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もんく [とある南端港街の住人になった人]

4 大人は自由研究をやらない

リリー・フランキーという人がどんな人なのか全く知らないが、こんな言葉がちょっと前に話題に上っていたようだ。

「ほとんどの人が、いわゆるちゃんとした大人になんてなることはなく、成長が止まったままの状態で、だただた歳を取っていくだけなんです」

この言葉の前後関係が検索しても出てこないので真意のほどはわからない。でも、ちょっと思う事がある。というのは、先日も「箱の思考」について書いたが、それに関連すると思うのだ。箱の件に関してはちょっと前の記事を探して読んでもらうとして、要するに・・・いきなり要約してしまうのも変かもしれないが、ここはグッと堪えていただいて、つまりは自分自分自身の課題を考えられないという事だ。

何を言う。自分は自分の思考を持ってして自分の人生をきちんと考えているぞ!と皆さんは言うだろう。いやいや、ほとんどの人はそんな事はしていない。ここ数年のsnsでのやり取りを見ていたりするとよくわかるのは意見や主張というよりは単なる反応をしているに過ぎない。シーンと静かな部屋に置かれっれば全く成立しな言葉ばかりが行き来している。つまりいつも言うように犬どうしの喧嘩と同じだ。ワンワンに対してワンワン、キャンキャンと反応している。最初のワンワンが聞こえて来なければ犬は庭の芝生の上でご飯をもらえるのをただ待って寝ているだろう。

もし犬でなく子供でもない人間の大人ならば静かな部屋一人でいても何か課題を考え出すだろう。それは問題用紙を配られてそこに回答を書き込むのとは違うやり方だ。例えば休暇だが、自分自身の都合で自分自身で時間をやりくりして休む人はどれだけいるだろう? 例えば仕事で与えられた課題をこなす以上に自分自身で必要な課題を考え出す人がどれだけいるだろう? だいたいの人にはそれが無い。会社員は会社員の事をやり、主婦は主婦の事をやる。以上、って感じだ。それは試験用紙が見えないだけでやっている事は小学校を同じだろう。むしろ小学生の方が自由研究するだけマシかもしれない。大人の自由研究はほとんど誰もやらない。

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