おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「星と輝き花と咲き」 松井今朝子

2010年09月26日 | ま行の作家

「星と輝き花と咲き」 松井今朝子著 講談社 2010/09/25読了 

最近で言えばAKB48、ちょっと前ならモーニング娘。でも、私の世代では、アイドルと言えば、圧倒的に聖子ちゃんだった。好きか・嫌いかは別として誰もが聖子ちゃんを知っていたし、テレビを点ければ、雑誌を開けば、そこに聖子ちゃんがいないということはなかった。

 物語は、明治期に一世を風靡した日本初のアイドル・女流義太夫の竹本綾之助のデビューから電撃引退までをフィーチャー。今も昔も、彗星のように現れるアイドルの背後には、ステージママがいたり、天才的プロデューサーがいたりして、普通の女の子を偶像に仕立て上げてしまう。一旦、偶像に祭り上げられると、本人の意志で祭壇から降りることは容易なことではない。偶像を作り上げるためにたくさんの人が力を貸し、偶像を飯のタネとして生きている人達がたくさんいるからだ。偶像になってしまった女の子の人生は、もはや、一人の人生ではない。たくさんの関係者の人生を背負ってしまう。でも、元は、普通の生身の女の子なのだ。

 綾之助は浄瑠璃を語る天賦の才能と少年を思わせる美しい容姿に恵まれ、スター街道を駆け上がる。ステージママが追っ掛けを蹴散らし、ゴシップ記事には、いちいちクレームを付けて訂正記事を出させる-など管理を徹底。しかし、ある時、綾之助は追っ掛けの男と恋に落ち、偶像としての自分を捨て、普通の女の子として生きる決断をする。

 恋の入口に立った綾之助が、浄瑠璃の中で人の人生を何度も繰り返し、時に姫となり、恋に身悶えるのに-現実の自分自身は何も知らないということにハッとする場面がなんとも味わい深い。そして、ふと、「恋愛禁止」がルール化されているというAKBやモーニング娘。のことを考えてしまった。今どきの、生身の女の子たちに恋愛禁止を強いておきながら、愛だの恋だのを歌わせるというのは-ずいぶん残酷だなぁと思いましたが、でも、偶像であるということは、それぐらいの覚悟がないとできないし、生身であることを捨てなければ、偶像にはなれないということなのかもしれません。

 さて、この物語を「アイドル論」として読むのであれば、まぁ、「なるほどな」と思うところがないわけではありません。でもその割には、結末であっさり、綾之助が3人の子どもを産んだあとに現役復帰したと書いて終わっていたのは拍子抜けだった。聖子ちゃんが結婚しても、子どもを産んでも、50歳に近づいても聖子ちゃんで有り続けているように、一度、偶像になってしまった女は完全に生身の女の子には戻ることができないことと、そこにはどんな葛藤があるのかを書きこんで欲しかった。


一方で、綾之助の人生のフィーチャーとして読むには、あまりにも綾之助の内面の描き方があっさりしているし、強烈なキャラクターとして綾之助が浮かび上がってこない。チョイ役ながら文楽の大名跡が登場したり、「太十=絵本太功記の十段目」「阿波鳴=傾城阿波の鳴門」「酒屋=艶容女舞衣」など、文楽ファンの心をくすぐるパーツがいっぱい散りばめられている(逆に、文楽や歌舞伎を見る人でないと、ちょっとついていけないぐらいマニアックな内容を含む)ので、もっと、文楽ファンを引きずりこむような芸人としての綾之助を描いてもよかったんじゃないでしょうか。

いずれにしても、松井今朝子作品としては、ちょっと物足りないなぁ…。と、思ったら、悪名高き(?)、「書きおろし100冊」シリーズでした。




2 コメント

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面白いけど艶がない (日月)
2011-10-15 11:05:44
>松井今朝子作品としては、ちょっと物足りない
私もそう思いました!
「艶」や「情」といったものが少なく、綾之助自身の心の動きがいまいち鈍く、最後もちょっとハッピーエンドにまとめすぎな気も。
昔のアイドルの半世期として読むなら楽しいのですが。

あと綾之助の恋人も、楽天的すぎてイライラしました。仮にも大人気の芸人を退かせるなら、それなりの気遣いがあってもよさそうなのに…。(^^;)

次回は吉原モノで口直しをしようと思います。
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なるほど~! (おりおん。)
2011-10-17 07:57:11
日月さん、コメント有り難うございます。

 確かに「艶がない」という言葉に、「なるほど~!」と思いました。だから、物足りないんですね。 

 偉そうですが…「松井今朝子の実力って、こんなもんじゃないでしょ」と思いたくなる作品でした。「吉原十二月」よかったですよ~!







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