥。全長約29センチ。全体に茶褐色の細かい模様があり、くちばしは小さいが、口は開くと大きく、周りに長い剛毛をもつ。夜、飛びながら昆虫を捕食し、キョキョキョと早口で鳴き、枝に平行に止まる。アジア南部に分布。なんだって!
私はまた人一倍色気があるしAカップじゃない、豊満な肉体をしているから あの江戸の夜 岡場所に出没し、手ぬぐいをかぶり半分口に銜え流し目で色気たっぷり、三味線抱えたあの夜鷹かと思った。
で 話は戻るが何をそんなに忘れるのかって!もう恥ずかしくて人様にはいえません。お嫁の貰い手がなくなるから???。今日はレベル2です。
さて 話は全然変わります。
それにしても、長崎市民は偉い。選挙期間中に凶弾に倒れて急遽 娘婿と市役所の職員が立候補した統一地方選挙後半戦の話だ。
私なんか遺族が泣きながら、父の無念を!と絶叫して訴えられたら 政策や、イデオロギーなど何にも考えずに 香典代わり一票差し上げたかもしれない。
でもそれじゃいけないんだよね、政治は同情や、哀れみでは出来ない。
ということで市役所の元課長の阿藤快を少し丸くして眼鏡をかけたような田上富久氏が インドのパンのナンのような顔をした娘婿を抑えて当選してしまったのだ。
私はつくづく思う、選挙の時の人心掌握術のポイントは、いかに有権者を格式高い庶民と思わせる事が出来るかだと。あなた方一人一人が慎ましやかで非力な庶民でも、絶対に力をあわせれば変わる、と思わせる事が出来るかだと思う。
「庶民」好みの判官びいきにもっていけなかった、前市長の家族には気の毒だけどそう思う。(伊藤一長はそれだけの男だったんですか?という長女の叫びは凄かったけどね。)
今日の新聞によると、運も味方してくれなかったようだ。
無効票のうち、期日前投票で7500票も伊藤一長と書いてあったらしいし、「娘婿」とか、「市長の息子」とか、「市長の後見人」とかが相当あったらしいから。
いずれにしても弔い合戦とか、世襲制とかは死語になってしまったようだね。
朝 晴れ 午後から曇り 17℃
追記
たまたま新聞読んでいたら、「埴生の宿」という学校で習った歌の事が出ていたが、「埴生」というのを歌の歌詞から優雅な家と勘違いしている人が多いが、「埴生の宿」とは土間にじかにむしろを引いて寝るよう土作りのこの上ないおんぼろの家のことなんだって。知らなかった。
1.埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
2.文読む窓も わが窓
瑠璃の床もうらやまじ
きよらなりゃ 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ
たのもしや たのもしや
歌詞を見る限りそのようには思えない。
すぐ忘れるね。ごめん!
私も>「♪狭いながらも楽しい我が家~」のほうがいいな。
一年くらい前だったかな。続けて木馬さんにコメント入れたことを思い出したよ。
どちらも本来は粗末な家という意味らしいけれど
オイラは「♪狭いながらも楽しい我が家~」みたいな意味として使いたい。