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もんく [とある南端港街の住人になった人]

気軽さ

7月の半ばに隣の工場で火事があった。

火事は工場を焼き尽くした。ちょうどその日はハリラヤ休暇の入りで家にいた。夜8時過ぎに電話がかかってきて隣の工場が火事だから確認に行ってくれないかとの事。家からスクーターを飛ばして駆けつける途中にもその火柱とモクモクと立ち上がる黒煙が見えてきた。到着して時にはもうこちらの工場のゴミ箱に燃え移っていたしトタン囲いの工場の明かりとりになっているプラスチックの板が膨らんでこぼれ落ちそうに見えた。通りに立っているだけで熱く、危険すら感じるほどだった。

もう手の付けようが無いと思った。できた事は事務所のファイルサーバを持ち出す事だけだった。後は幸運を願うしかない。と、同時にまた転職しなければならないのか、とも。

あれから2ヶ月半、ずっと放って置かれたその工場に少しの変化が表れた。歪んで内側に傾いでいた壁は取り除かれた。トラックヤードの庇もシャッターもバラバラになって積まれた瓦礫の中に紛れ込んだ。通りから見ると広い工場の向こうの三角のレンガ壁が突っ立っているのが見える。それまで内にくぼんで穴になっていた大屋根はもう無くなっていて今は空に向かって大きな穴を広げている。その穴からはヘイズで霞がちの今頃には珍しく、青い空が水たまりのようにそこにある。

黄色いシャツを着た労働者たちは向いに最近建てられた二まわりほど小さい売り工場に移って家具を(家具工場なのだ)作っている。きっと工場は近いうちに再建されるだろう。この大きな工場を再建するにはたいへんなお金がかかるだろうし労力も必要だろう。あの社長、諦めなかったんだなあと思った。火事の時に消火の水を避けるためか頭からスーパーのビニール袋かぶって1人でホースを転がしたりしていた姿を思い出す。

そんな事を考えているうちに別のアイデアが頭の隅に浮かんできた。それは「気軽さ」だ。もしかしたら彼は自分が想像するよりずっと気軽に物事を考えているんじゃないだろうか、と。燃えた工場を作った時もお金があって、工場を買って、外国人労働者を連れてきて、工場の裏にコンテナを置いてそこに寝かせて、イタリアの家具メーカーのカタログからデザインをコピーして…そうして気軽にやっているんじゃないか。

この工場の社長ばかりじゃない。道路の脇にあるショップロットにはお店がオープンしたと思ったらすぐに閉店していたり、そんな気軽さがマレーシアにはいつもある。大手の会社にしても事務所を用意して人を雇って座らせて何となくかっこが付けばビジネスやっている風になっている。何度も電話してもメールしても事態が進展しないこちらには相当な迷惑としか言いようが無いにしても、彼らはの中にはいつもどこか気軽さがあって、日本人だけの社会で感じる深刻さが小さい穴からチョロチョロと漏れ出していっている気がする。

悪い意味でなく、それはもしかしたら自分も学ばなければならない事なのかもしれないな。
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