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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人生はやらなくて良い余計な事で構成されているようだ

世の中には自分が何もしなくても構わない事と言うのがたくさんある。放っておいて良いのだ。手を付ける必要は何も無いし誰にも何も言われない。そんな事だらけだ。

例えばお腹を空かせて家の前を歩いている猫を放って置いても良い。例えば道に倒れている人をそのままにして立ち去っても良い。あれ?それは良いのか?でも実際にはそう言う場面はあって何もしなくても誰も何とも言わない。例えばこうしてブログを毎日書くのも特にやらなくても誰にも何にも影響しない。絵を描いたり歌を歌ったりするのも同じで、やらなきゃやらないで構わない。テレビも観なくて良いし本も読まなくても良い。誰かに話しかけられても答えなくて良い。年賀状なんて全然書かなくても良い。いろいろたくさんある。

逆もある。事もある。人間は食べる事はしないといけない、呼吸も必要だし服はさすがに着るべきだろう。仕事とかして稼ぐのは必要かも知れない。トイレに行ってうんちはする。手は別に洗わなくても構わない。(近づかないで欲しいが。)とりあえずそれだけしていれば生きられる。そう言うどうしてもしないといけない事だけして、余った時間は寝るかボーっとして過ごす。

ただ、実際にそれだけで生きている人に会った事が無いが、それで人生は成立するものだろうか?わからないな。部屋にこもっている引きこもりの人達だってきっとそれ以上の何かはしている。そして何を隠そう、この自分も盛大に余計な事ばかりを毎日やり続けている。誰がそんな余計な事を自分にするように教えたのだ!?学校なんかは余計なことはしないようにと言う方だったはずだ。将来何になりたいとか面倒な事は聞かれた覚えはあるが、それとて余計な事をやってみよと言う趣旨ではなかった。

にも関わらず、見渡せばなんとなくだが、皆さん何らかの余計な事をやっている。その余計な事がsnsに漏れ出てきておかしい。余計な事やった方が良いよ、とは言わない。でもやってしまっているなら、他人にやってると言う方が良いと思う。理由はなんだかおかしいから。

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