←昨年は大変お世話になりました。
本年もまたお手数おかけしますがクリックお願いいたします。
_______________
年末から4回目の寒波到来らしい。
まるでシベリアの大地に立っているかのよう
・・と言ってもシベリアに行ったことはないけど、寒い、寒い、寒い。
とうとう風邪をいまだ引きずっているのは 私一人になってしまった木馬界隈。
ゴホン!ゴホン!・・ゴメンナサイ。
あ!いや、でも、隣の親父さんが自宅待機しているとの噂。
でも今回の風邪は私が発生元ではなくて、坂の上のIさんの未亡人が、孫ちゃんからもらって引いたのが元。
それをfujimiさんがもらい、その後風邪のウイルスが勝手に バージョンアップして私にウツったんですからね。
とはいうものの、年齢からくるものと、この嫌なお天気、なんせお正月からこっち、晴れたのはたった一日、どんよりとした鼠色のぼろ雑巾を広げたような雲が一面を覆っている空。
これを見てたら治るものの治らんわ、まったく、春が早く来ないかなぁ・・・
_______________
お正月合併号の週刊文春を読んでいたら、面白い記事が目に付いた。
『ラジオの衝撃から約一世紀ーメディアを手にした大衆』というものなのだけど、
1925(大正14年)3月22日 午前9時半。
『アーアー聞こえますか?JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。今日、ただいまより放送を開始いたします。」
これが日本におけるラジオ仮放送の第一声だった。本格的な放送はおよそ4ヶ月後から始まった・・・と。
「聞こえますか?」と問いかけてるのが なんとなくちょっと滑稽。
で、今回 ラジオ放送開始80周年にあたって、大規模なアンケート結果に基づき「もう一度聞きたいラジオ番組ベスト10」をNHKが発表した。・・・なんと。
① お父さんはお人よし
② とんち教室
③ 鐘の鳴る丘
④ 三つの歌
⑤ 一丁目一番地
⑥ 笛吹童子
⑦ 君の名は
⑧ 徳川夢声朗読 「宮本武蔵」
⑨ にっぽんのメロディ
⑩ 二十の扉
だったとか。
いまさら言うのもなんですが、私は長く生きているんですね。、ほとんど聞いてました。我ながらあきれます。
<ラジオ>・・またもや脱線しそう。
私の子供時代(昭和30年代)は箪笥の上に置かれたラジオから 盛んに落語や寄席中継が流れていた。
いまCD聞いててたまに、出囃子の「野崎」が流れると たまらなく懐かしく当時の我が家の気配を思い出す。勿論借家だけど、田の字の間取りの縁側のついた6畳の部屋に食事の後集まり、雑音がピーピーガーガーとうるさいうラジオからお好み寄席が流れる。
子供たちがおしゃべりすると、父親に「やかましい、静かに聞け!」と怒られたり、座布団枕にして寝っ転がって聞いた思い出。
「お父さんはお人よし」も家族で聞いた。祖母も元気だったなぁ。花菱アチャコと浪速千恵子だよね。
「とんち教室」も・・
先生が「出席を取ります。石黒敬七 さん、 長崎抜天さん、春風亭柳橋さん」・・で始まる
この春風亭柳橋と言う落語家、父親が大好きだった。
『時そば』をいつも聞かされて、今なんどき?なんて小さいときから使ってた我が家のギャクなり。
そしてこの中には選ばれてないけど、夕方6時から始まる北村寿夫原作「新諸国物語紅孔雀」毎日とても楽しみにしていた。
どんなに表で遊んでいても、この時刻になると飛んで帰ってラジオにかぶりついて聞いた。
今でもこの放送を聞いてみたい気がする。
そうそう やはり選ばれてないけど、家族で楽しみに聞いた番組に「話の泉」と言うのがあった。
堀内敬三さん、サトウハチローさん、徳川夢声さん、なんてよーく覚えている。
いまは車で移動するときくらいしか、ラジオを聞かないがラジオはいいよね、想像力を逞しくしてくれて、夢を与えてくれる。
いつも古い話でごめんなさい。
←最初にクリック押し忘れの方もう一度クリックよろしくです。
雲り時々雪 2℃ 寒い。
本年もまたお手数おかけしますがクリックお願いいたします。
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年末から4回目の寒波到来らしい。
まるでシベリアの大地に立っているかのよう
・・と言ってもシベリアに行ったことはないけど、寒い、寒い、寒い。
