以前ならチョコレートや甘いものを買うのだけれど、最近はこのクルプックが良いようになっている。この前マラッカに行くときもバスに乗る前に1袋2リンギットで買ったが今回のクルプックは同じような袋に入って(同じ製品なのか似ているだけかわからない)1.9リンギットだった。
コリコリと歯ごたえがあって食べると魚の香りがしてかなり気に入っている。もし世界がもうすぐ滅亡することがわかって、手元にこのクルプック1袋しか無かったとしてもそれで良いかもしれないとも思う。
国連事務総長「この地球上にお住まいの全てのみなさん、とうとうこの日がやってきてしまいました。あと1日以内でこの愛すべき私たちの地球は滅亡します。事実が明らかになってからずっと、我々はこの事態を避けるために今日までさまざまな努力を重ねてきました。ですがその努力は実を結ぶことなく明日と言う日を迎えざるを得ないことになりました。仕方がありません、これは我々人類に与えられた運命だったのです。みなさん、今夜は安らかな最後を願い、我々の輝かしき歴史を称え、そしてお互いを称えあうために最後の晩餐としようではありませんか。」
パチパチパチパチ(拍手)
繁華街の上空に浮かんが大型モニターに国連からの声明が映し出された後、どこかの広いホールに盛装した男女の姿、そして世界から集められたと思われるご馳走の山が映し出される。街は光を放ちまるでこれから始まる、いや終わりとは無関係に華やいだ空気を演出しようとしている。重苦しさを打ち消すかのように。
ぼくの手にはスーパーマーケットの袋。中身はちょっとした食料品がいくつか入っている。最後の晩餐と言っても、晩餐というにはどうみても程遠い、スナック菓子や菓子パン、そして売れ残っていたどこか東南アジアから来たらしき菓子袋だけだ。クルプックと書いてある。もう世界中の食べ物は生産されずやっと探して買えたのはこんなものだけだった。それでも空腹が重苦しさを苛立ちに変えることを考えるとこれだけでも役にはたつだろう。
とぼとぼと家に向かって歩く。もう急ぐ必要はないのだ。もしかすると家に向かう必要すらないかもしれないが、だからと言って他である必要もないから仕方ない。
ふっ前を見ると暗がりに何か光るものがある。動物の目? 近づいてみる。子どもだ。
「おにいさん、食べるものない?」「....」「お腹すいちゃったんだ。」「お父さんやお母さんはどうしたの?」「いないよ。だって僕、難民ってことでこの国に引き取られたんだ。でも、去年世界が滅亡するってわかったら施設の人たちがみんないなくなっちゃったから....」「.....」「お願い、何かない?」
仕方ない、やっと手に入れたスナック菓子だけれど、実のところそんなものは食べたくて食べるわけじゃない。テレビCMが実際以上の「美味さ」を強調して流行っただけの物だ。こんなものでこの子の最後晩餐の喜びに加担できるのだったら、と思えば....。
また歩き始めると痩せた猫がか弱い声で鳴く。一匹じゃない。3匹だ。放っておけば死んでしまうだろう。放っておいて死ぬのが早いか地球もろとも塵と化すが早いか。仕方ない、こいつらにも最後の晩餐のおすそ分けだ。パンを千切って撒いてやる。
さらに行くと公園のベンチに横たわる男が一人。ぜーぜーはーはーとどうも様子がおかしい。
この人も最後の晩餐にはありつけない口だ。最後のクルプックを開けて差し出してみる。ぽわんと魚の良い匂いが広がる。男は震える手で1枚掴むとゴリゴリ食べ始めた。みるみる袋は空に近づく。まるで10年も何も食べていなかったかのようだ。男は手を止める。初めてこちらを見て弱々しい声で礼を言った。
最後の1枚を2人で見つめた。
これが自分の最後の晩餐になった。ジングルベル・ジングルベル.....