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もんく [とある南端港街の住人になった人]

一人っ子がわがままになる構造を考えてみた

バラの根出しをしていた3つの植木鉢のうちの2つが失敗で、1つは根が出ていた。失敗の2つは再度カッターで元のところを切って鹿沼土に刺し直した。助かると良いが。

スーパーで一般的な花や野菜に使う培養土を買ってきたので明日はタンポポの種子を蒔こうと考えている。小さなタンポポの種子にも殻があるらしく、殻が破れないと芽が出にくいとか。これは種子に頑張ってもらうしかない。こちらも弱酸性土壌だそう。



つぶあんが死んでもう3ヶ月。きなこは以前より甘えん坊になってきた。寝ていると思ってもこちらが立つとすぐに起き出してついてくることもある。うんち、おしっこをしたい時も勝手にトイレに行けば良いようなものを呼び来る。歩くと後ろからついてきてズボンの裾にじゃれつく。

人と比べるものではないが、一人っ子はこんなふうなのだろうかと考えた。

というのは、一人っ子だから甘やかして育てるという意味とはちょっと違う。一人っ子だと子は家で自分に反応してくれる者は親しかいない。だから必然的に親に期待する。だが、親は親ですること、考えることがある。だからある程度は相手になるにしても全てそうするわけにはいかない。親にとっては子の問いかけが自分にとっていつでも興味深いものというわけではないから100%真剣に向き合うということはしない。そうなると子はオーバーアクションにもなるし親はそれを放置もする。

つまり甘やかして増長させるというイメージがあるけれど、そうでなくて、関心度の低さがわがままっぽいアクションの必要性を産むということだ。結果は同じようでも構造は違う。・・・ような気がする。
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