とうとう風邪をいまだ引きずっているのは 私一人になってしまった木馬界隈。
ゴホン!ゴホン!・・ゴメンナサイ。
あ!いや、でも、隣の親父さんが自宅待機しているとの噂。
でも今回の風邪は私が発生元ではなくて、坂の上のIさんの未亡人が、孫ちゃんからもらって引いたのが元。
それをfujimiさんがもらい、その後風邪のウイルスが勝手に バージョンアップして私にウツったんですからね。
とはいうものの、年齢からくるものと、この嫌なお天気、なんせお正月からこっち、晴れたのはたった一日、どんよりとした鼠色のぼろ雑巾を広げたような雲が一面を覆っている空。
これを見てたら治るものの治らんわ、まったく、春が早く来ないかなぁ・・・
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お正月合併号の週刊文春を読んでいたら、面白い記事が目に付いた。
『ラジオの衝撃から約一世紀ーメディアを手にした大衆』というものなのだけど、
1925(大正14年)3月22日 午前9時半。
『アーアー聞こえますか?JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。今日、ただいまより放送を開始いたします。」
これが日本におけるラジオ仮放送の第一声だった。本格的な放送はおよそ4ヶ月後から始まった・・・と。
「聞こえますか?」と問いかけてるのが なんとなくちょっと滑稽。
で、今回 ラジオ放送開始80周年にあたって、大規模なアンケート結果に基づき「もう一度聞きたいラジオ番組ベスト10」をNHKが発表した。・・・なんと。
① お父さんはお人よし
② とんち教室
③ 鐘の鳴る丘
④ 三つの歌
⑤ 一丁目一番地
⑥ 笛吹童子
⑦ 君の名は
⑧ 徳川夢声朗読 「宮本武蔵」
⑨ にっぽんのメロディ
⑩ 二十の扉
だったとか。
いまさら言うのもなんですが、私は長く生きているんですね。、ほとんど聞いてました。我ながらあきれます。
<ラジオ>・・またもや脱線しそう。
私の子供時代(昭和30年代)は箪笥の上に置かれたラジオから 盛んに落語や寄席中継が流れていた。
いまCD聞いててたまに、出囃子の「野崎」が流れると たまらなく懐かしく当時の我が家の気配を思い出す。勿論借家だけど、田の字の間取りの縁側のついた6畳の部屋に食事の後集まり、雑音がピーピーガーガーとうるさいうラジオからお好み寄席が流れる。
子供たちがおしゃべりすると、父親に「やかましい、静かに聞け!」と怒られたり、座布団枕にして寝っ転がって聞いた思い出。
「お父さんはお人よし」も家族で聞いた。祖母も元気だったなぁ。花菱アチャコと浪速千恵子だよね。
「とんち教室」も・・
先生が「出席を取ります。石黒敬七 さん、 長崎抜天さん、春風亭柳橋さん」・・で始まる
この春風亭柳橋と言う落語家、父親が大好きだった。
『時そば』をいつも聞かされて、今なんどき?なんて小さいときから使ってた我が家のギャクなり。
そしてこの中には選ばれてないけど、夕方6時から始まる北村寿夫原作「新諸国物語紅孔雀」毎日とても楽しみにしていた。
どんなに表で遊んでいても、この時刻になると飛んで帰ってラジオにかぶりついて聞いた。
今でもこの放送を聞いてみたい気がする。
そうそう やはり選ばれてないけど、家族で楽しみに聞いた番組に「話の泉」と言うのがあった。
堀内敬三さん、サトウハチローさん、徳川夢声さん、なんてよーく覚えている。
いまは車で移動するときくらいしか、ラジオを聞かないがラジオはいいよね、想像力を逞しくしてくれて、夢を与えてくれる。
いつも古い話でごめんなさい。
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雲り時々雪 2℃ 寒い。
私のラジオの思い出はスポーツ放送です。志村正順アナが伝える「白井義男対ダド・マリノ」のボクシング世界選手権、ハワイ・ホノルルからの実況中継放送でした。
海外放送は雑音で音が途切れました。その中で「勝ちました!白井が勝ちました!泣いています、白井が泣いて…」と伝える志村の声が震えていました。もちろん私もラジオの前で泣いていました。
その後 ボクシングの解説は「白井さん、どうですか?」でしたよね。
あの時代が懐かしいということは もう我々の時代は終わったということですか?
寂しいですね。