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もんく [とある南端港街の住人になった人]

自分という高齢者

昨日、活断層の母のところに行きました。無くしたと騒いでいたスマホは無事家の中で見つかりました。そんな事のために往復5時間運転したのでブログを書くのが億劫になって寝ました。今日はちょっとそれ関連で書きます。



FBでコメントをいただいた中に、高齢者がどんな生活をしているかというのが書かれていて、散歩してご飯食べてテレビ・・・とありましたが、私の母がまさにそれです。散歩の部分も無い事が多く、要はご飯は手軽に菓子パンで後は夜までテレビの前です。そうして寝たきりにほぼ近い状態になっている日も多いのです。


二つ考える事があります。
一つは、これが日本人の標準的生き方だなと思う事。私たちは問題を提示されると答えを求める事ができますが、自分で自分自身の問題を定義しないです。ゴミがあって汚いと掃除しますが壁に絵を掲げる事はしないです。仕事を与えられるとしますが、それが無くなるとボーっとするしかないです。母の今の状態には共感すら覚えます。


もう一つは、この人って、テレビから流れてくる言葉や映像で頭をいっぱいにしていて、きっとそれである程度満足度が上がっているのだなあと思うのですが、完全な満足ではないなと。どうしてそう思うかは、もちろん前やっていた事を知っているからです。足腰の問題で、ハイキングはできません。仕方ないです。そして、テレビからはもうこの人の時代のヒット曲は流れてきません。ずっと昔にカセットテープは滅び、CDですら危うい。どこで買えるかわかりませんから探しにも行けない。


そして、それがどうすれば聴けるかを知っている人は実は世の中に山ほどいるのですが、質問の仕方がわかりませんし、仮に質問できたとしても「マヒナスターズ」とか「松尾和子」とか言われてしまうと誰も答えられなくなってしまうでしょう。石原裕次郎あたりならまだしもですが。


でも、母は実はスマホを昨年持ったわけです。でも不幸にもスマホを持っていてさえスマホとマヒナスターズとを結びつけてくれる人はいませんでした。なので私はYoutubeを教えました。そして、自分で何度もやってみているようです。写真を撮るのもやってみたようです。


私はこう言いました。今ちょっと難しく感じるかもしれないけれど、今のところすぐに死んでしまう事も無さそうだし、人生はまだあるわけで、しかも医者からは認知症と言われてもいない。でもこの先わからないから今からちょっと慣れて楽しんでおけばその方が良いでしょう?と。やり方忘れたとしてもYoutubeでできる事がわかっていれば、世の中の90%超える人が同じものを持っているわけだから近所の誰かでも道歩いている人でもつかまえれば教えてくれるよ。


というわけで、昨日スマホが無くなったとか大騒ぎしていたので見に行きました。案の定、部屋を探してもらったら出てきましたが。


私がこんなふうにするのは、きっと同居していた学生時代から親が他人の一部だったからだと考えます。親と話したりどこかへ行くより自分で本を読む時間の方が長くて、話は合わないし、いつしか「あの人」になっていたのです。そして今、翻って高齢者である自分の姿をそこに見てしまいます。親だからとか、同情とかそういうものではなくて、他人としての普通の高齢者である自分です。
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